第30話・第1節「王都動乱の序章」
神性機関の暴走が静止されてから、一夜が明けた。
王都セリオネは、嵐のあとの静けさに包まれていた。だがその静寂は、一時のものでしかない。神性機関の力に依存していた都市機構は機能を停止し、魔導灯は消え、水路の流れも途絶え、市民たちは不安と混乱の中で目を覚ました。
「……とうとう、始まったな」
ルークスは神性機関の最上層から市街を見下ろしながら、低く呟いた。
崩壊した天蓋室の残骸から、薄明の光が差し込んでいる。その光景の下、煙を上げる教会塔、避難する群衆、そして広場に集まり始めた王国騎士団の隊列が遠目に見えた。
「王都全体がざわついてる……そりゃそうよね。今まで信じてた“神の祝福”が、突然止まったんだから」
セリナが隣に立ち、口をへの字に曲げる。
「でも、やることは変わらない。私たちは、“真実”を伝えなくちゃ」
「いや、それだけじゃ足りない」
ルークスは背後を振り返った。そこには、ミュリナ、ジェイド、そして“囁かれし者”の姿がある。
「真実は刃だ。使い方を誤れば、民を守るどころか混乱を煽るだけになる。今のこの世界では、正しさだけじゃ人を導けない」
「じゃあ、どうするの……?」
ミュリナが不安げに問う。
「“選ばせる”んだ」
ルークスは神性機関の中央核、すなわち“世界調律装置”を見上げた。修復されたばかりのそれは、今なお微かに脈動している。
「この力を封じるか、それとも正しい形で活用するか。その選択権を、民に委ねる。そのための“場”と“言葉”を、俺たちで用意するんだ」
ジェイドが目を細め、頷いた。
「そのためには、中央広場を抑える必要があるな。あそこには教会直属の神聖騎士団が布陣してる。正面突破は……無謀かもしれん」
「いいえ、逆にチャンスよ」
“囁かれし者”が口を開く。
「教会は、昨夜の“神性機関停止”の理由をまだ正確に把握していない。むしろ、内乱や外敵の仕業と誤認している節すらある。情報が錯綜してる今だからこそ、揺さぶりをかけられる」
「それに、ルークスの剣……“神滅の刻印”が変質した。今や、彼は“神殺しの象徴”として目覚めつつある」
その言葉に、ミュリナが少しだけ目を伏せた。
「……ルークス、あなたはそれでも……進むの?」
「進むさ」
ルークスは微笑む。
「お前があの森で助けてくれた日から、もう俺は戻る場所を失ってる。だったら、前に進むしかない。誰かの後ろじゃなく、誰かの前に立って」
――その瞬間、空が鳴った。
王都の南端、黒殻街から立ち上がる黒煙。次いで、街の各所に設置された教会鐘楼から、連なるように警鐘が響く。
「……敵襲か?」
「違う、これは……」
“囁かれし者”の瞳が細められる。
「教会が、動いた。真聖堂が、“審問官”を出したのよ」
その名に、場の空気が緊張する。
“審問官”――それは教会が絶対の権限を持って運用する暗殺者であり、異端を排除するために設けられた影の執行者。
「やっぱり……先手を打たれたか」
ルークスはすぐに剣を腰に戻し、仲間たちに言う。
「街に戻るぞ。南区の避難民を保護しながら、中央広場へ向かう。俺たちの“開示”は、そこでやる」
「わかった」
セリナが剣を抜き、ジェイドも頷いた。
ミュリナは、一瞬だけルークスの背を見つめ、そっと彼の裾を握る。
「絶対に、守る。あなたが信じた未来を、私も一緒に信じるから」
その言葉に、ルークスは軽く目を細め、優しく言った。
「ありがとう、ミュリナ。行こう。王都が――いや、この世界が変わる、その瞬間を見届けに」
彼らの歩みが、再び始まる。
大聖堂の鐘が、動乱の始まりを告げるように響いていた。