第25話・第3節「動き出す影とミュリナの決意」
月が昇り始めた港町グレイスの裏通りには、昼間とは違う“音”が満ちていた。
それは剣が擦れる微かな金属音。人の吐息が夜気に溶ける気配。獣のような気迫を宿した者たちの目線――。
“夜の支配者たち”が目覚めた証だった。
ルークスたちは“囁かれし者”の導きで、町の最奥にあるとある古い灯台跡の地下室に身を潜めていた。王都の“裏門”へと続くルートを得るため、夜明けまで動くわけにはいかなかったからだ。
だが、静寂の中にあっても、ミュリナの心は波立っていた。
彼女は一人、灯りの消えた部屋の隅に腰を下ろし、胸元を握りしめる。
記録空間で触れた“記憶の残滓”――あの魔王の眼差し、そして彼の側に仕えていた将軍の姿が、何度も脳裏に焼き付いていた。
「……フェン=ラガルト」
その名を口にした瞬間、部屋の空気がわずかに変わった。
ルークスが気づいたように、そっと近づいてくる。
「さっきからずっと気になっていた。……その名前、どこで?」
「……記録の中。彼の名前は、あの幻像の魔王と共にいた“忠誠の将”だったわ」
ミュリナは視線を伏せたまま続けた。
「私、思い出したの。彼に……命を助けられたことがあるって。でも、それだけじゃない。彼は、私の“かつての名”を口にしていたの」
「かつての……名?」
ルークスが問い返すと、彼女は震える唇で言った。
「“セリュナ・フィル=リエラ”。それが、かつて私が……“聖女”として呼ばれていた頃の名」
その場の空気が張り詰める。セリナもジェイドも目を見開いた。
「つまり、お前が……?」
「うん。でも、私はその記憶を失っていた。記録核の光が、すべてを蘇らせてくれたの。私が聖女として何をして、何を守れなかったかも……全部」
ルークスは静かに頷く。無理に言葉を挟むことなく、ただ彼女の告白を受け止めていた。
「私は、魔王を討つために力を授かり、そして……失敗した。王都は落ち、人々は絶望に沈み、多くの命が奪われた。そして私は――」
言葉を詰まらせ、彼女は拳をぎゅっと握る。
「逃げたの。責任から、すべてから。気づいたら、あの奴隷収容所にいた。記憶も、誇りもなくして……。でも、今は違う。あの日、あなたに救われてから……私は変わったの」
ルークスはそっとミュリナの肩に手を置いた。
「今のお前は、“過去”ではなく、“今”を生きてる。誰よりも真っ直ぐに」
ミュリナの目に、涙が浮かんだ。
「ありがとう、ルークス。でも私は、これから“未来”を変えたい。過去の償いのためじゃない。今を生きるみんなのために……もう一度、“聖女”として戦いたい」
その言葉に、ルークスは頷いた。
「俺も、共に行く。お前が聖女なら、俺はその“盾”になる」
その言葉に、ミュリナは微笑んだ。あの弱々しかった少女は、いまや確かな決意を宿した戦士だった。
その時、地下室の扉がノックされた。三回、間を空けて、さらに二回――“囁かれし者”の合図だ。
「夜明けが近い。今が、“裏門”を抜ける最後の好機よ」
“囁かれし者”が告げると、ルークスたちはそれぞれ装備を整えた。
ジェイドは魔導銃の起動石を確認し、セリナは短剣の鞘を静かに撫でていた。
ルークスは深く息を吸い、ミュリナの方を見る。
「行こう。俺たちの戦いは、まだ始まったばかりだ」
ミュリナは静かに頷いた。その瞳にはもう迷いはなかった。
彼女の中の“セリュナ・フィル=リエラ”は過去の亡霊ではない。今を生きるミュリナとして、“未来を救う覚悟”に変わっていた。
そして夜が明ける。
王都の表と裏、光と闇が交錯する運命の地へ――ルークスたちは、踏み出す。