訪問者C スー・ケイソウ End
日常とは恐ろしいもので、ケマルはもうスーが店にいることに気を留めることもなくなり、給料こそ払っていないがスーが進んで手伝うことには口出ししなくなっていた。
スーが初めて店に来た時の事なんて、簡単には思い出せなくなっていた。
ある日のまもなく閉店という頃、ケマルは客がほとんどいなくなったので店番をメイプルに任せて一階の倉庫奥で在庫の確認をしていた。
すると人影で少し手元が暗くなった。影のシルエットで誰だか分かり、大して気にはしなかった。
「あの、折り入ってご相談が」
背後から改まって声を掛けられたケマルは久しぶりスーの本来の目的を思い出した。
「付録のことな……ら?」
ケマルが振り向くと、スーだけではなくフミも一緒に横に並んでいる。しかもなんだか、いつもよりめかし込んでいる気がし、さらに少し恥ずかしそうにはにかんでいる表情にケマルはある想像をした。
「え? なに、結婚すんの?」
冗談どころか異常な雰囲気を壊したかっただけのケマルだったが、完全な藪蛇だった。
「え? あ、いやいや滅相も無いです。僕はそんなフミさんの隣に立てるほど立派な人ではありませんので」
「そう? 結構すごいと思うとる」
にっこり微笑み見上げるフミ。
「あ、そんな、え、そうなんですか。じゃあ。もし、僕が……」
はっきりと言ってもいいものか、とでも思ったのか一瞬恥ずかしそうに言葉が止まったスーにフミが嬉しそうにする。
「ちゃんと色々ロマンチックにしてくれるなら、考えるわい」
「はい! それはもちろん!」
急に見つめ合った二人の世界を作り出したことに、ケマルは毒気も抜かれてしまった。
「え、なにこれ。何見せられてんの俺。そういうことは俺の知らないところでやってくれよ、仕事戻るぞ」
「違います、違います! お話というのは別にありまして。いや、でもこのことも改めてしっかりとお話させていただきますので」
「いや、そっちはいらないから。マジで。それより、話ってなに?」
スーはまるで自分の事務所かのように、ケマルを二階に案内する。そしてこれまたケマルが用意したのではないシンプルでありながら小洒落た丸テーブルと椅子4脚セットの団欒にも商談にも使えそうな家具を勧める。
「これもなー、趣味悪くねーし、なんだかんだ使えるから放ってあるけど。何も無いからってこんな大層なもん勝手に置くかね」
座る前に撫でるように縁となぞるケマルは最早ため息も出ない。
ショートンがやはりどこからかタダで手に入れてきたらしい。常に店を心配している彼だからタダなんて言って誤魔化しているのかもしれないと、経費で落とすからと問いつめたら、どうやらいわく付きの物を引き取ってきたのだという。
それでケマルは安心して使っている。
店やケマルに害があるような類の事ではないと断言されたし、そんな理由でこんな良い物が処分されてしまうのならばケマルは喜んで使う方を選ぶ。実際これまで不都合なことは何一つ起こっていない。
「まあまあ、これなかなかの一品ですよ。そこらで簡単に手に入る代物ではありません」
ダークブラウンのテーブルは一本脚でやや厚みのある角の奇麗な天板だ。一見それだけのシンプルな形だが脚の部分が下に行くにつれてぷっくりと太く丸みを帯びていき、三分の二を過ぎたあたりでまた少し萎むキノコの軸のような形をしている。さらにアシンメトリーに膨らんでいるので見る方向によっては歪んで見える。まさにしめじのような脚になっている。椅子の方は四本脚でそこだけブラックブロンドで、クッションの付いた座面と湾曲した楕円の背もたれが絶妙に体を包み込んでくれる。
「俺もど素人ながらそんな気はしてるよ。お前の目利きがどれ程のもんか分からんけども」
すると何故かフミが胸を張った。
「この人は本物なの。家具だけではなく宝石も陶器もいけるのよ。玩具は弱いがそこはあたしが本職だしね」
子どもらしい大きな瞳が自然光のあまり入ってこない部屋の中できらりと輝いて、にこりと微笑む姿は誰が見ても愛らしい、ケマル以外には。
「なんで最後だけ可愛く仕草をしようとする。スーにだって今更だろ」
これまた当たり前にお茶を用意しに行ったと思っていたスーが手に何も持たずに戻ってきた。その嬉しそうでにこやかな表情をケマルが薄目で睨むが、スーはそれどころではない。
「フミさんに少しでも認めていただけているなら嬉しいです。ここでは本当に貴重な物と出会えるので驚かされると同時に感服もしております」
