第38話・第1節「“真聖堂”への進軍準備」
夜明けとともに、バルズ砦には静かな熱気が漂っていた。
この古びた砦は、ほんの数日前まで「忘れられた要塞」にすぎなかった。だが今は違う。ここには意志ある者たちが集い、己の誓いと希望を胸に、次なる戦へ備えていた。
ルークスは砦の北棟、元は兵舎だった石造りの建物を臨時の司令室として使い始めていた。そこでは数人の信頼できる兵士と、エレシア、ジェイド、セリナ、そしてミュリナが顔を揃えている。
「“真聖堂”への進軍は、三日後。兵站の確保と同時に、離反した聖印保持者たちとの連携を急ぐ必要がある」
ルークスの声は冷静で力強かった。
彼の前には、真聖堂周辺の地図が広げられている。王都中央部に位置する聖堂の周囲には、大小の巡礼路、そして幾重にも配置された神聖防壁が存在していた。
「神殿区画は、教会直属の“聖槍騎士団”が守っている。彼らは信仰の盾を名乗り、民の命を盾にしてでも正義を執行する連中だ。正面突破は自殺行為に等しい」
「じゃあ、どうやって近づくのさ?」
ジェイドが組んだ腕を解き、地図の南西部を指差した。
「ここの“香炉の塔”から地下に繋がる導線、使えるんじゃねえの?」
「その情報は確かか?」
「教会に潜入してた俺の仲間からの伝言だ。香炉の塔は“浄化儀式”のために地下と繋がってる。その経路なら、本堂の地下礼拝堂へ抜けられる可能性がある」
「……なら、そちらを軸に動こう」
ルークスは頷き、手早く作戦図を修正していく。
「ミュリナ、セリナ。君たちには“信仰者たちへの伝達”を頼みたい。真実の教義を記した書簡をもとに、“教会の内側”から心を動かしてほしい」
「わかりました」
ミュリナは静かに頷いた。
だがその瞳は、燃えるような決意に満ちていた。
「この教えは、私たちだけのものじゃない。……私が“奴隷”だったあの日、誰かに救われたように。今度は、私が救う側になる」
セリナも彼女の肩に手を置き、静かに続けた。
「信じるわ、あなたの言葉を。あなたが“信じた教え”を」
その言葉は、かつて聖騎士として教義に従っていたセリナだからこそ、深い意味を持っていた。
「さて……」
エレシアが椅子の背に手をかけ、場を見渡す。
「我々が持つ“切り札”は三つ。
一つ、“始源の聖典”――教会の虚偽を暴く“真の教義”。
二つ、地下経路の存在。
三つ、“我々自身”だ」
ルークスは頷き、まとめるように言った。
「真実を知る者、自由を信じる者――その意志こそが、最大の武器だ。
俺たちは、この砦から“戦い”ではなく、“解放”を始める。……すべての信仰者と、まだ名前を持たぬ人々のために」
静かな拍手が広がる。
それは威勢ではなく、誓いの証。誰もが、自分の居場所と役割を見つけ始めていた。
その夜、バルズ砦の高台からは、三つの狼煙が上がった。
東は“真聖堂”への宣言。
南は“離反者の招集”。
そして西は、“民への希望”の灯。
ルークスはそれを見届け、ミュリナと並び立った。
「次は、本当の夜明けだ」
「ええ。世界が、“偽り”から目を覚ますときが来たのね」
ミュリナの声には、もはや迷いはなかった。