第22話・第1節「旅路の再出発と静かな追跡者」
風が乾いた大地を撫でていた。
ルークスたちは、《ルデール峡谷》から北西に抜ける山道を進みながら、新たな目的地――《フィリスの環》を目指していた。
そこは、神話時代に“人と神が共に在った”とされる禁域。
未踏の記録と、誰も知らぬ未来が眠る場所。
「この道、予想よりずっと整備されてるね。……ギルドの調査隊が何度か通った跡かも」
ミュリナが道脇の石標を指さしながら言う。
木の根に埋もれかけた印には、かすかに学術ギルドの封印が刻まれていた。
「記録によれば、この辺りは“魔力の密度”が高くて、生態系自体が変異してるらしい」
「視えてるわ。空の流れが重くなってる。“意志を弾く地”の兆候……」
セリナの瞳は、通常の未来視とは違う揺らぎを帯びていた。
「今の視え方、“確定した未来”じゃなくて、“誘導された未来”みたいに感じる」
「……誰かが未来を“選ばせようとしている”?」
ルークスが問い返すと、セリナは微かに頷いた。
「まだ断言できない。でも、何かが“私の視点”に干渉してるの。……それが、悪意なのか善意なのかは分からないけれど」
沈黙が降りた。
風の音さえ、何かをひそやかに語っているように感じられた。
──その頃。
街道からやや離れた崖上の木陰、ひとりの女が双眼鏡型の魔導具を通して彼らの姿を追っていた。
仮面をつけたその女は、フードの奥でつぶやく。
「……やっと見つけたわ、“あなた”を」
その声音には執念と懐かしさが混じっていた。
彼女の手には、黒と金で縁取られた“断章商会”とは異なる紋章が握られていた。
それは、神代記録にのみ記された“忘却の紋”――かつて禁じられた者たちの記録の証だった。
「あなたはまだ、気づいてないのね。“あなたの中にあるもの”に」
彼女は木々の陰に姿を溶かしながら、ゆっくりと後を追っていく。
一方、ルークスたちは峠を越えた小さな村に立ち寄っていた。
そこは半ば廃村となっていたが、調査隊や旅人のための簡易拠点が残されており、旅の準備を整えるには十分だった。
「この村、数年前に“聖域化”の名の下に避難勧告が出て、住民がいなくなったそうです」
そう説明するのは、村に併設されたギルド分所に勤める若い記録官だった。
「“聖域化”? ……つまり、“教会がここを何かに利用しようとした”ってことか?」
「ええ。もともと《フィリスの環》は教会の管理区域の外だったのですが……“記録干渉反応”が観測されてから、封印区として再指定されたらしく」
ルークスの眉がわずかに動く。
「つまり教会は、“この先に記録がある”と把握してるわけか」
「断章商会も動いてくる可能性が高いわ。……“記録を壊す側”と、“記録を封じる側”。そして、“記録を紡ぐ側”の私たち」
ミュリナの言葉に、セリナがそっと付け加える。
「そして、“記録を見張るだけの存在”も。……ここからは、もっと複雑になる」
その夜。
ルークスはひとり村外れの高台に立ち、空を見上げていた。
月は静かに浮かんでいた。
けれど、胸の奥には、なぜか説明できない“懐かしさ”がよぎっていた。
「……ここに、俺は“来たことがある”気がする」
呟いた声が、風にかき消される。
自分の中にある“違和感”。
そして、セリナの未来視すら霞ませる何か。
──それが、“フィリスの環”の正体なのだろうか。