第10話・第3節「解放者、剣を掲げる」
屋敷の裏手、闇に沈む石壁を滑るように移動し、ルークスは風のように侵入した。
隠し通路の存在は読み通り。魔力探知を“回避するように”作られた抜け道だ。
──つまり、それは“罪の道”だ。表から入れない客のために、裏から入る経路。
扉を開けると、ひんやりとした空気が肌を刺す。
内部は静かだった。音はない。だが、空気は腐っていた。
床を軋ませずに歩く。
一歩、一歩ごとに、彼の心が静かに沸騰していく。
──薄暗い通路の奥、装飾を省いた扉の前。
魔力による簡易封印が施されていたが、ルークスの指先がそれをなぞっただけで消滅する。
(雑だな。王都の貴族にしては、“確信”が強すぎる)
扉を開けた。
そこに、いた。
部屋の中央、粗末な椅子に縛りつけられた少女。
光を遮る布が取られた瞬間、ミュリナの目にルークスの姿が映った。
「……ルークス、さん……?」
かすれた声。
だが瞳は折れていなかった。怯えても、濁ってはいない。
「すぐに、解く」
彼が近づいたその瞬間──背後から刃の音が走る。
「不法侵入者。貴様、何者──!」
鋭く吠えた男は、私兵の隊長格。
手には長剣、背には王都の貴族家紋が入った刺繍。──“儀式派”だ。
ルークスは剣を抜かない。
「名はルークス。放浪者。……だが、今この瞬間は“彼女の守護者”だ」
「貴族の命に背くか? 王都の構造に逆らうと、何を失うか分かっているのか?」
「俺は、“誰に仕えるか”で動いていない」
ルークスは一歩前に出る。
「この剣は、“人”を守るためにある。それ以外の命令には従わない」
男が吠えるように切りかかる。
だが、斬撃が振り下ろされる前に、剣が弾かれた。
──空気が裂ける音。
ルークスの指先が一閃し、男の剣の根元を叩いた。
鍔元が砕け、男の体勢が崩れる。
そこに、“意志”を込めた一撃。
剣は抜かず。拳も握らず。
ただ、彼の気配だけが、“戦場”を制圧していた。
「殺しはしない。だが、再びこの部屋に足を踏み入れたなら、そのときは“剣”で答える」
男がうめき声を上げながら、壁に寄りかかる。
ミュリナの縄を解いたルークスは、彼女の手を取る。
「もう大丈夫だ。……遅れて、すまなかった」
ミュリナはかぶりを振る。
「違います。来てくれて、ありがとう。私は……あなたが来てくれるって、信じてたから……っ」
涙が、一滴、落ちた。
ルークスはそれを見て、ただ一度だけ深く頷く。
「行こう。……この都市に、俺たちの“正しさ”を示す」
その瞬間、外の空気が震えた。
──鐘が鳴る。
祭の開幕を告げる、華やかな音色。
だがその裏で、一人の“異物”が剣を掲げた。
この街の秩序に、初めて“本物の疑問”を叩きつける存在が、静かに歩み始めたのだった。