第1話・第2節「魔獣との遭遇」
廃墟の扉を押し開けると、冷気が肌を撫でた。
目の前に広がるのは、鬱蒼とした森だった。無数の木々が入り乱れ、地面は湿り、空は葉に覆われてほとんど見えない。
──音がない。
虫も鳥も、風さえも息を潜めたような静けさ。
あまりに不自然なその空気に、ルークスの全神経が研ぎ澄まされる。
「……何か、いるな」
理由もなく、そう確信した。
剣を抜く。抜刀の感触はまだ慣れないが、手のひらに馴染むその重みは心強かった。
廃墟の裏手から小道が伸びていた。森の奥へと続いているらしい。
足元を確かめながら進む。踏んだ枯葉がくしゃりと鳴るたび、周囲を警戒した。
そして、最初の“気配”は唐突にやってきた。
──ドスッ……ドスッ……
重く湿った地を踏み鳴らす音。草をかき分ける低い唸り声。
次の瞬間、茂みを割って巨大な影が飛び出した。
「っ──!」
灰色の毛並み、血走った赤い双眸。
体長は二メートルを超え、筋肉質な肢体を揺らしながら一直線にこちらへ突っ込んでくる。
──《魔獣:ランクC グラウル》
まただ。脳裏に、まるでゲームのステータス画面のような情報が流れ込んでくる。
敵意、殺意、衝動。魔獣は迷いなくルークスを狩りの対象と見なしている。
ルークスは恐怖を感じなかった。
むしろ──静かだった。
本能が、体を支配する。
剣を構え、左足を引く。呼吸が自然に整い、視界がゆっくりと広がる。
──来る。
魔獣が咆哮を上げ、鋭い爪を振り下ろした。
その爪が届く前に、ルークスの体はすでに動いていた。
剣が閃く。
風を裂き、鋼の軌道が走る。
──ズバッ。
刹那、魔獣の右前脚が空を舞った。
獣の咆哮が絶叫に変わる。
「……本当に、俺がやったのか……?」
そんな疑問が浮かぶ暇もない。
グラウルは片脚で跳ねながら再び飛びかかってきた。
速度は落ちている。だがその分、殺意は濃い。
ルークスは一歩踏み込み、懐へ潜る。
反撃の爪を寸前でかわし、剣を逆手に持ち替え、喉元へと突き刺した。
──ズン。
肉を貫く手応え。
グラウルの巨体がビクンと跳ね、血とよだれを撒き散らしながら、その場に崩れ落ちた。
静寂が戻る。
血の匂い。土に染みる赤。
自分の手で“命”を奪ったという現実が、じわじわとルークスの内側に染み込んでくる。
「これが……この世界か」
自動で剣から血が蒸発し、刃が綺麗に戻る。自浄機能だろうか。
そんな観察をしている自分に、ルークスは苦笑した。
──命を奪って、なお冷静なまま。
それは、この体の性能なのか、それとも――。
「戦えってことだな、神様」
独り言を呟いて、剣を背に回す。
背後で、すでに新たな獣の気配が森の奥から漂い始めていた。
この森は、“試練の場”なのかもしれない。
だが、ならば望むところだ。ルークスは、かつて社畜として死んだ自分の弱さを、もう繰り返さないと決めたのだから。