4話
記憶喪失を直すにはいろいろと刺激を与えることが大事だ。特に生前、印象に残っていたものなどは記憶を呼び起こすかもしれない。
図書館にいるのはそのためだ。図書館は知識の宝庫と言っても過言ではない。ここならばライラの記憶を呼び戻す手段も見つかるかもしれない。
「そういえば、ライラはどこまで記憶がないんだ?」
記憶がないと言っていたが、自分のことはよくわからないくせに勇者のことは知っていた。単純に一般知識までは失っていないということか。
「その、実をいうとそれなりに記憶はあるんです。ただ、詳細なことは頭の中にもやがかかっているみたいにわからないだけで。理由はわからないのですが勇者のことだけは、いえ、勇者と魔王のことだけは鮮明に覚えているんです。魔王にとって勇者は危険な存在であると」
少し言い方に引っかかったものを感じた。
ライラの言い方は勇者側ではなく、魔王の視点から勇者を捉えていた。それだとまるで……
いや、無駄な検索はよそう。
ひとまずライラに本を大量に読ませ、刺激を与えることにした。が、あまり効果はなさそうだった。ライラは本を読んでも、首を横に振るだけだった。
とはいえ、他になにか案があるわけでもない。不幸中の幸いというのか、ライラの本を読むスピードはかなり速く、辞書並の分厚い本も数分で読み終えていた。
ふと、ライラのページをめくる手が止まる。
「その、私がさっき受けた勇者検定ですが、もしも仮に受かってたらどうなるんですか?」
「そんなことないだろうけど、もし合格してたら神様から力を授かって魔王が生まれた世界に転生、というかその世界に転移するってことになるな」
「その場合でも今の私の記憶は消えるんですか?」
「……いや、勇者になったときだけ例外的に記憶をそのままだ」
知識や精神力を調べるための勇者検定だというのに、勇者になって記憶を消去してしまっては意味がない。
それを知ってかライラの顔がパアッと明るくなる。
「じゃあ!」
「やめといたほうがいい。絶対に。仮に合格したとしても辞退したほうがいい。勇者なんてろくなもんじゃない」
きつい言い方だが、はっきり言った方がこの子のためだ。
「勇者になったら、魔王も倒せるだろうし一時的にはその世界のだれからも尊敬のまなざしを受ける。けど、時間が経てば厄介者扱いだ。なんせ魔王すら上回る力の持ち主だからな。一人で国を滅ぼせる存在だ。国から恐れられて強引な理由で反逆罪で家族もろとも死刑になったやつもいるし、実験体として死ぬまで体を弄られたやつもいる。勇者になったやつの末路なんて全員ろくなもんじゃない」
勇者になったやつの中には、死んで当然なクズもいた。だが、大半は国のために、世界のために命を懸けて戦ったやつらなのだ。だというのに、用が済んだら邪魔者扱いなんてあんまりだ。
もしかしたらライラは勇者検定に合格しているかもしれない。俺が監督役として見ていた受験生の中では、一番の有望株と言っていいかもしれない。けど、この子にそんな過酷な運命を背負わせるわけにはいかない。
「そもそも、なんでそこまで記憶にこだわる。あんまり言いたくないが、生前のお前はいい扱いを受けてきたわけじゃないだろ。そんなつらい記憶なんてきれいさっぱり忘れた方が幸せだろ」
外部から見えないようにつけられた傷。おそらく親かそれに類似した存在からつけられたもの。覚えてはいないのだろうが、彼女自身あまりいい経験ではなかったはずだ。
それなのになぜ記憶にこだわる??
俺の疑問に答えるように、ライラがゆっくりと口を開ける。
「クレープ」
「ん?」
「レイトさんがクレープをくれました。初めてだったんです、人にあんなに優しくされたのは」
変色した手首の傷跡をなでながら、ライラは優しく笑った。
「具体的なことは覚えてません。けど、ひどい扱いを受けてきたってことはよく覚えています。私の体の傷もそのときつけられたんだと思います。毎日が暗かった」
「だったらなおさら忘れた方がいいだろ」
「そうかもしれません。けど、だからこそレイトさんと一緒にいたことが私の中で輝かしいものなのです。私の中に残ったたった一つだけの光を私は失いたくないんです」
「け、けど勇者になったらろくなことにならないぞ」
「今まで誰の役には立てなかったんです。こんな私でも人の役に立てるならそれでいいです」
「っ……」
ライラの眼には確固たる意志が宿っていた。だめだなこれは。なにがなんでもこの子は自分の意思を曲げないつもりだ。
とはいえ、まだ結果が出てないのにここでとやかく言っても無意味なことだ。
勇者検定の倍率は優に十万を超えている。到底受かるとも思えない。
それに悪いことばかりじゃない。思ってた以上にライラは記憶を失っていないようだ。自分がどんな扱いを受けていたのかも何となく覚えているようだし。
「ライラ、どこの世界にいたのかは覚えているのか?」
天界は複数の世界を観測しており、ここにくる魂も観測した世界からやってくる。どの世界の出身なのかがわかれば、その世界の文献に絞り込めばなにかを思い出せるかもしれない。
「ええっと、あまり覚えていないのですが、たしか、あぐ、アグ」
「もしかして『アグノリヤ』か?」
「たぶんそうです」
奇妙なこともあったものだ。以前にアルチェリーナ先輩が言っていた魔王が出現した世界とはアグノリヤのことだ。とはいえ、ライラにはあまり関係ないかもしれないが。
もう少し深堀していけば、案外あっさり記憶を取り戻すかもしれない。
「そういえば、ライラの首元のその宝石ってなんなんだ?だれかにもらったのか?」
虐待を受けていた子にしては不釣り合いな高価な代物。そのことに違和感を覚えていた。
「これはたしか、お父様から絶対になくさないように渡された……えっ?」
「お父様?」
俺が同じ言葉を繰り返すと、突然ライラが頭を抱えてその場にうずくまる。
「あ、あ、あああああああああああああああああああああああ!」
「ライラ、どうした!?」
まさか記憶を取り戻したのか?だが、様子がおかしい。ライラのそばに駆け寄ろうとしたとき、突如ライラの背後に魔法陣が出現する。
いや、これは転移陣か?
