第9話・第3節「地下組織の目と、新たな追跡者」
夜のベルゼンは、昼とはまるで違う顔を見せる。
露店は閉まり、灯火の少ない通りは急速に沈黙へと変わっていく。
ルークスとミュリナは、ギルド支部近くの裏通りを歩いていた。
その道は地図にも記されない分岐路で、昼間は荷車と物乞いが通るだけの路地。だが、今はどこかのぞき見るような視線が感じられた。
「──つけられてるな」
ルークスの声は低く、だが確信に満ちていた。
ミュリナは驚いた様子を隠さず、振り返ろうとしたが、彼が制止する。
「顔を向けるな。……動きが素人ではない」
尾行者は一人ではない。足音を残さず、距離を保ちながら、しかし確実にふたりの動きを“測っている”。
そのまま通りを抜け、人気のない三叉路まで出たところで、ルークスはふと立ち止まった。
「……そろそろ出てきたらどうだ。“用がある”んだろう?」
声と同時に、路地の暗がりから三つの影が現れた。
全員が黒衣。顔の下半分を覆い、武器を抜いてはいないが、殺気を帯びている。
一人が前に出た。中背で、鍛えられた体つき。だが、話し方は穏やかだった。
「ご挨拶が遅れました。私どもは“市民登録外活動体”……いわば、この都市の“影”に属する者です」
「つまり、地下組織か」
「お察しの通り。“裏ギルド”と呼ばれることもあります」
その言葉に、ミュリナがわずかに身を縮めた。
だが、ルークスの態度は変わらなかった。
「目的は?」
「あなたの“動き”に、我々は大きな興味を抱いています。……上層でも、中央でもない。“法と正義”の外から秩序を揺るがす者。実に魅力的だ」
「“協力しろ”と言いたいのか」
「そう硬く考えず。“互いに利益を見出せる関係”になれないかという打診です」
その瞬間、空気が変わった。
ルークスが一歩、前に出た。
「勘違いするな。俺はこの街を変えるために動いてるわけじゃない。“自分が正しいと思うことを通す”だけだ。お前たちがそれを邪魔するなら──」
その言葉の終わりを待たず、ルークスの足元から殺気が走った。
彼の右手は、腰の剣へとかすかに伸びていた。
敵の前衛がわずかに動こうとした、その瞬間――
「……待て」
影の奥から、別の人物が現れた。
長身の女。漆黒のマントを揺らし、顔の半分を仮面で覆っている。
周囲の空気を支配するような静けさを纏っていた。
「申し訳ありません。我が者たちが、少々拙速でした」
ルークスが動きを止めたのは、彼女の“言葉の質”を感じ取ったからだった。
その女はルークスの前に歩み出て、一礼した。
「私は“影の市民議会”の使者。名は──明かせません。ですが、あなたの存在に対する“関心”は、上の者たちの間でも一致しております」
「関心だけで済むなら、これ以上の接触は不要だ」
「……ですが、貴方の連れの方──あの“少女”については、また別の視線が向けられ始めています」
ルークスの瞳が細くなる。
「──どういう意味だ?」
「王都筋の貴族派……とある“商会”が、ハーフエルフの少女を“特定の儀式材料”と見なして動いている可能性があります」
ミュリナの息が止まる。
ルークスは彼女の肩を支えるように寄り添いながら、視線を逸らさなかった。
「その情報が正しいと証明できるなら、報せてくれ。それ以上の“接触”は必要ない」
仮面の女は、静かに頷いた。
「では、また“交差する時”まで」
その言葉を最後に、彼女たちは影のように消えた。
音もなく。痕跡も残さず。
ふたりのもとに残されたのは、闇と──明らかに新たな“脅威の輪郭”だった。
ミュリナが、不安げに声を漏らす。
「……ルークスさん、私……また“狙われる側”になるんでしょうか」
ルークスは答えず、ただ彼女の肩をそっと引き寄せた。
「──守る。それだけは、変わらない」
夜風が、都市の闇を冷たく撫でていた。
この街の“表”と“裏”のどちらにも、彼らの存在が波紋を広げている。