第45話 第10節「偽神たちの黄昏、そして選ばれざる者の夜明け」
世界は今――“命題の衝突”によって、真に姿を変えようとしていた。
《真王印章》によって打ち立てられた「選別と支配の世界構造」。
それに抗い、ルークスが投じた「共存と自由の命題」。
二つの因果が並列に存在し、激しく火花を散らすこの空間は、“確定してはならぬ世界の中心”、《因果干渉点》と呼ばれる構造特異領域へと変質していた。
空間には、色という概念すら崩れかけている。
地も天も存在せず、理性も常識も断片となり、ひたすらに“意志”だけが響き合う。
《概念擬神:セレクター》は、まだ消えてはいなかった。
その姿は先ほどよりも不定形で、空間の揺らぎと融合しながら形を保っている。
それは意思というよりも、“概念”そのものに近い。
支配、選民、淘汰、純血――この世界を覆っていた“歪みの根源”が、ルークスの“希望”に押し返されながらも、なお必死に食い下がっている。
「お前が語った“選別の正義”はもう通らない。ここまでだ、セレクター」
ルークスの声は、世界そのものに染み込むように響いた。
《セレクター》の輪郭が揺らぎ、“言語”すら断片化される。
>「──なぜ……お前たちは、弱き者に……価値を、見出す……」
ルークスはその問いに、即答した。
「弱さは、強さの芽だ。誰もが最初から強いわけじゃない。誰かに助けられ、時に間違い、そして――それでも前を向く。そこにこそ、人の尊さがある」
その言葉に呼応するように、断章輪が再構築される。
ただの知識や記録ではない、“生きた意思”が、形を得ていく。
セリナの祈りが届く。
ジェイドの剣が空を裂く。
ミュリナの言葉が、闇の狭間に光を刺す。
彼ら一人ひとりの“選ばれなかった記憶”が、《因果干渉点》に刻み込まれていく。
ルークスは歩を進める。
「セレクター。お前の世界では、俺たちは生きられない。だが、俺たちの世界には……お前すら受け入れる余白がある」
その瞬間、セレクターの外縁が揺れ、黒い煙のような外殻が剥がれ落ちる。
そこから現れたのは――意外な姿だった。
それは、かつて王都の聖堂で“異端者”として処刑された名もなき少年の姿。
《セレクター》とは、教会の“選別思想”が彼に与えた絶望から生まれた負の集合体だったのだ。
信じた神に裏切られ、虐げられ、無念に命を落とした少年の意志が、長きにわたって“概念の獣”へと昇華されたもの。
「……君は、あの日……」
ミュリナが膝をついて言葉を失う。
彼女がかつて聖歌隊の見習いだった頃、処刑されたその少年の姿が脳裏に焼きついているのだ。
「俺は、忘れないよ。お前の痛みも、怒りも、悲しみも」
ルークスは、その少年の頭に手を伸ばす。
あまりに危うい行為。だが――もう、彼は迷わなかった。
少年の眼に、ひとすじの涙が流れ落ちる。
それと同時に、黒煙が弾けるように消えた。
世界が、収束を始めた。
断章輪は光を増し、《因果改竄》は終息に向かう。
そして、世界は一つの結論へとたどり着いた。
――「誰もが存在する意味を持つ」
それが、“新たな命題”として定義された。
空は再び蒼を取り戻し、崩れかけた王都の輪郭が修復されていく。
セリナが胸元の祈り印に手を添える。ミュリナは祈るように瞳を閉じた。
ジェイドが剣を地に突き立てて言った。
「……勝ったな」
ルークスは静かに頷いた。
「いや。ここが、始まりだ。すべての“選ばれなかった者たち”が、やっとスタートラインに立てる世界のな」
風が吹いた。
その風は、王都全体を包み込むように、優しく、温かかった――