第35話・第3節「真なる神意の選択」
夜の王都。その中心に浮かび上がる崩壊しかけた召喚陣。その余波で空間に生じた歪みから、“それ”は出現した。
巨大な翼。無数の目。口では表現できない存在感。それは“神”と呼ぶにはあまりに異形だった。
「これは……まさか、“上位存在”そのものが……!?」
ルークスは目を見開いた。召喚されかけていたのは、神々の座より堕とされた旧き存在、《災禍の記録者》――虚空に囁きを刻む存在。
「まだ……完全には顕現していない! だが、このままじゃ!」
ミュリナの詠唱が急き立てるように続く。彼女の張った防御結界は、今や熱と圧力で軋みをあげていた。
「“それ”は喋ってない。だのに……頭に、直接――!」
ジェイドが呻きながら頭を押さえる。
《問い:この世界の理を誰が裁くか》
意識の内に直接注ぎ込まれる声。冷たい知性と全知的無感情が入り交じる。
「精神に……干渉されてる……!」
ルークスは手を構えた。《深層遮断結界式》。己の記憶領域を遮断し、存在への介入を防ぐ古術式だ。
しかし、その直後。
《応答:“裁き”の資格、汝らにあるや否や》
問いかけは続く。選別。それは人間を――いや、“命”という存在そのものを分類し、淘汰する意思だ。
「……クソッ、“神”気取りが……!」
カイロンが叫んだ瞬間、ルークスは踏み込む。
目の前に広がる神域の中心へ。《リメンブラ》の投影核、残留存在の意識体。
「なら、答えてやるよ。“神意”ってやつにな――俺の答えを、ぶつける!」
――《終律式・断罪の環》。
発動したのは、彼が古代神殿で手に入れた禁術中の禁術。神を模した存在へ、理を問う力を逆用する魔法。
その力は、“問い”の回路を逆流させ、《リメンブラ》の構造意識に干渉する。
《反応:汝は“定義”を壊す者》
《汝の存在、観測値を超過――再定義:神殺しの端緒》
光が爆ぜた。闇が軋んだ。そして、虚空の中枢から、赤黒い流体が炸裂した。
「まだだッ――終わらせてたまるか!」
ルークスは、自らの意識を魔法陣へとぶつける。術式干渉の最終段階。彼の周囲に旋回する光の環は、十二重の領域を作り上げる。
そこにミュリナが声を上げた。
「ルークス、リンクさせて――私も、祈る!」
彼女の掌がルークスの手を包む。微かな震え。それは恐怖ではなく、信頼の証。
「この世界が間違ってるなら――正しく在れる道を! 誰かじゃない、私たち自身で、選び取る!」
――《同調式・意志の結晶体》。
二人の心が、理の世界に橋をかけた。
《反応:再解析開始……拒絶値、上昇中……構造崩壊まで、3、2、1――》
光が弾け、虚空の召喚陣は完全に崩壊した。
“リメンブラ”の残響は風に溶け、神に似た影は消え去った。
残されたのは、ただ静かな王都の夜だけだった。
ルークスは膝をつく。力を使い果たした体は、重く、痛い。
だが、彼の隣にはミュリナがいた。微笑みすら浮かべながら、彼の手をしっかりと握っていた。
「やった……ね」
「……ああ」
その瞬間、空が微かに白み始める。
夜が明ける。けれど、それはただの夜明けではなかった。
“偽りの神の声”を打ち破り、選び取った“本物の意思”による夜明けだった。