第47話 第5節「神の器、覚醒す」
神格審判者の仮面の奥から現れた“眼”は、間違いなく人間のものだった。
それは感情を失った死者のように冷たく、同時に深い絶望と怨嗟の色を宿していた。
《――適合率、上昇中。魂連結レベル:第五階梯を突破》
機械音声が神域に響き渡る。ルークスはその言葉に、嫌な予感を覚えた。
「魂連結……まさか、“器”と“神格コード”が同期し始めているのか」
「神が……降臨する?」
ミュリナの問いに、ルークスは静かに首を振った。
「違う。これは“降臨”ではない。意図的な“憑依”だ。生きたまま魂を壊し、そこに神の疑似意識を焼き付ける……神の成り損ないを創ろうとしている」
「そんな……! それって、完全な――」
「――冒涜よ」
“囁かれし者”が低く、だがはっきりと呟いた。
「教会は『神の代理』と名乗りながら、その実、神すら模造し、制御しようとしている。これが……人の業の果てなのよ」
神格審判者の胸部が開き、そこには無数の導線と魔術回路が走る中、半身だけ露出した“人間”が固定されていた。皮膚は蒼白く、髪は既に白濁し、眼球には焦点がない。
「……まだ、生きてる」
ミュリナが震える声で呟く。
「うん、でも“人格”はもう――」
ルークスが言葉を紡ぐよりも早く、神格審判者が動いた。
《――制御権限、上書き。自己思考演算を再定義》
その宣言と同時に、神格審判者の動きが“自律的”なものに変わる。まるで意思を持ったかのように、戦場の空気が変わった。
ルークスは即座に指示を飛ばす。
「ジェイド、右から陽動! セリナ、魔導圧縮弾を中心部へ!」
「了解!」
ジェイドの光矢が虚空を疾走し、セリナの詠唱が高まる。対する神格審判者は、六本の腕をフル稼働し、次元障壁を多層展開。高密度の魔導干渉によって、詠唱の余波すら中和してしまう。
「この反応速度……まるで“戦場で育った戦士”のようだ!」
「違うわ、これは“戦場の記憶”を模倣してるのよ。過去に戦ったすべての戦士の記録を、戦術モデルとして重ね合わせてる!」
“囁かれし者”の言葉に、ルークスは静かに目を閉じた。
そして、右手を前へ出す。
「……ならば、俺も“概念”を上書きする」
彼の足元に、淡い青白い魔法陣が浮かび上がる。
「《全術式書き換えコード――“神格遮断”》」
詠唱と同時に、神域の空気が一変した。神格審判者の動きが、一瞬だけ――止まった。
「効いてる……!?」
「“神”と認識される存在がこの空間で使える“権限”を、再定義した。今だけだ、動きが止まるのは……!」
その隙に、セリナが魔導圧縮弾を放つ。炸裂とともに、審判者の片腕が破砕され、白い破片が飛び散る。
だが次の瞬間、破壊された部位が“逆再構築”を始めた。
「っ、再生まで……!」
「魂を媒介にしている以上、再生も自己修復も可能。だが――」
ルークスの右手が発光した。
「――魂に直接干渉するのは、“この手”にしかできない」
彼の掌に浮かぶのは、黒き印――“影の聖印”。
それは神殿で得た、“真なる教義”を継承した者に与えられる唯一の証。
「魂よ、目覚めろ」
ルークスの声が、神格審判者の“内部”へと染み渡る。
「お前は、人だ。名も、声も、意思もある」
そのとき、仮面の奥にあった“眼”が、一瞬だけ震えた。
――そして、涙を流した。
「……俺は……」
神格審判者の腕が止まり、身体が震える。
「……名前を……思い出せない……でも、でも……あれは……間違ってる……っ」
魂の奥底から絞り出すような声だった。
「そうだ、お前は神なんかじゃない……人間なんだ」
その瞬間、神格審判者の仮面が自壊した。
意識の回復は完全ではなかった。しかし、その“祈りのような言葉”は、確かに“神の器”の奥底に残る“人の心”だった。
ルークスはその光を見逃さなかった。
「……救える」
強く、そう思った。
たとえ相手が“神”と呼ばれようとも。たとえ世界中を敵に回しても。