第5話・第3節「ルークスの過去との対峙」
廃墟に戻ったとき、空はすでに赤く染まり始めていた。
森の風が穏やかに吹き抜け、枝葉がやさしく揺れている。
ルークスは息を整えながら、見慣れた石造りの門柱をくぐった。
焚き火の前に、ミュリナがちょこんと座っていた。
彼女はすぐに彼の気配に気づき、顔を上げた。
その瞳が光を帯びる。
「……おかえりなさい」
たったそれだけの言葉だった。
けれど、そこには“信じて待っていた”という想いが込められていた。
ルークスは無言でうなずき、荷物を下ろす。
「何か、あった?」
「……外に“王国”の痕跡があった。ヒュベルノ王国。おそらく、この大陸を統治する国家の一つだろう」
ミュリナの目がわずかに揺れる。
その名前に、微かな記憶でもあるのかもしれない。
ルークスは続けた。
「森の奥に石碑と封印の痕跡があった。あそこは“境界”だったんだ。つまり、俺たちは世界の端にいるわけじゃない。“中心”の外れにいるに過ぎない」
ミュリナは静かに話を聞いていた。
「……つまり、いつかこの森も“誰かの手”が伸びてくる可能性があるってこと?」
「そうだ」
ルークスは焚き火に枝をくべる。
火花がはぜ、ぱちりと音を立てた。
「……俺は、また逃げるのかもしれない。あるいは、もう一度“戦う”のかもしれない」
ミュリナはその言葉に、黙って首を横に振った。
「逃げるのも、戦うのも……全部、ルークスさんが“選んだ道”なら、私はそれに従う。……でも、勝手に一人で背負おうとしないで」
その一言に、ルークスの手が止まった。
焚き火の火が、彼の横顔を照らす。
少しだけ、苦い笑みが浮かぶ。
「……俺は、逃げてきたんだよ。前の世界でも、ここでも」
その告白に、ミュリナは何も言わなかった。
ただ、彼の言葉が終わるのを静かに待っていた。
「ブラック企業って言葉、知ってるか?」
ミュリナは首を振った。
「言葉は知らなくていい。だが……そこにいた俺は、人間として“死んでいた”。感情も、夢も、誰かとの繋がりも――全部が麻痺してた」
ルークスは火を見つめる。その瞳には、かつての自分が映っていた。
「俺はただ、命令に従って働いて、毎日ボロボロになって、それでも文句ひとつ言わなかった。“そうすれば認められる”って思ってたから」
彼は小さく笑った。
「でも……ある日、倒れた。駅の階段で。そんで、目が覚めたら、森の中だった」
ミュリナの手が、そっとルークスの腕に触れた。
「今、ここで生きてるじゃないですか」
その言葉が、胸に染みるように届く。
彼女の瞳に、憐れみはなかった。ただ、尊重と、共に在ろうとする意志だけがあった。
ルークスは、ゆっくりと目を閉じる。
「……あの世界じゃ、誰かと焚き火を囲んで、話すなんてありえなかった」
「でも、今はしてる」
ミュリナの言葉に、ルークスの表情がほぐれていく。
「不思議だよな……。ただ話して、火を見て、誰かが隣にいるだけで、“生きてていいんだ”って思えるなんて」
「それでいいんだと思います」
ミュリナは微笑んだ。
その微笑みは、森の静寂よりもやさしく、確かに彼の傷に触れてくれた。
この世界には魔物がいる。戦いもある。危機もある。
それでも、“心を共有できる誰か”がいれば、きっと人は前に進める。
ルークスは剣を見つめ、そして再び焚き火に目を戻した。
「ミュリナ。お前がいてくれて、よかった」
「はい。……私も、そう思ってます」
ふたりの影が、焚き火の中で寄り添っていた。
過去と向き合った夜は、やがて明日へと続いていく。