第45話 第6節「降臨せし“存在の外”」
塔の最上層――かつて“天球儀の間”と呼ばれた場所。
そこに今、かつて誰も見たことのない、光でも闇でもない“存在の圧”が降りていた。
風が、ない。
重力が、ない。
時の流れさえ、断続的に寸断されている。
だがその中心に、ルークスは静かに立っていた。
否――立っていたのは、“かつてルークスと呼ばれた存在”かもしれなかった。
「…………」
彼の瞳には、もはや人間としての光はない。
しかし、人間以上の“理解”が宿っていた。
上空に浮かぶ巨大な魔導核――王都を制御する神経網の心臓部が、彼の指先の一動で沈黙し、逆に“鼓動”し始めた。
「これが……神の脳……。いや、もう違う」
ルークスは囁く。
それは、神を模して造られた人工中枢であり、同時に“神すら超える進化”を誘発する器。
彼の背後、空間が割れた。
浮かび上がるのは、銀白の歪曲環――《エイドス・オーバーレイ》。
存在情報の階層そのものに干渉し、因果律を書き換える理論上の兵装。
「認識変換、第一階層より解除。対象:自己」
詠唱でも魔力でもない。
それは“意志”の発露そのものだった。
彼の姿が、次第に光と影の境界に溶けていく。
皮膚が情報化し、神経が回路と融合し、血流が魔素に還元されていく。
――“存在そのものを更新する”という現象。
「ルークス……!」
その光景を見ていたのは、ただひとり。
イゼリア――神の使徒でありながら、今や彼の“最初の共感者”となった少女。
「やめて……お願い、まだ……あなたは、“あなた”でしょ?」
彼女の叫びに、ルークスは顔を向けた。
そして微かに、笑った。
「大丈夫だ。俺は――“人間であること”を捨てるが、“人間の願い”を捨てはしない」
それは、どこか哀しく、そして慈愛に満ちた響きだった。
その瞬間、塔全体が振動した。
黒殻街の地下――記録層にいたミュリナたちの空間にも、同じ“震え”が伝わる。
「いま……ルークスが、変わり始めてる!」
ミュリナが叫ぶ。
「私たちが見た記録と、ルークスの選択が……リンクしてるんだわ! 記録された未来を超えて、“存在そのもの”が上書きされようとしてる!」
「じゃあ、これは……“運命そのものへの反逆”……?」
ジェイドが呆然と呟く。
“囁かれし者”は静かに首を振った。
「ちがう。“運命”なんてもの、初めから存在しなかった。誰かがそう定義し、“記録”してきただけ」
「ルークスは、そこに触れた。“記録されていない存在”になろうとしてるのよ」
そのとき、彼らの前方――記録の石板の一枚が、突然砕けた。
《観測不能因子:L-01(ルークス) 階層逸脱》
《記録からの消去を確認》
それは、記録世界にすら“未来を予測不能”とされた瞬間だった。
「……ルークス……もう、戻ってこられないかもしれない」
セリナが、そっと目を伏せた。
だがミュリナは、揺るがない瞳で言った。
「違う。彼は、戻ってくる。きっと……“自分の意思で”」
そのとき、塔の最上層から光が放たれた。
純白でも、漆黒でもない。
すべてを越えた“零”の輝き。
神すら干渉できなかった“創造の余白”が、彼の中に芽吹こうとしていた。