すでに呆れて口も塞がらなくなりそうになっているケマルはいつも通りさっさと回避することにした。
「だからなんでそんな物がウチにあるんだよって話。まあ、それはウチの御犬様に聞くとして。わざわざなんだよ?」
スーと、もちろんフミも一緒のテーブルに着いている。フミの身長では座ってしまうとテーブルから顔が覗くくらいになってしまうが、澄ました様子で姿勢を正している。
「実はですね、このたび我が社で新しく雑誌を発刊することになりまして」
「それはおめでとう。それがウチと関係あるのか?」
スーはにっこり笑うと鞄から企画書を出してケマルに見せた。
「こんなの部外者にみせていいのか?」
「社から許可は出ております」
そう聞いて安心してケマルが書類を見ると、首を傾げることになった。
「ファッション誌? お前んとこ実用書一筋じゃなかったか?」
「新たに部署を作りまして、新事業ですね」
「それはまた大ごとだな」
「つきましては、フミさんをその雑誌の専属モデルとさせていただく許可をお願いしに参りました」
「は? 許可? え、モデル? ああ、あー、お好きにどうぞ・・・・・・」
ただの居候なのに、どうして自分の許可がいるのだろうかとケマルは混乱しながらも、今ここでそこを問いただすとまるで反対していることになりそうだと判断し、なんとか言葉を振り絞った。
そんなケマルがフミを見ればにっこり笑っている。
もう黙ってしまう他なかったケマルの目の前にカップが差し出された。
「お茶です、どうぞ」
「あ、ショートン」
横から伸びてきた手を振り返れば、ブンブンと尻尾が振れている。
スーが手ぶらで戻ったのはこのためかと思いながら、またも見たことのないティーカップ。いつものマイカップでないことに疲れが増す。けれど、それを尋ねる前にショートンが飛びつくように喋りだす。
「旦那! さっきのウ・チ・の御犬様って、それ僕のことっすよね? そうっすよね!」
「あーはいはい、盗み聞きはよろしく無いよ、ショートン君」
「大丈夫っす、聞こえたのはそこだけなんで。じゃあ店は僕が。メイプルさんが今日はそろそろ帰るって言ってたので、店番に戻るっす」
「そこだけって……それはそれで怖い」
ケマルの呟きを聞かず、ルンルンとショートンは階段を下りていった。
その後、契約の詳細などは後日改めてとしながら、簡単のといったはずなのに時間をかけてケマルに説明をしてスーは帰っていった。
「フミ、なんだこの茶番」
スーの去った店の扉を見ながら、閉店作業で表の看板など下げに行ったショートンも見送りがてら隣りに立つフミに不機嫌な声で語りかけるケマル。
まだギリギリ閉店時間ではないため店内には僅かにお客が残っているが、特に退店を促すこともなく、お客のいない本棚を整えていくケマルの後ろをフミが付いていく。
「茶番なんて失礼。ちゃんと就職したんだから、ここは祝うところ」
「……モデルするのはマジで好きにしたらいいけど、俺の許可いる?」
「あの人真面目だから」
妙に艶っぽ声に、手を止めて振り返れば顔を赤くした乙女が手を後ろに回して石ころでも蹴とばす様な仕草でクネクネというかフラフラいというか、とにかく恥じらっていた。
「頬を染めるな。俺はお前の保護者でもなければ、身元引受人でもねーぞ」
「そう、守護してるのはフミの方」
一転胸を張って、子供らしく笑顔いっぱいの顔をする。
「座敷わらしだもんな。ってか、座敷わらしってそんなに姿見せて大丈夫なものなのか?」
カウンターに戻り、まじまじとフミをみてケマルが言った。
今更なことを本当に今更聞くケマルにフミは一瞬目を丸くしたが、すぐににこりと笑って答える。
「問題ないよ、私くらいになればそれくらい余裕でなんの影響もでない」
ニコニコとする少女の横は不思議と居心地は悪くない空間でしばらくの沈黙も気にならない。ケマルはフミの表情を眺めていたが、ゆるぎないものを感じ、今日の売り上げの伝票を手元に手繰り寄せた。
「憑いてるって言われてるこの家にいる俺がなんの問題もないんだから、気にするだけ損か。フミさんがやりたいことならマジ、好きにやんな」
もう目線はフミに向くこととなく伝票を追うだけ。
「ありがとう」
フミは艶やかに微笑んだ。
「それでいつ出ていってくれるんだ」
フミはまた驚いて目を見開いた。
「今、憑いてると認めた口が何を言う」
「無事就職先も見つけたんだ。ここにいる必要ないだろ。性質上とり憑かなきゃ存在できないってならスーでいいだろ」
「そ、……そんな破廉恥な。できるわけあるまい」
