第18話・第1節「辺境の街《ラザール》」
遺構を発って三日目。
夕日が山の端に沈むころ、ふたりはようやく目的地の街を視界に捉えた。
「……あれが、ラザール?」
丘の上から見下ろしたミュリナが、やや息を弾ませながら言う。
「そうだ。北西交易路と鉱山道の交差点──冒険者と商人、それに戦争で行き場を失った傭兵たちの溜まり場だ」
ルークスは地形を確認しながら答える。
街は、かつて城砦だった遺構の中に広がっていた。
周囲を囲む石壁はところどころ崩れており、正門には傭兵ギルドの旗と王国の徴章が並ぶように掲げられている。
「活気はあるけど……なんだか、ぴりぴりしてるね」
「権力の空白地帯だからな。支配者は不在。代わりに、金と力で秩序が保たれている」
街に入ると、途端に空気が変わった。
人々の目が鋭く、言葉には刺があった。
路地裏では取引、広場では戦い。中央では市場が喧騒を撒き散らしながらも、何かを恐れている。
(……緊張の原因は?)
ルークスの視線が街路を流れ、ある会話を拾う。
「聞いたか? また魔術学院から逃げてきたガキが、貴族の手から逃げ回ってるらしい」
「今度のは“未来視”持ちだとか。……高位貴族が“私有化”しようとしてるって噂もあるな」
「おい、口が過ぎるぞ。耳を持つ奴らは、どこにでもいる」
情報は断片だったが、十分だった。
(“未来視”。しかも、貴族に追われている。……偶然にしては、できすぎてるな)
ミュリナがふと、足を止める。
「ごめん、ルークスさん……。ちょっと、休みたい……」
「……無理させたな。宿を探そう。落ち着いたら、俺だけ先に探索してくる」
街の東端にある宿《風の抜け道亭》は、あまり目立たないが清潔な建物だった。
宿主の老婆は無愛想ながら誠実で、旅人慣れしている。
ルークスはミュリナを休ませ、自らは街の情報を探るため再び外へ向かう。
だが、扉を開けたその瞬間。
「──やめてくれ。俺は……“商会”とは、もう関係ない……!」
階下の食堂で、若い男の声が上がった。
ルークスは無意識に足を止め、その主を見た。
肩まで伸びた黒髪に、血の気の薄い肌。
身なりは粗末だが、腰に差された短剣は“実戦を経た者”のものだった。
「……断章商会?」
その一言に、男の瞳がこちらを射抜いた。
「──お前も、“あれ”の追手か?」
「違う。俺は、あの連中の敵だ」
数秒の静寂ののち、男は椅子に崩れ落ちた。
「……そうか。なら、話す価値はあるな」
「名前は?」
「……ジェイド。記憶はない。“気がついたら、商会の実験施設にいた”。あそこは……“人を人として扱わなかった”」
ルークスの表情がわずかに引き締まる。
(断章商会の“実験対象”。彼も、あの計画の生き残りか)
「記憶が戻っても、あんたはそれを“受け入れる覚悟”があるか?」
「わからない。けど──忘れたまま、逃げる気もない。“何をされたのか”は、知っておくべきだと思ってる」
その目に、嘘はなかった。
(……こいつは、“過去と戦う覚悟”がある)
「今は宿に仲間がひとりいる。彼女の回復を待って、動く予定だ。……よければ、しばらく同行するか?」
「いいのか?」
「選ぶのはお前だ。“過去に怯えて逃げるか”、それとも──“ここから始めるか”」
ジェイドは一瞬だけ迷い、それから頷いた。
「……始める。“俺自身を取り戻す旅”を」