第45話 第9節「因果領域決戦:因果改竄阻止戦」
“世界”が――否、“歴史そのもの”が軋みを上げていた。
《真王印章》による因果律の強制改竄が開始されたことで、王都の空に浮かぶ断章輪は、徐々に色を失い、崩れかけていた。
空間は上下左右の区別を失い、建物は古びたり新しくなったりと“過去と現在と未来”が混濁し、世界の“姿そのもの”が不定形になっていく。
――それは、人の認識に依存せず、理を“定義しなおす”力。
《真王印章》が掲げた新たな“世界の前提”は、こうだ。
>「神は選民のみを愛し、信仰なき者は生まれるべきではない」
この“言葉”が“定理”となり、あらゆる命に再定義が走っていく。
「ルークス……急がなきゃ、このままじゃ“存在そのもの”を奪われる!」
黒殻街の神殿の奥、セリナが震える声で叫ぶ。
彼女の周囲に、かつて救ったはずの村人たちの幻影がちらつき始めていた。
記憶から“救済された事実”が塗り替えられようとしているのだ。
「問題ない。今、因果の深層へと降りている」
ルークスの意識は、もはや“地上”にはない。
彼の立つ場所――それは《因果基盤層》と呼ばれる情報構造の最深域。
“存在”と“意味”の紐帯そのものを編み上げている根本層。
そこにおいて、彼はただ一人、無数の“歴史の可能性”と対峙していた。
「……来たか」
彼の前に現れたのは、黒い外套を纏った“影”。
それは人の形をしていながら、顔のない存在――
《概念擬神:セレクター》。
“真王印章”に宿る意思。人類に“選別”という概念を与えた始原の分岐点にして、教会が最初に契約を結んだ“思考存在”そのもの。
《セレクター》は声なき声で語る。
>「均質は腐敗を呼ぶ。差異こそ進化を導く。ゆえに、選ばれし者のみが生きるべきである」
「その理屈に正義はない。ただの――怠慢だ」
ルークスは静かに応じる。
「違いを受け入れる努力を、“自然淘汰”の美名で放棄するな。俺たちは選ばれたから生きるんじゃない。生きるから選ばれるんだ」
《セレクター》が動いた。
それは剣ではない。
“言葉”そのものが“定理”として襲いかかる。
>「弱者が淘汰されるのは自然の摂理」
その言葉が発せられた瞬間、ルークスの左腕が消失する。
“弱者は生きていてはならない”という因果が発動し、“過去に一度でも敗北した自分”の肉体情報が削除されたのだ。
「――だが、俺は立ち上がった。何度でもな!」
断章輪が輝き、再構築が発動。
“敗北した事実”の先に“再起した意味”が付加され、左腕が再生される。
《セレクター》は次の一手を繰り出す。
>「愛は、選ばれし者にのみ許される感情」
空間が裂け、ルークスの記憶から“ミュリナの笑顔”が剥ぎ取られていく。
だが――
「ミュリナが俺を想ったのは、選ばれたからじゃない。俺が彼女の孤独に手を差し伸べたからだ」
断章輪が再び拡がり、記憶が再結合する。
ミュリナの温もり、声、涙――そのすべてが“記憶ではなく、真実”として輝きを取り戻した。
ルークスは手を前に掲げる。
「行くぞ。“選ばれなかった者たち”の声を背に、俺が世界を塗り替える!」
因果環が再構成される。
《ゼロ・クロニクル》――あらゆる未来と過去を統合した意志の輪。
その中央に、“希望”の概念が固定された。
「《命題更新――“誰もが在ってよい世界”》!」
断章輪が輝き、ついに――《真王印章》の因果上書きに対抗する“最終命題”が世界に発信された。
空が、裂ける。
情報の海が爆ぜ、歴史の縫合線が軋む。
それは“存在の争い”――神々ですら見たことのない、“意志と意味”の決戦だった。
この世界がどちらに転ぶか、あと一手。