そして今度はケマルが目を丸くした。
フミが耳まで真っ赤に染めて自分の指を絡ませようとモジモジしだしたからだ。しばらくその様子を眺めていたが、埒が明かないと思ったケマルは、気持ちだけで丹田に気を込めていつも通りの会話を再開させる。
「破廉恥って。とり憑くってそんなんじゃないだろ。お前はまだ福の神的だけど一応厄災なんだし」
フミは嘘のように渋い顔をした。
「だからこそ尚更憑くことはできないよ」
俺は良いのかとはもう言わないケマル。問題はもうスーとフミのことだと割り切る。
「でも結婚なんて話してただろ。お前らのそういう概念よく分らんけど、一緒に住むんだったらやっぱりここは出ていくことになるんだから、そうも言ってられないだろ」
「出てなんかいかないもん」
あからさまにプイッと顔をそむけるフミになんだその言い方はと突っ込みたくなるのをこらえて、ケマルは渋く訂正を求める。
「そんなはっきりと……もう少し俺の心情も考えろ」
「そんなの考えなくても分かるよ。だから出ていく必要はない」
分かるのだったら出ていく方を選択するだろうと思うが、フミが出ていかないと言うのだからそれを無理やりどうこうするつもりはケマルにはない。
簡単に言えば本以外の事は大概めんどくさいのだ。
フミが家にいる煩わしさと、座敷童を追い出す手間を天秤にかければ、追い出す手間の方が遥かに掛かる。だったら変な話に付き合う方がケマルには楽だった。
今回もこの話はここらで切り上げるつもりだった。折に触れて忠告しておくことがケマルの目的だから、本当に追い出すことはついでのような代物だ。叶わないとは思いながら、姿勢を示すことは大切だとケマルは思っている。
「ひでぇな、お前にやさしくされる謂れもないけれども」
「結婚してもここに住むことに問題はないし、ケマルは何も心配することはない」
その一言でケマルは慌てる。
「まさか、あいつまでここに住むってことはないよな!」
どうしてそれに気づかないんだ自分とケマルは忸怩たる思いで膝を叩いてしまいそうになる。そんなケマルの様子にフミは微苦笑し、そのすぐあと胸を張ってできる限りの背伸びをした。
「通いにはなるだろうが、住まいは今のままにすると言っておった。私も通い妻じゃな」
ムッフゥと鼻息を荒くして威張る姿に、逆に毒気を抜かれて天を仰ぎ見るケマル。
「通ってくることもないと言いたいが、とにかくこれ以上人が増えるようなことにならないだけでもいい、と自分を納得させる。他の事はフミの好きなようにしな」
もう無駄に疲れたケマルは今度は無理やり笑顔を作ってフミに向けた。
「はーい」
フミは子供らしく手を挙げて返事をすると、機嫌良さそうにどこかに出かけていった。
その日の夕ご飯の時間。
珍しくショートンと二人だけで、ケマルの適当炒めご飯とショートンが作った鶏つくね入りの具沢山コーンシチューを食べていた。
仕事の話なんかをしながらほぼ食べ終わったころ。
「ご主人」
「ショートンどうした? 改まって」
「いえ、さっきの話」
「さっき?」
「フミと話してるの聞きやして」
外にいたよね、とケマルは思いながら行儀悪く頬杖をついてお茶を飲む。
「君は本当に耳聡いねぇ」
「あれはフミのやさしさだと思うッス」
「ん?」
ショートンは低い声色で珍しくあまり目をまっすぐ見ることなく言葉を落とすようにしゃべっている。
「座敷童が出ていくとその家は衰退するって」
「あれ、前に言っただろ? 対処くらい知ってるって」
「お店はそうかもしれないっすけど、旦那にだって実家はあるでしょ」
そんなことか、とケマルは思ったが口にはしなかった。
ケマルにとっては“そんな”事でもショートンに違うのだからこそだろうと思ったからだ。ショートンの家の話をケマルはほとんど聞いたことはない。
「生まれの家とはとっくに縁切ってるから問題ない。それに衰退してくれるならいっそ有難いくらい」
「それほどっすか」
「それほどっす」
ケマルはにっこり笑ってショートンの頭をワシワシと撫でた。
「でもマジで気にしなくて大丈夫だからな。フミにもそういっておけ」
店がつぶれることがなくても、ケマルの所属する家族というものに影響が出ないかと懸念していることに、ケマルは少し心が温かくなる。自分の生まれた実家なんてものはもうないのだ。だからこそ、身近な人が家族を少しでも大切な存在としていることで、そこにはケマルのあまり知らない温かなものを感じて嬉しくなるのだ。
ケマルの知る家族は特殊な部類だと自覚があるからこそだった。




