第6話・第3節「“世界”を前にして、ふたりが選ぶ言葉」
木々がまばらになり、遠くに山並みと青空が広がっていた。
森の終わりだった。
足元には草が生え、陽の光は遮られずに降り注いでいる。
鳥の鳴き声、風のうねり、遠くで流れる川の音──すべてが“外の世界”の気配を持っていた。
ルークスは立ち止まり、肩越しに振り返った。
彼らがいた森は、今や一面の緑に飲まれて、ただの風景と化していた。
「……出たな」
その声は、安堵とも、決意ともつかない静かな響きだった。
ミュリナもまた、背後を振り返った。
「あの森……私にとっては、逃げ込んだ場所だった。……でも、今は」
彼女の言葉が途中で途切れる。
けれど、その続きを語るまでもない。
“そこに戻る理由はもうない”――その想いが、彼女の佇まいに滲んでいた。
ふたりは並んで草原を見つめた。
そこにはまだ誰もいない。だが確かに、社会がある。国家がある。人々がいて、秩序がある。
そして同時に、差別、偏見、陰謀、争いもまたあるのだと──彼らは直感していた。
「……俺たちは、また“選ぶ”ことになる」
ルークスが言った。
「どこに向かうのか、誰に会うのか、何を信じるのか。……そして、どう生きていくのか」
選ぶということは、責任を持つことだった。
それは面倒で、時に苦しく、そして何より“孤独”なことだ。
だが、ふたりはもう“従うだけ”の人生を望んではいなかった。
ミュリナが、そっと言葉を紡いだ。
「ルークスさん……」
彼女の声が、風に消えないように静かに響いた。
「私、名前を呼ばれるのが……ずっと、怖かった。誰かに所有されるみたいで。でも、あなたが呼ぶときだけは……“私がここにいていい”って思える」
ルークスはゆっくりと彼女を見た。
そして、小さく笑った。
「それは、きっとお前の名前が“名前”として扱われてるからだ」
「名前……として?」
「“記号”じゃない。“命令”でもない。“記憶”としてだ。……俺にとって、ミュリナって名は、世界にたったひとつしかない」
ミュリナが、声もなく目を見開く。
「……私も、ルークスという名前が好きです。生まれ変わったような気がしたんです、初めて聞いたとき」
ルークスは空を見上げた。
雲が流れ、空は遠く、広く、どこまでも伸びている。
「この世界は、きっと簡単じゃない。どこかでまた、誰かと戦わなくちゃいけなくなるかもしれない」
「でも、」
ミュリナがその言葉に重ねた。
「一緒なら、きっと大丈夫です」
ふたりは沈黙の中でうなずき合った。
目の前にあるのは、果てしなく続く“未踏の道”。
けれど、ふたりの足は迷っていなかった。
風が吹いた。
それは、森を出た者にだけ吹く、新たな章の始まりを告げる風だった。