表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/44

第1話・第1節「目覚め」

湿った大地の感触が、背中越しにじわりと伝わってくる。

 重たいまぶたを押し上げると、目の前に広がっていたのは、崩れかけた石造りの天井だった。


 木漏れ日が差し込むその隙間から、細く風が入り込み、蔦の揺れる音がかすかに耳を撫でる。


 「……ここは……」


 東雲悠人しののめゆうとは、呻くようにそう呟いた。喉が焼けるほど乾き、頭は鈍く痛む。

 だが何より、自分が“ここにいる”という感覚そのものが、まるで現実味を欠いていた。


 たしかに、自分は死んだはずだった。


 終電を逃し、朝まで会社に残っていた。仮眠すらとれず、連日の残業で思考も朦朧としていた。

 立ち上がろうとしたその瞬間、視界がぐらりと揺れ、足元が崩れる感覚と共に、世界が暗転した。


 あれが、最期だった。そう思っていた。


 なのに、今、自分は見知らぬ石の上に横たわっている。肌寒い空気。異様に澄んだ空。どこにもビルの喧騒はなく、人工的な音もない。


 「夢……じゃ、ないよな」


 手を握り、開く。感触ははっきりしている。

 身を起こすと、黒く滑らかな長衣が体にまとわりついていた。素材は不明だが、軽くて動きやすい。

 腰には、見慣れぬ剣が一本吊るされている。


 「……なんだよ、これ」


 黒銀の鍔を持ち、ゆっくりと鞘から抜いてみる。

 滑らかな刀身が空気を裂くと同時に、脳内に声が響いた。


 ──《漆黒剣ルメル》:所有者専用、対魔獣特化、自動修復、念動操作補助。


 「……は?」


 あまりに自然な情報の流入に、思わず剣を手放しそうになる。

 だが、不思議と混乱はなかった。むしろ、どこか納得すらしていた。


 「そうか……異世界、ってやつか」


 呆れにも似た納得感。

 死後に神様に会って異世界転生──などという都合のいい展開こそなかったが、明らかにこれは自分がいた世界ではない。


 そもそも、あの最期を迎えた時点で、元の世界に帰る道はもうなかったのだ。


 「……だったら、まあ……」


 腰の剣を再び鞘に納める。

 その重みが、意外なほどしっくりとくる。まるで最初からこの体の一部だったように。


 辺りを見渡す。どうやらここは、かつて神殿だったらしい建造物の一角のようだ。

 壁には崩れた祭壇の跡、床には半壊した魔法陣。魔力のような粒子が、陽光の中を舞っていた。


 「この場所……もう誰も使ってないんだな」


 かすかに残る気配は、長い年月を経た静寂の中に溶けている。

 悠人は、背負っていた小さなバッグを下ろす。中には、簡易食料、水筒、火打石、折りたたみ式のナイフなど──最低限の生活道具が収められていた。


 「誰が用意したのかは知らないが……ありがたく使わせてもらうさ」


 小さく笑う。

 口元が自然に動いたのは、どれだけぶりのことだっただろう。


 そう──この世界には、上司も、納期も、理不尽な命令もない。

 あるのはただ、自分と、与えられた力と、そして──自由だけだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