第10話・第1節「王都からの使者と祭事の準備」
その朝、街には妙な“整いすぎた空気”があった。
通りは早くから掃き清められ、露店の喧騒も抑えられている。
兵士たちは街道沿いの門を固め、各所に役人が立ち、住民の出入りを記録していた。
──王都から“使者”が来る。
ベルゼンの住民の間に、そんな噂が流れ始めたのは前夜のことだった。
「巡察使の名目」とされたその来訪には、だが誰もが違和感を抱いていた。
祭事の監査、行政の査問、再整備の布告。理由は曖昧で、内容は伝わってこない。
だが、街が怯え、言葉を潜め始めた時点で、それが“ただの使者”ではないことは明白だった。
ルークスはギルドから戻る途中で、そんな街の変化を肌で感じ取っていた。
馬車の往来が不自然に減り、兵士たちは露骨に“選別された一部の通行人”だけを通している。
(……秩序の装いをまとった締め付け。下手をすれば、昨日の影とはまた別の圧力だ)
宿に戻ると、ミュリナがちょうど食事を終えたところだった。
干した薬草を整えながら、顔を上げる。
「街、なんだか騒がしいですね。門の前にも人が集まってて……」
「王都からの使者だ。表向きは“祭事の監査”って話だが、実際には“何かを持ち帰る”可能性が高い」
「“何か”って……?」
ミュリナの問いに、ルークスはあえて明確な言葉を返さなかった。
代わりに、椅子に腰を下ろして言う。
「お前、今日は一人では出歩くな。ギルドか、この宿の範囲でいい」
「……はい」
素直な返事。だが、その中に“気づいている”気配があった。
ミュリナ自身、自分の存在が都市にとって“ただの旅人”ではないと、感じ始めていたのだ。
昼過ぎ、街では“祭事準備”と称された装飾が始まった。
通りには王国の紋章旗が掲げられ、各商家には整列指導が入る。
祭とは名ばかりの、権威誇示の舞台だった。
そんな中、ギルドの広間では一部の冒険者が不穏な噂を交わしていた。
「……聞いたか? 王都の“南教会商会”が、この街で“特別な儀式の素材”を探してるらしい」
「どうせ、また異種族絡みだろ。ハーフエルフとか、魔族の血とか……」
「それって、“あいつの連れ”じゃ──」
言いかけた声が、視線を感じて止まった。
ルークスが、カウンターで書類を受け取りながら、ゆっくりと振り返っていたのだ。
視線は冷たくはない。だが、ひとつの“線”を踏めば何が起きるか──それを、街の者たちはもう知っていた。
彼の名前は、すでにギルドの中でひとつの“基準”になりつつあった。
不用意に関われば消される。だが、味方にすれば確かな“力”になる。
そして、そんな評価が広がるほどに、ルークスは孤立していく。
──その夜。
街の中央通りに、王都からの馬車が到着した。
金縁の車体、従者を従えた護衛兵。
その中央に座すのは、艶やかな衣をまとい、仮面で半顔を覆った女。
「……予定より“上物”が早く揃いそうですわね」
女が微笑む。
その指先には、紋章入りのリストが挟まれていた。
【対象候補:種別 ハーフエルフ・未契約】
【居住地点:ベルゼン南第三区・臨時宿泊棟】
【名義登録:ルークス(放浪者)】
その瞬間、彼女の笑みがわずかに深まった。
「“秩序”のための贄──それが彼女の役割なら、抗う理由などないでしょう?」
彼女の言葉を、周囲の兵たちは誰ひとり疑わなかった。
街は祭の喧騒に包まれる。だがその裏で、静かに“選定”が始まろうとしていた。