第25話・第1節「帰還と“黒き港町”への道」
――まるで、深い夢から覚めたようだった。
ルークスが目を開けた時、そこは見慣れたはずの廃墟でありながら、何かが確かに違っていた。
空は茜に染まり、森を渡る風が秋の気配を運んでくる。記録空間に入る前、確かに季節は夏の終わりだったはず。けれど今、肌に触れる空気は一段と冷たい。
「……戻ってきた、のか」
ミュリナもそっと身を起こす。彼女の顔はどこか穏やかで、けれど眼差しの奥には確かな覚悟の色が宿っていた。記録空間で彼女が見たもの、感じたもの――それらが、確かに彼女を変えていた。
「ここ……まだ森の中だよね?」
セリナが辺りを見回し、ジェイドは手元の測定器で魔力の流れを確認している。
「空間の揺らぎは消えてる。ここは現実、元の世界だ。ただし……」
「ただし?」
「時間経過が通常とは異なる。おそらく、三日以上は経ってるな。記録空間の干渉で、周囲の地形も微妙に変質しているようだ」
廃墟の一部は崩れ落ち、森の木々の生え方にも違和感があった。時間だけでなく、“歴史そのもの”がわずかに書き換えられている可能性がある。
「このまま王都へ向かうか?」
ルークスの問いに、ジェイドが首を横に振った。
「いきなり王都に入るのは危険だ。記録核の接触で得た情報によれば、王都は現在“表”と“裏”に二重構造化されている。表は信仰と秩序の聖都、だが裏では腐敗した貴族と教会、そして一部の魔族すらが結託して暗躍しているらしい」
「つまり、正面から乗り込めば、挟み撃ちか」
セリナが苦々しくつぶやく。
「だからこそ、“裏から”入る必要がある」
ジェイドは懐から一枚の古びた地図を取り出した。そこには、王都を囲む都市群と、南側に位置する小さな港町の名が記されている。
《黒き港町グレイス》
「ここが鍵だ。交易と流通の要所としては小規模だが、“裏の王都”と呼ばれるほど、情報と影の者たちが集まる。“囁かれし者”という情報屋もこの町に潜伏しているという」
「グレイス……」
ルークスはかすかにその名に覚えがあった。記録空間の中で、一瞬だけ流れ込んだ断片的な映像――そこに、グレイスの名が確かに刻まれていた。
「……なら、まずはそこへ向かおう。ミュリナ、大丈夫か?」
「うん……行こう、ルークス。わたしも、今度はちゃんと前を向いて進みたい」
彼女は微笑みながらも、その声には力があった。記録空間での出来事は、彼女の中で“過去”に終わってはいなかった。むしろ、それは“これから”を照らす灯火になっていた。
四人は、森を抜けて南へと歩みを進める。夜の気配が迫る中、ルークスの感覚がわずかにざわついた。
――誰かに、見られている?
木々の合間に確かに“気配”があった。それは魔物ではない。もっと冷たく、しかし人間離れした気配。
(……つけられてる? だが今は、確かめるより先を急ぐべきだ)
グレイスへの道のりは、おそらくただの旅には終わらない。
世界は変わり始めていた。記録核によって明かされた真実は、すでに幾つもの波紋となって、現実を揺るがし始めている。
そしてその波紋の先で待つのは、魔王軍だけではない。人間たちの中にも、“魔より魔らしい者たち”が息を潜めていた。
ルークスは強く剣の柄を握りしめた。
「行こう。“影”の中に、光を持ち込むために」
その言葉に、誰も返事をしなかった。ただ、確かに三人の背に、静かに意志が燃えていた。