第45話 第5節「黒殻街・最終幕:封印されし記録の鍵」
ルークスが空を翔けたその瞬間――塔の地下、封鎖された記録層では、もう一つの“扉”が開かれようとしていた。
「これが……“始源領域”への鍵……?」
ミュリナが、今までに見たどんな魔法陣よりも複雑に編まれた紋章を前に、声を震わせる。
それは神殿の奥深く、黒殻街の最下層に封じられていた“真なる記録格納庫”――禁忌の魔法理論と、原初の神々の演算構造が保存された場所だった。
「開くぞ。これを見過ごすわけにはいかない」
ジェイドが前に出て、ルークスが託していった《刻印石》を魔法陣の中央に置いた瞬間――空間が崩れ、目の前に“次元の裂け目”が出現した。
「っ――! この感覚……時空魔術すら歪める……!」
セリナが反射的に魔力障壁を展開する。が、それは全く意味をなさなかった。
空間のゆらぎそのものが“概念として干渉”してくる。これは、通常の魔法では対応不可能な次元だ。
裂け目の奥に、浮かぶ石造りの聖堂のような空間がある。内部には、天井まで届く巨大な記録石板が並び、それぞれが発光しながら数千の魔術式を自動演算していた。
「……これ、全部が“情報”?」
ミュリナの瞳が大きく見開かれる。
「ちがうわ。これは……未来視。正確には“事象生成の分岐記録”」
“囁かれし者”が神妙な顔で呟いた。
「この場所は……“神”が人類を観測していた記録装置。無数の未来、無数の選択肢、無数の結末がここに残されている」
「じゃあ、この中に……この世界がどこで狂ったかの“答え”が?」
「ある。でも……見たら戻れない。自我が壊れるかもしれない」
その言葉に、一瞬、沈黙が落ちた。
だがミュリナは――恐れなかった。
「私は……見たい。知りたい。私たちが立ち向かっているものの正体を」
小さな決意だった。けれど、その背には“聖女”としてではなく、一人の人間としての覚悟が確かに宿っていた。
「だったら、私たちも同行する」
ジェイドが肩を竦める。セリナは無言で杖を掲げ、光を放った。
彼らが一歩を踏み出すと、空間そのものが変質し始める。光がねじれ、音が凍り、重力が消える。
そして――“それ”は、姿を現した。
《幻装録書体》。
記録世界の守護者にして、かつて神に仕えし“概念写像生命体”。
「あなた方は、“記録へのアクセス権限”を持ちません」
“それ”は、無機質な声で警告する。
「……通してもらう。俺たちは、“記録されるだけの存在”じゃない。“未来を変える存在”なんだ」
ジェイドの声に、わずかにアーカイヴの瞳が揺れる。
「……ならば、問おう。“この世界を、なぜ救いたいのか”」
その問いは、空間に響くのではなく、“魂”に突き刺さるような響きだった。
セリナが応じた。
「だれかの命が、“数字”や“記録”なんかで測られてたまるもんですか。私は――人を信じたい。信じた世界を、未来に遺したい。それだけです」
“概念”の番人が、しばし沈黙し――やがて、ゆっくりと道を開いた。
「承認。あなた方は“観測者”から、“創造者”へ移行する資格を持つ」
石板が開かれる。
そこには、ある名が刻まれていた。
《ルークス・オリヴィエ》――“概念神格昇格候補”
ミュリナの息が止まる。セリナもジェイドも、凍りついた。
「まさか……ルークスって……人間じゃ……」
“囁かれし者”が、わずかに唇を震わせた。
「違う。彼は……もう“人間”じゃない。“人間であり続けようとする、唯一の概念体”よ」
その瞬間、地下の記録空間に激震が走った。
塔の上空、ルークスの魂が今まさに“因果を越えて跳躍”しようとしていた。
真実は、すべてを貫いていく。