第36話・第1節「真聖堂への道、決起の刻」
夜明け前の王都は、不気味なほどに静かだった。
普段なら市場の搬入や巡回の衛兵たちが賑やかに動き始める時刻。しかし今は、通りに人影すらない。
中央教会の発令した《戒厳》によって、市民たちは自宅に押し込められ、王都全域が緊張に包まれていた。
だが、その静寂の裏で、密やかな決起が始まっていた。
「ルークス、準備できたよ」
ミュリナが駆け寄ってきた。軽装に見えるが、布の内側には魔力制御布が仕込まれており、彼女の治癒術式を最大限に引き出せる構造になっていた。
「ありがとう。回復役はお前しかいない。無理だけはするな」
ルークスはミュリナの肩に手を置き、確かめるように眼差しを交わす。
その視線には、戦いの前の決意だけでなく、深い信頼と情が宿っていた。
一方、塔の最上階では、セリナとジェイドが作戦の最終確認をしていた。
「王都南東区の聖堂裏から侵入する。中央教会が“西門の異端反乱”に戦力を集中している今なら、突破の可能性が高い」
ジェイドは地図の上に小さな魔力石を並べながら、ルートを指し示す。
「ただし、問題は“聖紋結界”だ。真聖堂の周囲には、強力な拒絶の魔術障壁が展開されている。普通の魔術士では解除どころか、近づくことすらできない」
「だからこそ、私の“古代記録解読術式”が必要なのよ」
セリナは胸元から細長い巻物を取り出した。それは“囁かれし者”から託された、《第一世代聖典》の複写だ。
「これを用いれば、教会の“選民印”とは異なる信仰回路を一時的に上書きできる。中央装置に干渉し、“民衆への情報送信”を強制的に起動することも理論上は可能」
「つまり、突入と同時に“真実”を流し、民衆の目覚めを誘導する作戦だな」
「……成功率は低い。でも、可能性はある」
重い沈黙が一瞬、部屋を包んだ。
しかし、次の瞬間。
「だからこそ、やる価値があるってことだろ」
ルークスの声が、その場の空気を切り裂いた。
「命じられて生きる時代は、もう終わりにしなきゃならない。選ぶのは、神でも王でもない。“自分たち”だってことを、示すんだ」
仲間たちは頷いた。
その瞬間、塔の外――
「ゴォオオオ――――!!」
轟音と共に、地を這うような振動が押し寄せた。
遠方、王都西門方面の空が燃えていた。教会軍と義勇軍の衝突が始まったのだ。
「時間がない。こっちの奇襲も、同時に始めるぞ!」
ルークスが叫ぶと同時に、各自が決められた役割へと散っていく。
ジェイドは武装部隊を率いて南東から突入、セリナは聖堂内の通信術式を掌握し、ミュリナは内部で傷ついた仲間たちの治癒と避難を担当。そしてルークス自身は、真聖堂の中心へと突き進み、《神声演壇》を奪取する役目を負っていた。
階段を駆け下り、裏路地を走るルークスの胸中に、様々な思いが交錯する。
かつての自分――社畜として、ただ命じられたことをこなすだけの人生。
そこには、意志などなかった。ただ、生き延びることだけを目的とした“機械”のような日々。
「でも今は違う……俺は、自分で決めたんだ」
足を止めた先、王都の中心へと続く道の先に、真聖堂の尖塔が見える。
――それは信仰の象徴であり、欺瞞の中枢でもある。
「すべての命が、選べる世界を――」
ルークスの眼が、焔のように燃えた。
そして、その瞬間。
空が、揺れた。
王都全体を包む巨大な術式結界が発動し、“真聖堂の意志”が動き始める――
だが、ルークスたちの決意は、すでに揺るがなかった。
その歩みは、真実の扉を開くための“革命”そのものだった。