第37話・第2節「黒冠の女将軍との対話」
バルズ砦を目前に、ルークスたちは一時、戦線を張ることなく、静かに“招かれた”。
砦から差し出された使者は、あまりにも異様な雰囲気を持っていた。
全身黒衣、顔は仮面。言葉少なく、「女将軍エレシアが謁見を望む」とだけ伝えた。罠の可能性は否定できなかったが、ルークスは首を縦に振った。
「ここまで来て退く理由はない。真実を握るのは、我々か――それとも彼女か」
王国軍の護衛を後方に控えさせ、ルークス、ミュリナ、ジェイド、セリナの四人は砦へと足を踏み入れた。
砦内部は、まるでかつての“聖堂”のようだった。
石壁には古代文字で刻まれた格言、そして至る所に“光と影の均衡”を表す意匠が彫り込まれている。
「……教会よりも“神聖”ね」
セリナが皮肉交じりに呟くと、奥から声が響いた。
「歓迎するわ。“真理を求めし者”たちよ」
現れたのは、黒いマントを羽織った女性だった。
その瞳は夜のように深く、しかし確固たる“覚悟”の光をたたえている。
「黒冠のエレシア。元・魔王軍参謀。現在、この地の“守人”」
彼女は堂々と名乗り、ルークスの目を正面から見据えた。
「貴方が……ルークス・シノノメね。ずっと、噂は聞いていた。真なる教義を知り、教会の欺瞞を暴こうとしている――異端の“希望”だと」
「皮肉な呼ばれ方だな。君こそ、“魔王を裏切った裏切り者”として記録されていたぞ」
「ええ、そうね。でも裏切ったのは私ではない。理想を捨て、選別と憎しみに溺れた魔王こそが“本質を裏切った”のよ」
エレシアの声音には怒りも恨みもなく、ただ“諦念”が滲んでいた。
「私は理想を貫いた。ただ、それだけ。でも世界は、理想より現実を求めた。だから私は“影”に退いた。もう、世界を変える意志もなくなっていたの」
「じゃあ、なぜ今になって旗を掲げた?」
ルークスの問いに、彼女は目を伏せて微笑んだ。
「君たちが現れたからよ。希望は、時に凶器になる。だが、同時に火種にもなる。私は、その火がこの“廃れた北”に届くのを待っていた」
ミュリナが一歩前に出た。
「なら……一緒に立ちませんか? この世界を、偽りの教えから救うために」
その言葉に、砦の空気が一瞬、張り詰めた。
「……まだ若いのね、あなた」
エレシアはやわらかく笑ったが、その笑みには重みがあった。
「世界を救う、という言葉が、どれほど人を狂わせ、傷つけてきたか。私は嫌というほど見てきた」
「それでも、ルークスはそれを望むのよ」
セリナが毅然と言う。
「彼は、王族でも聖職者でもない。“ただの人間”としてこの世界を選んだ。だからこそ、私たちはついていくの」
エレシアは沈黙した。やがて彼女は祭壇の奥へと手を伸ばし、一冊の黒い文書を取り出す。
「これが、王都中央教会の“背骨”――“印章の核”に関する禁書よ。奪ったのではない。私がかつて“封印した”もの」
ルークスがそれを受け取ると、彼の視界が一瞬揺れた。
そこに記されていたのは、“聖印”の真の起源と、それが“人を選別し、支配する”ために作られた人工魔導印であるという事実だった。
「つまり、教会は“神の力”を偽り、国家を操る道具として運用していたのか……!」
ジェイドの拳が震える。
「これを公にすれば、王国も教会も、正統性を保てなくなる」
「ええ、だから貴方たちに託すわ。私の時代は、もう終わった。だが貴方たちには、まだ“未来”がある」
エレシアは振り返らずに言った。
「バルズ砦は貴方たちのものよ。必要ならば、ここを拠点として動けばいい。私たちは“第二の盾”となる。正面に立つのは、もう……貴方たちの世代なのだから」
それは、かつて“理想”を掲げた者が、未来に託す最後の言葉だった。
ルークスは深く頷き、文書を懐に収める。
「ありがとう。……俺たちは、必ず答えを出す」
その夜、砦には初めて焚き火の灯がともった。
それは、かつての“絶望の象徴”に宿った小さな“希望の火”だった。