5話
勇者検定を受けてみたのは、なんとなくだった。自分のような凡才に勇者になれるはずもない。
だからこそ、合格したと言われたときには心の底から驚いたし、なによりうれしかった。
何者でもない自分が特別な存在になれるのだと歓喜した。
勇者となって魔王を討伐するのは決して簡単な道のりではなかった。けれど、自分にしては珍しく最後までやり遂げることができた。仲間に恵まれていたからだろう。
魔王を討伐した俺は国から歓迎され、尊敬のまなざしを受けた。妻にも恵まれ、妻のお腹の中に子を授かったと聞いたときには涙が出た。人生の中で一番幸せだった。早く子の顔を見たいと毎日臨んだものだ。
けれど、自分の子を腕の中に抱えれる日はついに来なかった。
魔王すら退ける勇者の力。それは次第に恐怖の対象へと変化していった。今は大人しくしているが、いずれ自分たちに歯向かってくるかもしれない。
国王は俺に身の覚えもない罪を着せた。妻を人質に取り、俺を死刑台に向かうように仕向けたのだ。妻のためならと思い、俺は自らの手で死刑台の上に上がった。妻のお腹にはまだ生まれてない子供がいたのだ。死刑台に上がることにためらいはなかった。
だが、死ぬ寸前に見せられたのは妻の死体だった。腹を深々と槍で突き刺され、お腹の中の赤ん坊も絶命していた。
その時の王の醜い笑みは今でも忘れられない。俺はこんなやつらのために死ぬ思いで戦っていたのか。
俺が死んだあと、その国は他国との戦争に敗れ滅んだという。だが、どうでもよかった。
わかったのは、『勇者』なんてろくでもない。ただそれだけだった。
天使になったのもそのためだ。俺と同じような被害者を出さないようにするために。勇者検定の問題を作成したのは、新人の役割らしい。だから、合格者が出ないほど難易度を上げた。それでも合格者が出たときにはどんな手段を使ってでも辞退させた。
勇者がいなければ滅んでしまう世界など、勝手に滅んでしまえばいいのだ……。
――――
聖剣が魔王の胸部へと深々と突き刺さる。口から血が噴き出し、眼も光を失っていく。
「ば、バカな。こ、この俺がこんなところで……」
剣を横に薙ぎ払うと、魔王は地面に体から倒れこむ。それ以上ピクリとも動くことはなかった。
「すごい……魔王を倒してしまうなんて」
いつの間にか隣にはライラがいた。自分の父親が殺されたというのにとくに悲しんでいる様子はない。自分を虐待していたやつだからある意味当然ではあるのか。
いろいろあったが、一件落着だろう。魔王は倒したし、ライラの記憶も元に戻った。あとは手筈通り、ライラを転生させるだけだ。
魔王の娘だったとはいえ、ライラ自身がなにか悪事を働いたわけでもない。転生先がひどい環境になることはないだろう。
ライラが文句を言うかもしれないが、この子のためにもそれがいい。
「お~い、ってなんじゃこりゃ!?」
図書館の入り口から間抜けな声が響いてきた。
「ちょ、ちょっとレイト君、なにがあったの!?図書館がめちゃくちゃなことになってるんだけど!?」
「アルチェリーナ先輩……」
現れたアルチェリーナ先輩は唖然としていた。無理もない。
慌てふためく先輩を落ち着かせながら、これまでの経緯を教える。
「なんか私がいない間にずいぶんと大変なことになってたんだね。けど、ライラちゃんの記憶が戻ってよかったよ。記憶がないと大変だもんね」
「そうですね。あとはこれからライラを転生させればそれで終わりです」
「そ、そんな……」
ライラが落ち込むが、仕方がない。転生させるのが俺の仕事なのだ。
「ああ、それなんだけどね。ライラちゃんに伝えなきゃいけないことがあったんだ。おめでとう、ライラちゃん。勇者検定合格してたよ」
「ほんとですか!」
ライラの顔がぱあっと明るくなる。
「うん。すごいよライラちゃん。歴代でも最高得点だよ。けど、合格したからと言って必ずしも勇者にならなくちゃいけないわけだけど、ライラちゃんはどうする?」
「やります!」
「ちょっと待ってください!」
勝手に話が進みそうだったので、待ったをかける。
「出現した魔王は今倒しました。もう勇者を派遣する必要なんてないはずです」
「レイト君の言う通り、魔王はいなくなったけど完全に脅威がなくなったとは言えないんだよね。魔王軍の幹部はまだ存命だし、魔物も活発化している。まだまだ脅威が去ったとは言えないんだよね」
「けど、けど……」
だからと言ってライラが犠牲になる必要はない!
勇者になって世界を救ったとしても、どうせ周りから疎まれることになるのがオチだ。そんな運命にライラを巻き込むわけにはいかない。
すると、なにか閃いたかのようにアルチェリーナ先輩が手を叩く。
「じゃあ、レイト君が一緒についていってあげればいいんじゃない?」
「は?」
思わず間抜けな声が漏れてしまう。空いた口がふさがらないまま、先輩は続けた。
「レイト君なら勇者の経験があるわけだし、ライラちゃんにいろいろと教えられるし、何よりいざとなったら守ってあげられるでしょ」
「い、いやそういう問題じゃ……」
「わたしもレイトさんと一緒がいいです」
「ライラ……」
ライラが泣きそうな目でこちらを見つめていた。断りでもすれば今すぐにでも泣いてしまいそうだ。
「……」
勇者なんてなるもんじゃない。責任と義務だけはあるくせに、役目が終わればすぐに厄介者扱い。どう考えても割に合わない役目だ。
それをわかってもなお、この子は勇者になりたいと望んでいる。記憶を失いたくないだけじゃない。自らの手で人を助けたいから。それは白雪のように純粋で無垢で。あまりにも脆そうで。隣に誰かがいてやらないとすぐにでも崩れてしまいそうで……
「わかった、わかりましたよ。俺もライラと一緒にいきます。けど、言っておくけどそんな楽しいだけのものでもないからな。当然、つらいことだってある。覚悟はあるんだな」
「大丈夫です。レイトさんと一緒ならなんだってやれます」
ライラの決意は固いようだ。是が非でも勇者になるつもりだろう。
「ふふ、話はまとまったみたいだね。じゃあ、手続きは私がしておくから二人は転移の準備をしててね」
アルチェリーナ先輩は手を振りながら、立ち去っていった。
記憶喪失を治すだけだったのにずいぶんと話がこじれたものだ。だというのに、なぜか心の奥底で楽しんでいる自分がいる。
ライラが手を差し出した。最初に会ったときはほんとに人間かどうか疑わしいぐらいに無表情だったというのに、今ではずいぶん笑うようになった。
「これからもよろしくお願いします。レイトさん」
「ああ」
ライラの小さく、けれども温かい手を握り、二人で駆け出す。これからのことを思うと心臓が躍動していた。