第6話・第2節「森の境界と“最初の門”」
森の南東は、想像していた以上に険しかった。
木々は絡み合い、根が地面を盛り上げ、湿気を含んだ空気が肌にまとわりつく。
それでもルークスとミュリナは、足を止めなかった。
獣道のような細道を見つけると、ルークスは魔力の流れを読むように進んでいく。
ミュリナもまた、注意深く植物や地形の変化を観察し、進行方向に危険がないかを確認していた。
──二人は、すでに“旅の仲間”だった。
やがて、森の木々が途切れ、開けた視界の先に石造りの遺構が現れた。
半壊した門。崩れた外壁。その中央には、苔に覆われながらも厳かな佇まいを保つ台座があった。
「……ここだ。王国の境界、“第七封印監視門”」
ルークスが呟く。
かつて一人で訪れたときには気づかなかった魔力の変動が、今はよりはっきりと感じ取れる。
近づくと、台座の中央に埋め込まれた魔石が、微かに光を灯した。
同時に、背後の茂みが不自然にざわめいた。
「止まれ!」
鋭い声が森に響いた。
草陰から現れたのは、王国の紋章を掲げた鎧姿の兵士たちだった。
三名。全員が剣を抜き、警戒を崩していない。
「この地はヒュベルノ王国の監視区域。正体不明の者は立ち入りを禁ずる」
ルークスは一歩前に出て、両手をゆっくりと上げた。
「敵意はない。俺たちは森の中で目覚め、こうして境界に辿り着いただけだ。名はルークス。放浪者だ」
兵士たちの視線が鋭くなる。
その中の一人が、ミュリナを見てわずかに目を細めた。
「その女……耳が尖っているな。種族は?」
ミュリナが身を縮めるようにして、ルークスの背に隠れた。
その仕草に、兵士の表情がわずかに歪む。
「ハーフエルフか。──なるほど、奴隷落ちから逃げてきた口だな」
無遠慮なその言葉に、ルークスの瞳が鋭く光る。
「……“人をどう見るか”は、その人の本質を語るものだ。少なくとも、お前のそれは“兵”の品性ではない」
剣の柄に手をかけた兵士に、隊長格と思われる男が手を挙げて制した。
「やめろ。……この男、只者ではない」
隊長はルークスをじっと見据えながら言った。
「放浪者……と名乗ったな。だが、動きが静かすぎる。足跡ひとつ残さず、気配もほとんど感じなかった。……軍出身か、それとも裏か?」
「どちらでもない。過去は捨てた」
ルークスの返答に、隊長は唇の端を持ち上げた。
「そうか。“放浪者”か。いい名だ。……だが、我々にも立場がある。この接触は、しかるべき者に報告せねばならん」
隊長は視線を外し、部下に目配せした。
「お前たちは一度ここを離れろ。ただし、以後の監視は続けさせてもらう」
ルークスは頷いた。
「構わない。俺たちも、この世界がどうなっているのかを知りたい。それが“接触”の対価なら、受けよう」
隊長は剣を納めると、軽く礼をして背を向けた。
兵士たちもそれに続き、森の中へと姿を消していった。
──静寂。
ルークスとミュリナは、その場にしばらく佇んでいた。
緊張の余韻が、肌にまとわりついていた。
やがて、ミュリナがぽつりと呟いた。
「……私、あの言葉、怖かった。でも……背を向けなかったルークスさんの背中を見て、私も怖がるだけじゃいけないって思えました」
ルークスは目を細め、彼女の頭を優しく撫でた。
「お前が俺の背にいてくれたから、俺は剣を抜かずに済んだ。ありがとう」
ふたりの間に、言葉より深いものが流れる。
そして、ルークスは遠くの空を見上げる。
「行こう。──この森の外に、本当の“世界”が待っている」
ミュリナがうなずく。
ふたりは、風に揺れる草原の向こうへと足を踏み出した。
それは、ただの旅立ちではなかった。
それは“選んで生きる”という、ふたりの新たな生き方の始まりだった。