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猫調査員になるには、飼い主にとても愛されていたこと、その飼い主と別れてしまったこと、そして人に飼われていないことが条件だという。
おはぎの飼い主はおじいさんだったが、クロにあげた猫缶をよくおはぎにくれていたのだという。
『クロから聞いてね。懐かしくなったの』
だから、洋輔に会えてうれしくなったのだという。
おはぎは「おはぎや」が自分の名前だと思っていた。飼い主がそう呼んでいたからだ。その柔らかい響きは今でもよく覚えている。そして、今はもう、「おはぎや」はおはぎだけが知る、飼い主との思い出だ。
飼い主を喪ってからいろんなことがあった。さまざまな出会いもあった。
ここにいるクロたちや洋輔とも、その一環だ。おはぎはすべてのことをあるがままに受け入れようとしていた。
『それで声を掛けたの。あとは、歩くのが面倒になったから連れて行ってもらおうと思って』
洋輔を移動手段にしたのだという。
おはぎのあんまりな物言いは、おっとりしていてどこかとぼけた雰囲気があり、洋輔は思わず噴き出した。
クロたちは野良だが、その可愛さを武器にしてあちこちで餌をもらっているのだという。
それを聞いて、ジョン子の散歩をするとき、クロにやった猫缶と同じものを買って行った。堤防に向かう途中にある公園の片隅で取り出す。クロたちが集会をする公園とは違う広い場所だ。
「ほら、おはぎ、この缶詰をよく食べていたんだろう?」
あちこちで餌をもらえても、さすがに指定はできないだろう。
「にゃ!」
とたんに黒と白のバイカラーの猫がそわそわする。ほかの猫たちもそわそわする。五つの缶詰の蓋を開け、少しずつ離して置いてやる。
ジョン子が穏やかな目で猫たちが食事をする姿を眺めている。そんなジョン子をそっと撫でると尾を振ってこちらを見上げる。
桃源郷か。
洋輔は幸せを噛みしめる。
おりしも、新緑が目にまぶしい。日の光を受けた葉は透き通って瑞々しい採りを見せている。心なしか空気も爽やかに感じられ、これほどすがすがしい気持ちになるのも滅多にない気がする。
洋輔はジョン子や猫たちを撫でながらあれこれ語り掛けた。
そんな姿を、ご近所のみなさんが生ぬるく見守っていた。お陰で、「昼間にうろつく不審者」ではなく、「犬も猫も大好きな山中家の助っ人」という認識が定着しつつあった。洋輔の社会的名誉は知らぬところで守られているのだった。
ところが、幸せな時間は長く続かないものである。
「カァ」
「ひっ!」
間近で上がったカラスの鳴き声に、洋輔はその場で跳びあがる。先ほど、散々クロたちと怖い恐ろしいと言い合っていたから恐怖が先立つ。
『あっ! ぼ、僕の缶詰が!』
見れば、タビーの缶詰をがしっと爪で掴んで飛びあがったところだ。
『まだちょっと残っていたのに』
タビーが悔しそうに言う。
だが、そんな場合ではなかった。いつの間にか、公園のあちこちにはカラスたちが集まって来ていた。園内を歩いていた者たちもそそくさと立ち去っている。
黒い大きなカラスが群れを作るだけで、もう恐怖を感じる。それらが、こちらへ目を向けている。小首を傾げていたって可愛らしさは皆無だ。
もっと遮蔽物がある場所で猫缶を食べさせるべきだった。悔やんでも遅いのが後悔というものだ。
「みんな、逃げるぞ!」
洋輔は手早く空き缶をコンビニの袋に回収し、猫たちを抱きかかえて走って逃げる。逃げ惑ううちにはぐれるかもしれないし、仮にカラスにひっつかまれて飛びあがられでもしたら大事だ。洋輔は猫たちをまとめて抱え上げた。
とっさのことだったので必死だったが五匹もの毛玉が腕の中でぎゅうぎゅうだ。猫たちは耳をぴんと立てたり、後ろに寝かせたり、あるいは目を大きく見開きつつ、じっとしていた。お陰で、洋輔はなんとか五匹の猫を誰一匹も落とすことなく、堤防まで逃げおおせたのだった。もちろん、ジョン子もいっしょである。
堤防では自転車が通ったり、ジョギングをする者がいるため、河川敷に降りる。
そこでようやくクロたちを離してやると、みなは「ふう、やれやれ」と言わんばかりで伸びをする。
ブラウンがシルバーを茂みへと誘う。ブラウンの後を追おうとしたシルバーがするりと身体をひねり、洋輔を見上げる。
『にゃあすけ』
「なんだ? もしかして、さっきどこか痛めたのか?」
慌てていたから変な風に折り重なって負荷がかかったのだろうかと洋輔がしゃがみこんでシルバーの身体を見分する。
いつも硬く引き結んでいたへの字口がちょっと緩んだ。あ、と思う間もなく、『みんないっしょに助けてくれてありがとう』と言って、さっと駆けだす。
洋輔はその後ろ姿を見送る。
「クロ……、シルバー、笑っていたな」
『うん。シルバー、前の飼い主のことでいろいろあって、』
呆然とする洋輔に、クロが言い淀む。それをずばりと言ってのけたのはタビーだ。
『人間は好きじゃないんだって』
『でも、にゃあすけは別なのね』
無邪気に小首を傾げるタビーの隣でおはぎがにっこりする。
「わぅん」
ジョン子の遠慮がちな催促によって我に返った洋輔は、散歩の続きを行った。
~みんなで応援しよう4~
「「わたしはロボットではありません」にチェックを入れる、と」
『俺は猫です!(キリッ)』
「あ、うん」
笑ってはいけない。特に相手がごく真剣なときには。
そして、往々にしてそういうときほど、笑いの発作は止めることが難しいのだ。世の中、ままならぬことのなんと多いことか。
※版権に抵触しないように心がけているんですが、ひとつだけ言わせてください。
———猫型ロボット。
もちろん、クロたちは該当しません。現代の、どこにでもいる猫秘密結社の調査員ですから。そうしていろんなことを見聞きして必要に応じて幸せを派遣しています。