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朝にクロたちの食事とトイレを済ませ、荷物をいったん家に持ち帰り、山中家でクロたちと落ち合ってからジョン子の散歩に出かけるはずだった。
「あれ? クロたちがいない」
「猫ちゃんたち、まだ来ていないみたいなのよ。寄り道でもしているのかしらね」
ゴールデンウイーク中のスケジュールにすっかりなじんだ山中家の老婦人はそう言った。すでにジョン子にリードを装着して散歩の準備を済ませている。
「散歩がてら、その辺を探してみます」
リードとお散歩セットを受け取る。
山中家の老婦人が家の中に入ったのを見送った後、洋輔はジョン子の前にしゃがみ込む。
「ジョン子さん、クロたちがどこにいるか、分かるか?」
洋輔はジョン子の鳴き声がなにを意味するのか分からない。となれば、逆もしかりでジョン子も洋輔がなにを言っているのか分からないだろう。
しかし、クロたちを介在してコミュニケーションを取ることによって、猫たちの仲間であり、そして、ジョン子の散歩友だちだと認識されていた。
「おん!」
いつもと違う成り行きをジョン子も悟り、鳴き声を上げる。
「よし! じゃあ、案内してくれ」
「わん」
ジョン子は軽快に歩き出した。迷うそぶりを見せず、トイレと餌やりをしたばかりの公園の方へと向かう。
「ん? こっちか?」
公園はもうすぐそこ、というところで横道にそれた。そのままジョン子は進み、足を止め、民家と民家の隙間の路地の方へ顔を向けてしきりに匂いを嗅いでいる。
洋輔も覗き込むと、人ひとりがようやっと通れる道にクロたちがいた。そして、昨日の出来事を彷彿とさせるように、少年がいた。違うのは、もっと年上の中学生くらいの男子で、しゃがみ込んでクロたちにしきりになにかを勧めている。
「ほら、食べな。腹が減っているだろう?」
「なにをしているんだ?」
ばっと音がしそうなほど勢いよく顔を上げた中学生は、ジョン子のリードを持つ洋輔を見て、顔を歪ませた。それが笑顔なのだとは、後から気づいた。
「あ、あんた、確か、猫に餌をやっている人じゃん。俺もね、こいつらが腹を空かせているんじゃないかって思ってさ」
にやにや笑う表情になんとなく不穏なものを感じて、洋輔はとにかくクロたちを呼び戻す。
「クロ、みんなも、こっちへおいで」
「にゃあ」
しきりに匂いを嗅いでいたタビーも、ブラウンに促されて洋輔の方へやって来る。
「ちぇ、なあんだ。もう餌をやった後かよ。せっかく、サザエを用意して早起きまでしたってのにさ」
そう聞いたとたん、腹の底がひやりとする。
「猫にサザエをやったらだめだよ」
「知っているよお!」
洋輔はひゅ、と息を吸い込む。悪意があって食べさせようとしたのだというのは、その言葉だけでなく、歪んだ笑顔にもありありと表れていた。
「実験だよ、実験。本当に耳が壊死すんのかなーって。なんでも思い込まずに実証して見ることが大切なんだ。だからさ、春と別の時期とで試してみることにしたんだ」
昔から「猫に春先のアワビを食べさせると耳が落ちる」という言い伝えがある。生のアワビやサザエの内臓にある毒素は特に春に強くなる。それを猫が食べると、耳介を壊死させることがある。
中学生はそれを知っていて、春とそれ以外のときの違いを探るためにサザエで試してみたのだという。
「アワビなんてゼイタクなものはやらないんだ。サザエで十分!」
洋輔は殴りたくなるのをこらえた。
「みんな、行こう」
押し殺した声で促し、クロたちの最後尾につく。
『にゃあすけ?』
急かす洋輔を、不安そうにクロたちが見上げる。
こんなに可愛くて好ましい存在になんてことを。
ふつふつと煮えたぎる感情が暴れ出しそうで、かみ殺して耐える。
洋輔とて、元は猫よりも犬が好きだった。きっと、この中学生にとっては、単なる畜生であり、実験用のマウスとなにがどう違うのかというくらいの認識なのだろう。
でも、もう、洋輔はクロたちを仲間だと感じている。大切な存在で、自由を好む生き物なのだと。そんな彼らをわざと傷つけられようとしては怒りと不安を抱かずにはいられなかった。
洋輔は早急に対策を取った。クロたちに猫のネットワークで中学生のことを広め、近寄らないように警告した。猫たちは賢いから、警戒するだろう。
次は人間だ。
中学生の通う学校に話して指導してもらう? どうやって学校を特定するのか。そもそも、洋輔は中学生の名前すら知らない。たとえ、聞いても答えなかっただろう。逆に不審者に声を掛けられたと喧伝されかねない。そう思わずにはいられないほどの悪知恵を働かせそうな人物だった。
思い悩む洋輔に「おはよう、柏木君」とすっかり顔なじみになったご近所さんが声をかけてきた。いつの間にか名前を聞き出されていたのだ。
そうだ、彼女たちもまた、広いネットワークを持つではないか。しかも、話し上手で聞き上手でもある。
そこで、洋輔は先ほどあったことを正直に話した。
「幸い、クロたちは先に餌をやっていたから食べなかったのですが、」
話しているうちにまた怒りがぶり返して来て、慌てて言葉を切る。
「ひどい話ね! 任せて! みんなに聞いてみるわ」
ご近所さんは憤慨して請け負ってくれた。
「朝早くからうろうろしている中学生なんて、すぐにどこのお宅の子か分かるわ。ちゃんと親御さんに言っておくわね!」
「ありがとうございます」
とんでもなく頼もしい言葉に、洋輔は深々と頭を下げた。
「いいのよ! 柏木さんだって無償で山中さんのお手伝いをしているじゃない」
「いえ、ジョン子の散歩は俺がしたくてしているので」
憧れのラブラドール・レトリバーの散歩ができているのだから、お礼を言うのは洋輔の方なのである。
「まあまあ、さすがは猫仙人ね!」
猫仙人とはなんぞや、と首を傾げる洋輔を他所に、昨日から広まった噂をいち早く耳にしたご近所さんはやる気満々で立ち去って行った。
親の庇護下にある中学生だから、叱られれば中断するだろう。そうなってくれるよう願わずにはいられない。
良いことも悪いこともこもごもあったゴールデンウィークの最終日、猫調査員のネットワークから、貰い手を探しているという情報が舞い込んできた。
~みんなで応援しよう5~
キーボードの上で丸くなる猫たち。みっちみちである。
「なんで、こんなところでこんなに集まって寝るかなあ。おーい、起きてくれー」
<猫が爆睡して動かないので、今回はお休みします>
「これ、本当に本編終わるまでに、ブックマークできるのかなあ」
神のみぞ知る。