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 洋輔はいつも冷静でしっかりしたシルバーが、酔っ払いには怯む様子を見せるのを思い出す。ブラウンが言っていたことも。シルバーは捨てられたと言った。ブラウンは飼い主を失いはしたけれど、最後までずっと好きでいてもらったとも。そして、シルバーはそうではなかったのだと。捨てられる前は忙しくなってろくに世話をされなくなったと。

 そして、今日、日下部から聞いたことから閃いた考え。すべてが繋ぎ合わさっていく。


 久保谷の下の名前は陽司だ。

「洋輔」をクロたちが発音すると「ようすけ」になるように、「陽司」は「にゃあじ」になるのではないだろうか。給餌ではなく。


 この周辺に住んでいて猫を飼っていた「ようじ」という男性はたくさんいるかもしれない。その猫と生き別れたとしても、多いだろう。なのに、洋輔には久保谷がシルバーの元飼い主だと確信していた。

 なぜなら、シルバーが久保谷を凝視しながら身を固くしていたからだ。耳を水平に倒している。


「あなた、このサバトラのことを覚えていませんか?」

 気が付けば、洋輔は一歩足を前に出して腕の中のシルバーを突き付けていた。シルバーは一瞬怯む様子を見せたが、きゅっとへの字口に力を入れ、真っすぐに元飼い主をにらみつける。洋輔の腕に前足でぎゅっとしがみつきながら。

 血相を変えて駆け付けたクロを呼ぶ女性の隣に、自身の元飼い主が寄り添っている。やさしくクロに自分の父の暴挙を謝っているのだ。自分を棄てたのに。


「はあ? いきなり、なんなんだよ。あんた誰、いや、確か、共栄の柏木?」

 競合会社とはいえ、年上の人間を呼び捨てにする。しかし、洋輔はそんなことには構っていられなかった。


 動物病院で猫を連れていても不思議ではないが、キャリーバッグなどに入れていないのはややマナー違反かもしれない、と洋輔はこんなときなのに明後日なことを考えつつ続ける。


