第8話・第1節「選ばれた依頼」
朝の光が石畳を照らし、街の息吹が再び動き始めていた。
ベルゼンの冒険者ギルド支部は、まだ喧騒に包まれる前の、静かな空気を保っていた。
ルークスはミュリナを宿に残し、一人でギルドへと向かっていた。
目的は一つ。情報収集のための“初依頼”の選定だった。
ギルドの掲示板には、紙片がぎっしりと貼られている。
魔物の討伐、素材の回収、護衛依頼、盗賊の追跡──そのどれもが報酬と難易度のバランスを欠いていた。
(……異様に簡単な依頼。逆に、高額すぎる報酬の提示。……裏があるな)
ルークスは静かに一枚の紙を引き抜いた。
【南下層地区における盗賊掃討/報酬:銀貨20枚】
掲示された依頼内容は簡素で、詳細な地図や対象人物の情報も添えられていない。
“掃討”という言葉だけが、必要以上に強く印刷されていた。
(盗賊、か……)
ルークスはその言葉に違和感を覚えた。
正規の兵が動かない地域に、こうした“外注依頼”が回るのは、国家や自治機関が“関わりたくない”対象である証左だった。
受付に戻ると、昨日と同じ赤髪の女性職員が、軽く目を細めた。
「それを選ばれますか? あまりおすすめできません。報告が曖昧で、実際に“盗賊”と確認されていないケースもあります」
「ならば、なおさら行く理由がある」
ルークスは淡々と言った。
「見極める。それが、今の俺の仕事だ」
女性職員はわずかに口角を上げた。
面倒ごとを好む者ではないが、“言葉に覚悟がある者”には敬意を示すタイプのようだった。
「承知しました。南下層区は、城壁の南外縁に位置する旧区画です。記録上、王国認可の管理者は存在せず、住人の正規登録もありません」
「つまり、“人として扱われていない”地域だな」
「……そうです」
職員は声を潜めるように言った。
「この依頼には、あえて“対応不能”の注記が含まれていました。誰も長くは留まらないし、何も変わらない。それが、街の人間の共通認識です」
ルークスは依頼票を受け取り、胸にしまった。
「認識を変える気はない。ただ、真実を見たいだけだ」
それだけを告げて、彼はギルドを後にした。
街はすでに活気づき、人々の足音と声が交錯している。
けれど、ルークスの歩みに迷いはなかった。
この依頼が、彼の中で何かを確かめる“踏み石”になると、どこかで理解していた。
宿へ戻ると、ミュリナは窓辺で植物を仕分けていた。
「……おかえりなさい」
その声に、ルークスは頷いて答える。
「依頼を一つ受けた。南下層地区の“盗賊掃討”だ。だが、俺はそれを“情報調査”として引き受けたつもりだ」
ミュリナは手を止め、顔を上げる。
「危険なんじゃ……?」
「可能性はある。だが、それ以上に“知るべきこと”がある気がする。街の構造。差別の根源。そして、この国の“影”」
ミュリナは数秒沈黙し、やがて静かに頷いた。
「……なら、私も行きます」
「いいのか?」
「はい。昨日より、今のほうが怖くない。私、何がこの国をこんなふうにしているのか……ちゃんと知りたいです」
その答えに、ルークスは言葉なく目を細めた。
ふたりは互いに荷を整え、静かに準備を整えていく。
街の賑わいの裏で、誰も見ようとしない場所へと、ふたりは足を向けようとしていた。