転移陣のある空間が歪むと、そこから少しずつ人の形をした何かが姿を現していった。
禍々しい魔力を帯び、本能的な恐怖を呼び起こす存在。
まさか――――
「魔王!」
魔王はこちらに一瞥もすることはなく、恍惚とした目で辺りを見回していた。
「ここが天界。役に立たぬごみに試しに、転移石を持たせてみれば、まさか本当にうまくいくとは!褒めてやるぞ、ライラ!」
「お父様……」
ライラの眼は恐怖で染まっていた。
ライラの首元を見る。先ほどまで光り輝いていた宝石は役目を終えたかのように黒ずんでいた。
天界にいる魂の服などの装飾は生前の最後の姿が反映される。ライラの持たされていた宝石は魔王をここに呼び寄せるための転移石だったのだ。
そして、魔王が天界に来た理由はただ一つ。
「ふははははは!これで勇者なんぞという邪魔なものを派遣する天界を滅ぼすことができる!」
勇者を倒すのではなく、勇者を派遣する大本である天界を滅ぼす。なるほど、理にかなっている。
魔王は大剣を頭上に掲げると、勢いよく振り下ろす。剣先にはライラがいた。自分の娘もろとも殺す気か!!
猛然と走り出し、地面にうずくまるライラを抱え、本棚の影に飛び込む。
間一髪、剣は外れるも振り下ろされた大剣はすさまじい衝撃波となってあたりを襲いかかった。
「フン、避けたか。まあいい、どのみち時間はかかるまい」
魔王がこちらに足を踏み出した。それだけで大気が揺れる。俺はすぐさまライラを抱えながら、図書室の奥へと逃げていく。
天界の図書室は巨大だが無限というわけでもない。逃げていてもいずれ捕まる。いや、仮に逃げれたとしても魔王をそのままにするのはまずい。あんな危険なやつを野放しにすれば天界が滅んでしまう。
抱えていたライラの体が震えていた。無理もない。
転移陣を使用してここにいる魔王と違い、ライラは死んでここにいるのだ。
魔王の言い分を素直に受け取るなら、ライラは魔王の計画のためにここに来たのだ。おそらく、ライラを天界に送るために魔王はこの子を殺したのだろう。おそらく体の傷もあの父親につけられたのだ。
記憶がなかったのも魔王の仕業だろう。記憶があればライラが俺たち天使に自身の父親である魔王の計画を言うかもしれない。それを防ぐために魔法かなにかでライラの記憶を封じたのだ。
体の中の血が沸騰してきそうだ。この子はあんな奴のために犠牲になってきたのだ。
「ごめんなさい。私のせいでこんなことに……」
「やめろ。自分が悪いみたいに言うな。お前は被害者であって加害者じゃないんだ」
慰めるようにライラの頭をなでる。今まで親から頭をなでられたこともないんだろうな、この子は。
魔王の地響きに近い足音が近づいてくる。
俺は覚悟を決めて、立ち上がる。ライラは戸惑いの表情を浮かべていた。
「ライラ、一つだけ約束だ。あいつが死んだら、二度と自分のことを悪く言うな。お前はあいつと違って優しい子だ。人の痛みをわかってやれる。これから勇者になろうが、記憶をなくして転生しようがそれだけは忘れるな」
ライラを本棚の影に隠し、魔王の元へと足を踏み出す。
「待ってください!まさか戦うつもりですか!?無茶です、お父様の実力は本物です」
「心配するな。あいつとは別だが『魔王』とは戦ったことがある」
「え?」
ライラの返答を待たず、本棚の影から飛び出す。魔王は現れた俺に対して驚いた様子もなく、先ほど振り下ろした大剣を携えていた。
「ふん、逃げるのをあきらめたか。賢明だな。まあ、どのみち天界の連中は皆殺しにするつもりだったがな」
「殺される気はさらさらない。むしろ、わざわざ天界に来てもらって手間が省けたよ。勇者を派遣しなくて済むからな」
「ふん、減らず口を」
魔王は泰然とした表情でこちらを見据えていた。
なるほど、勇者を派遣させないためにその大本である天界を攻める、か。なかなか悪くない案だ。
だが、勇者との戦いを避けるために天界に攻めてきたのに、その天界に『勇者』がいるとは皮肉な話だ。
右腕を突き出し、口ずさむ。
「聖剣解放」
右腕は熱を帯び、形となっていく。その時になってようやく魔王の眼が驚愕で見開かれる。
「ば、バカな!?そんなはずが!?」
右手にはかつて使っていた懐かしい黄金の剣。ひさしぶりだというのにずいぶんと手に馴染む。
「なぜ勇者がここにいる!?」
「元、だけどな。運が悪かったな。お前はここで殺す」