第47話 第9節「崩壊と選択の果て」
黒殻街の上空、神域のドームが軋むような音を立てて崩れはじめた。かつてこの区域を覆っていた“教会の記録結界”は、ゼロスの制御放棄と共にその機能を失い、根本から瓦解していく。
「……間に合った、のか?」
ルークスは呆然と空を見上げる。崩れ落ちる光の欠片は、まるで星屑のように舞い、かつてこの地に刻まれた“記録と審判”の終焉を告げていた。
だが――次の瞬間。
「警告――外部観測反応。“監視眼”接近中」
ゼロスが変化した“青年体”が低く呟いた。瞳に浮かぶのは、王都の遥か上空に出現した巨大な“眼”――それは、中央教会の上位端末であり、教義全体を観測・統括する存在、《監視眼ミスラ》だった。
「まさか、こんなに早く反応するとは……!」
ジェイドが舌打ちする。ミスラの眼は、直接的な攻撃能力を持たぬ代わりに、対象の記録・発言・血統・魔力因子までも解析し、“教義から逸脱しているか”を即座に判定する。
「ここで退くべきです。神域の結界が消えた今、場所も身元も全て“開示”されます」
“囁かれし者”が鋭く警告した。彼女の瞳には焦りはない。むしろ――静かな覚悟が宿っていた。
「この区域はもうすぐ、教会の“浄化部隊”が来る。……でも、あなたたちは行かないといけない。次の、“真実の場所”へ」
「“真聖堂”か」
ルークスの声に、頷く囁かれし者。
「中央聖堂の地下には、かつて神々が交わした“契約書”の写しが眠ってる。表の教義と対になる、“約束の起源”……それが暴かれれば、教会は外装だけの空殻になる」
セリナが唇を噛む。
「でも、それを公表するには、“一国”どころじゃない規模の反発が来るわ。下手すれば、他国の聖王連盟ごと敵に回すことになる」
「構わない」
ルークスは静かに、しかし力強く言った。
「俺たちはもう、選んだんだ。“選ばれなかった者たち”のために剣を取るって」
その言葉に、ミュリナ、セリナ、ジェイド、そしてゼロスまでもが頷いた。
「ルークス。お前の意志に、俺は乗るぜ。命の使い道なんざ、今さら選り好みしてる場合じゃねぇ」
ジェイドが笑う。
「ふふ。まさか、あの森で拾われた私が、こんな場所に立つなんて思わなかったなぁ」
ミュリナがその胸に手を当てる。かつて奴隷だった少女が、今や神の嘘を正す“旗手”になっていた。
――だが、そこへひときわ強い光が落ちてくる。
ミスラの“視認光線”。それは情報を読み取ると同時に、“個人の存在そのもの”を記録台帳に照合・保管する能力を持っていた。
「ルークス!」
セリナが叫ぶ。瞬間、ルークスは《光相の跳躍陣》を展開し、仲間全員を結界転移の陣へと押し込んだ。
「まだ……お前らには、果たす役目がある! ここは俺に任せろ!」
「馬鹿! そんなの許さないわよ!」
セリナが抵抗しようとするが、陣が強制起動する。
「必ず、あとで合流する! 真聖堂で会おう!」
その言葉を最後に、ルークスを除いた仲間たちは、一瞬の閃光と共に転移していった。
――そして、ルークスはミスラと“対峙”した。
宙に浮かぶ“神の監視者”の瞳が、ゆっくりと収束する。その光がルークスを包み込み、全存在情報を読み取ろうとする。
だが、その中心にいたルークスは、確かに微笑んでいた。
「残念だったな。俺の記録には、“始まり”がねぇんだよ」
彼は精神の奥底に封じていた《原初因子》を開放する。
「俺は、お前たちの“帳簿”の外にいる存在だ。そんな俺が一つだけしてやれるとしたら――」
ルークスの全身が、黒と蒼の魔力に包まれる。
「“すべての記録”を、壊してやることだ」
――次節、最終決戦「神無き契約の地」へ。