第48話 第3節「崩れゆく仮面、交わされる決意」
「ぐ、うぅぅ……!」
聖域の中心に立つ大教主ミスラの身体から、重たく濁った“神性の瘴気”が吹き出していた。それは“祝福”の名を借りた支配の名残――原初の契約が放たれた今、その矛盾は現実を歪め、仮面の奥に隠された“本性”を暴きつつあった。
ルークスたちは距離を取って周囲を囲む。
ミュリナは息を切らしながらも、契約板を抱きしめるように抱え込んでいた。その小さな身体には、神聖魔法による反動と膨大な精神負荷が押し寄せている。
「……もう、隠せはしないか」
ミスラの仮面に、微細なひびが走った。
その声は低く、もはや威厳よりも“後悔”の色が滲む。ルークスは一歩前に出て、問うた。
「……あんた、最初から“神の声”なんて聞いてなかったんじゃないのか?」
沈黙。だが、それが肯定であることを理解するのに、長くはかからなかった。
「私は、教会に拾われた孤児だった。飢え、凍え、絶望の底で初めて“信仰”を知った。そして、信じた。神の教えこそが、すべてを救うと」
ミスラの声は、苦悩とともに紡がれる。
「だが……現実は違った。富める者は祝福され、貧しき者は“信仰が足りぬ”と断罪される。差別、排除、粛清……私は目の当たりにした。“神の名”で行われる数多の罪を」
彼は仮面に手をかけ、ゆっくりと外す。
現れたのは、老いた男の顔。深く刻まれた皺の奥に、確かな“人間”の表情があった。狂信者でも、絶対者でもない――ただ、迷いと傷に満ちた“かつて信じた者”の姿だった。
「私は、それでも救いたかった。少しでも多くの命を。だから、あえて“神”を演じた。恐怖で人々を統制し、血を流すことで秩序を保った……それが正しいと、思い込もうとしていた」
重い沈黙が満ちる。
誰も、すぐに言葉を返せなかった。
だが、ミュリナが一歩、前へと進み出た。
「それでも……あなたが奪った命は、戻らない」
静かだが、揺るぎない声だった。
「でも、もし……あなたが本当に後悔しているなら。これから、私たちと一緒に“償い”を選びませんか」
ミスラは目を見開き、しばらく口を閉ざしていた。
そして、微かに笑った。
「君は……本当に、“聖女”なんだな」
その瞬間、聖域の天井が震えた。
――《神罰執行》、起動。
「しまっ――」
ルークスが叫ぶよりも早く、神殿内の“封印術式”が一斉に解かれた。聖堂中央に設けられた“神機装置”が作動し、上空から《光槍》が降り注ぐ。
「外部の対異端自動防衛機構……ミスラの消失を“異常事態”と判断したんだ!」
セリナが叫ぶ。
ジェイドが後方で結界を展開し、ミュリナを庇う。
「ルークス、急げ!」
ルークスは、一瞬だけミスラと視線を交わした。
「ここは、私が止める……行け。お前たちには、まだ果たすべき役割がある」
「……本当に、それでいいんだな」
ルークスは一度だけ頷いた。そして、仲間たちに向き直る。
「撤退するぞ!」
聖域を包む《神罰》の光の中、彼らは出口へと走った。
後方に残ったミスラの姿が、ゆっくりと両手を掲げる。
「神よ……せめて、最期くらいは……私自身の意志で……」
その瞬間、白光が神殿を包み込んだ。
だが、その中心にあったのは“滅び”ではない。
“誰かの意思”で引かれた、最後の一線だった。