「あなたがろくな世話をせずに捨てたという猫です。シルバーは脱走なんてしていない。あなたが飼えなくなって捨てたんだ。それ以前にもろくに餌もやらなかった」


 クロははっと息を飲んで洋輔とシルバーを見つめる。

 まさか、シルバーの元飼い主がクロの元飼い主の番だったなんて。

 クロの元飼い主の番はシルバーを捨てたのに、クロを可愛がった。いっしょに暮らしていたときは、クロも彼を好きだった。

 そして、シルバーの様子を見る限り、やはり、彼はシルバーの元飼い主なのだと察する。

 だから、クロは元飼い主の番を嫌がってカウンターの端まで逃げた。


 そのクロに「どうしたんだよ」と言いながら手を出して来るシルバーの元飼い主の手を噛む。

「このっ!」

 とっさにクロを殴りつけようとする手を、洋輔の懐から飛び出したシルバーがひっかく。見事な跳躍距離であり、その分、勢いがあった。

「ぎゃっ!」


 唐突に始まった猫の騒乱に洋輔は呆然としたが、動物病院ではままあることのようで、職員たちは落ち着いていた。


「なんなんだよ、なんなんだよ!」

 久保谷は動物病院の床を何度も踏みつける。やりきれない感情をぶつけているかのようだった。

 クロは毛を逆立て、歯をむき出しにして、威嚇する。洋輔は今まで聞いたことがない鋭い威嚇音に棒立ちになる。

「フシャー……」

 低く唸るような鳴き声は、明らかに威嚇音で、洋輔が初めて聞くものだった。


「あなた、クロになにをしたの?! この人が言っているのは本当のことなの?」

 クロの元飼い主の女性が、傍らの夫に疑惑の視線を向ける。

「違う! 俺はなにもしていない! それに、こいつが噛みついたんだ。見ていただろう?」

「ええ、そうね。でも、クロはそうそう噛みついたりしない猫よ」


 夫婦が言い合う間に、洋輔はシルバーがクロに言うのを聞いていた。

『確かに、にゃあじはわたしを捨てた飼い主だった人間よ』

 クロが頭を低くする。臨戦態勢だ。


「あんた! なんで赤の他人のあんたにそんなことを言われなくちゃなんないんだよ!」

 逆切れしてともかく誰かを責めようと、久保谷が洋輔に指を突き付ける。


 対する久保谷の妻は、夫がヒートアップするに反比例して冷たくなっていく。

「このサバトラを捨てたというのは、本当なのね?」

 半ば確信するようにクロの元飼い主が言う。彼女もまた、唐突に話しかけてきた洋輔を不審そうに見ていたが、それまで口を挟まずにいた。警戒していたものの、猫を飼っていた人間としては聞き捨てならないことが耳に入ったものだから、冷たい怒りが恐怖を上回ったのだ。


「ち、違うよ、こいつが適当なことを言っているんだよ」

 久保谷は洋輔に対するのとは違って、大分腰が引けた様子でクロの元飼い主に弁明する。対する黒の元飼い主は不信そうな表情である。


 言い掛かりをつけられたとばかりに、久保谷は洋輔を糾弾する。

「大体、なんであんたがそんなことを知っているんだよ。なんだよ、さっきから、気持ち悪いな!」

「でも、この人が言っていることが正しかったら、クロが噛みついた理由が通るわ。このサバトラが今の仲間で、その猫が酷い目に遭ったから怒っているのよ」

 クロの元飼い主は冷静だった。

 クロに手を挙げそうになった久保谷から守ろうと、シルバーが立ち向かったことからも、二匹が互いを守ろうとしているのは明白だ。


 追いつめられたシルバーの元飼い主はとうとう決定的な言葉を吐く。

「な、なんだよ、お前まで! 知らねえよ、こんな猫! 飼ったこともない」

 猫調査員になるには、飼い主にとても愛されていたこと、その飼い主と別れてしまったことが条件だという。

 シルバーは調査員だ。だから、愛されていたことは間違いない。ただ、別れる際、その愛は失われてしまっていたのだ。

 それを突き付けられ、洋輔は胸が痛かった。

 けれど、シルバーはもっと激しい痛みを感じただろう。


 シルバーは駆けだした。

「シルバー!」

 ただやみくもに走り回るのではなく、一直線に入り口に向かう。ちょうど出て行く人間によって開かれた自動ドアの隙間をすり抜ける。クロが後を追う。

 洋輔も走った。後ろでぎゃあぎゃあ言い合っているのが聞こえてくるが、それどころではない。


 洋輔は、見た。病院の建物を出て、道を横切ろうとしたシルバー、そこへ突っ込んでくる車。


 クロがさっと飛び出す。その後を、洋輔も懸命に追う。脚が思うように進まない。もどかしい。

 クロがシルバーに体当たりする。シルバーがふっ飛ばされつつ、一回転して着地するのが見える。そこへ、車が突っ込んでくる。洋輔はとっさに足を踏み切り、飛びついてクロを抱えて丸まる。強い衝撃を受ける。


 いつの間にか、音が聞こえていなかった。

 クロがこちらに走り寄って来るのが霞む視界の中、なぜかはっきりわかった。

 ああ、これがサイレントニャーというやつか。いや、違うか。聴覚がイカれたのか。クロがにゃあにゃあ言っているみたいなのに聞こえない。クロの鳴き声は二重音声なのかも分からない。

 もし、この事故でクロたちが話す言葉が聞こえなくなったらどうしよう。


 それよりも、クロ、せっかく助かったのに、ちゃんと道の脇に行かないと危ないだろう? シルバーは無事なのか?


 猫を助けて車にひかれるなんて、もしかして、これは異世界転生するパターンか。

 神さま、異世界で新しい人生をプレゼントしてくれなくていい。なんかすごい力とかいらないから、クロとシルバーを助けてくれ。

 どうか、どうか。

 遠のく意識でそう強く願った。

 クロ、クロ……。




~みんなで応援しよう11~


「ユーザー名は、と」

『にゃあすけ!』

『僕、タビー!』

『わたしの飼い主の名前は———』

『銀と茶で』

『なんでもいいわよ』

「あー、もう、はいはい、関係ないのでいいな」



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