第11話・第3節「“敵”の顔、味方の影」
夕暮れのギルドは、朝よりも静かだった。
広間のざわめきは減り、酒場スペースでは珍しく飲酒を控える冒険者が多かった。
“何かが起きた後”の空気。人はそれを、無意識に感じ取る。
ルークスとミュリナが再び姿を見せたとき、数人の冒険者がわずかに姿勢を正した。
その中には、かつて侮っていた者もいれば、興味本位で様子を見ていた者もいる。
──だが今は誰も口を開かない。
「……風が変わったわね」
ミュリナがつぶやくように言った。
街の空気は変わっている。だが、それが“どこへ向かって”いるのかは、誰にも分からなかった。
受付に向かうと、別の職員が控えめな声で呼び止めた。
「ルークス様。お一人、お会いしたいという方がいらしてます。……面識はないそうですが、“あなたに剣を託したい”と」
「……名は?」
「……それが、“名乗るには及ばぬ”とだけ……」
ルークスは黙って頷き、示された会議室へと向かう。
その部屋には、一人の男がいた。
年齢は三十代半ば。灰色の外套に、使い込まれた革の鎧。
姿勢は崩れていないが、戦場の空気を纏っている。──剣士のそれだった。
「……ルークス殿。初めてお目にかかる」
「お前が“剣を託したい”と言った男か?」
「ああ」
男は腰の剣に軽く手を添えたまま、正面からルークスを見据えた。
「俺は元・王国騎士団第三中隊、対魔軍監視隊副将──だった者だ。いまは……ただの無籍の旅人に過ぎん」
「その“元”の肩書きで、俺に何を渡す?」
「正義を語る権利だ」
その言葉に、ルークスの眉がぴくりと動いた。
男は続ける。
「この都市ベルゼンは、いま岐路にある。“王都に従属し続けるか”、それとも“独自の秩序を模索するか”。──お前の行動が、その問いを突きつけた」
「俺は別に、政治に関わるつもりはない。ただ、目の前の“おかしいこと”を見逃さなかっただけだ」
「それで十分だ」
男の目がわずかに柔らぐ。
「今、王都の中枢では、“秩序違反者”として君の名が正式に記録された。次の任官会議では、“遠征型排除部隊”の設置も検討されている」
「つまり、俺はもう“敵”として見なされたってことだな」
「そうだ。……だが、それは同時に、“味方”が生まれる土壌でもある」
ルークスがわずかに目を細めた。
「……お前は、どちら側だ?」
「どちらでもない。ただの観察者──だったつもりだ。だがな、昨日のお前を見て、考えが変わった」
男は自らの剣を鞘ごと外し、ルークスの前に差し出した。
「この剣は、“秩序”を信じて抜いた剣だ。だが、腐った命令を守るために振るう気はない。お前が、その剣を“人のため”に使うなら──使ってくれ」
ルークスはそれを手に取ることはしなかった。
「気持ちは受け取る。ただ、俺には俺の剣がある」
そう言って、自らの腰の剣を軽く叩く。
「だが……いずれ、その剣が必要になる日が来るかもしれない。そのときは、迷わず受け取る」
男は口角をわずかに上げた。
「それでいい。……ひとつだけ助言をしよう。“本物の敵”は、表にも裏にもいない。──“内側”にいる」
「自分自身か?」
「いや。“この国に生まれた誇りと、従わねばならぬという諦め”だ」
その言葉は、どこかルークスの“過去”を穿つようだった。
男は静かに背を向け、扉に手をかける。
「君がこの都市で立つなら、俺はその背中を見てみたい。……願わくば、その先に“剣を交える必要のない未来”があることを祈るよ」
扉が閉まる。
ルークスは深く息を吐いた。
その背中に、気配が寄ってくる。
ミュリナだった。いつの間にか扉の外にいたのだ。
「話、聞こえちゃって……ごめんなさい。でも、私も思った。“味方”って、ちゃんと現れるんだなって」
「現れるさ。正しく振るい続ければ、遅れてでも、見つかる」
ルークスは彼女の額に手を添えた。
「敵が見えた。……これからは、狙われる覚悟も必要になる」
ミュリナは一瞬だけ目を伏せ、そして迷いなく頷いた。
「わたし、守ってもらうだけじゃない。支える。ちゃんと、支えになってみせるから」
ふたりの影が並ぶ。
この都市の“動かぬ秩序”に、今確かに、風穴が空き始めていた。