第23話・第2節「仮面の女と“断章の記憶”」
洞窟の奥――炎の揺れる仄暗い空間に、彼女はいた。
白磁の仮面に覆われた顔。
その奥から発せられる視線は、冷たくも懐かしさを宿していた。
「ようやく会えたわね、ルークス=ノード」
低く澄んだ声だった。
だがその声音は、どこかで聞いたことがあるような、不思議な既視感を帯びていた。
ルークスは剣を抜かずに問う。
「……何者だ。“俺を知っている”ような言い方だったな」
「そう。私は、“かつてあなたに似た者”と旅をした。……彼もまた、“記録核”を宿していたわ」
ミュリナが目を細める。
「……あなたは、“記録の番人”?」
「少なくとも、そう呼ばれていたわ。“記録を封じる者”でも、“記録を破壊する者”でもない。“ただ見届ける者”」
仮面の女は、壁に埋め込まれた石板に手を添える。
その瞬間、空間に“断片映像”が浮かび上がった。
──それは、数千年前の記録。
神代の末期、人と神が完全に袂を分かった直後の、最後の“対話の残響”だった。
映像のなか、青年の姿があった。
彼はルークスに酷似していたが、その瞳は“何かを諦めた者”の色をしていた。
《力があるから神になったのではない。記録を持ったから、神と呼ばれただけだ。だが記録は、誰にでも宿るものだろう?》
その言葉を最後に、青年の姿は光に溶けていく。
仮面の女は静かに言った。
「あなたの“記録核”は、彼の断章――つまり、“神にすらなれなかった者”の意志を継いでいる」
「神にすらなれなかった……?」
「そう。“選ばれなかった神”の記録。……人の理を超える知識と力を持ちながら、“正史”に記されなかった存在」
セリナの顔がわずかに青ざめた。
「……それって、“記録に干渉できる存在”……?」
「その通り。“記録を読む”のではなく、“記録そのものを書き換える力”を持つ存在。……それが、“君の記録核”の本質」
ルークスの中で、何かが軋んだ。
「つまり、俺が持っているのは……“世界を再定義できる力”だと?」
「可能性としては、ね。でもそれは、“使い方によって災厄にもなる”。だから私は来た。“君がどちらを選ぶか”を見極めるために」
「何故、今になって現れた?」
「……君が“記録核を継承した”からよ。もう、君は“ただの観測者”じゃない。“書く者”として、世界から認識される段階に入った」
その言葉に、ミュリナが息を呑む。
「じゃあ、ルークスさんがこのまま核と完全に同調したら……?」
「……記録核が暴走し、“周囲の記録を上書きする”」
「それって、“存在そのものの履歴”が……!」
「“変わる”のよ。対象の“存在した記録”が、別のものに書き換えられる。“人が違う人生を歩んでいた”という記録に、世界が書き換わる」
セリナが呻くように言った。
「……それはもう、“神”じゃなくて……“改竄”」
ルークスは静かに目を閉じた。
「……だからこそ、選ばなきゃいけない。“記録を壊す力”があるなら、それを“守るため”に使えるかを」
仮面の女は、わずかに口元を緩めた。
「その答えを探して。……私は“君の選択”を見届けるわ。今度こそ、“あの時と違う”未来を」
彼女はそう告げると、背を向け、魔力で空間を切り裂いて姿を消した。
だが、彼女の残した“記録の残響”は、まだ空間に微かに残っていた。
それは、ルークスに似た青年の、最後の言葉だった。
《俺が神じゃなかったのなら、せめて“記録の傍に立つ者”でいよう。……誰かが選べるように》