表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/29

第3話・第1節「森の廃墟に灯る火と二つの息吹」

朝。森の木々の隙間から洩れる薄明かりが、崩れかけた廃墟の床を静かに照らしていた。

 かすかに光る粒子──魔力を含んだ朝霧が、ゆっくりと差し込んだ陽光に照らされて舞っている。


 ルークスは火の番をしながら、眠る少女の横顔を見ていた。

 昨夜、あれから一言も発せずに力尽きたミュリナは、今は落ち着いた寝息を立てている。


 薄い布を肩にかけてやると、彼女の白い髪がふわりと広がった。

 その中に小さな耳──人間よりも尖った、エルフの特徴を見つけて、ルークスは目を細める。


 「ハーフ……か」


 長い耳ではない。だが、人間のそれとも違う。

 ミュリナの容姿、そして鎖の痕。状況を考えれば、彼女が“奴隷”として扱われていた可能性は高い。


 「逃げてきたんだな。こんな森の中まで」


 囁くように呟いても、返事はない。

 ただ少女の眉が、夢の中でかすかに寄せられた。


 その表情を見て、ルークスの胸に、説明のつかない感情が広がっていく。

 懐かしさのような、胸の奥が締めつけられるような、そんな感覚。


 火に小枝を足し、煮沸した水を湯飲みに移す。

 その音に、ミュリナがそっと瞼を開けた。


 翠の瞳が、揺れる光の向こうから彼を見つめている。


 「おはよう。……眠れたか?」


 ミュリナは答えない。けれど、わずかにまばたきした。

 それが返事なのだと、ルークスは理解した。


 彼女は喋れないのではない。喋る“勇気”がまだ戻っていないだけだ。

 声を出すという行為すら、きっとこの少女には“恐怖”なのだ。


 「無理に話さなくていい。しばらくは、ここで休むといい」


 ルークスは湯飲みを彼女の前に置いた。

 ミュリナは視線だけを動かして湯を見つめ、やがて、おそるおそる手を伸ばす。


 両手で包み込むようにして、慎重に口元へ運ぶ。

 その小さな仕草に、ルークスは妙な安堵を覚えた。


 “人間らしい反応”──それだけで安心できるなんて、自分でも不思議だった。


 「俺も、昔はずっと“誰かの顔色”ばかり見てたよ」


 ぽつり、と漏れるように言葉が出た。

 それが彼女に向けて語られたものか、自分自身への回想かは分からない。


 「言葉を発しても、すぐに否定された。少しでも動かなければ無能扱い。感情なんて見せたら“甘えてる”って怒鳴られた。……地獄だったな」


 火の揺らぎが、彼の横顔を照らす。

 ミュリナは湯飲みを抱いたまま、じっとその光景を見つめていた。


 「だから、逃げたのかもしれない。あの世界から。……自分でも、よく覚えてないんだけどさ。死んで、ここに来たとき、不思議と怖くなかった」


 言葉は、静かに森に溶けていく。

 そして、数秒の沈黙ののち──


 「……あの、」


 かすれた、小さな声が落ちた。


 ルークスが顔を向けると、ミュリナが湯飲みを握ったまま、震える唇をそっと動かした。


 「……ありがとう……ござ……います」


 涙が滲んでいた。

 震える声だった。けれど、それは彼女がこの世界で初めて“意志”で発した言葉だった。


 ルークスは、それ以上何も言わなかった。


 ただ静かに微笑み、火にもう一枝を足した。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