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 仕切り直しは後日ということで由加里と別れ、洋輔は最寄り駅に戻って来た。

 人通りが途切れたころ、路地から「にゃあ」という鳴き声が聞こえる。

『にゃあすけ!』

「シルバー? どうしたんだ?」

 洋輔は音量を落として路地に足を踏み入れる。


「猫は見つかったよ。ありがとうな。ほかのみんなにも———」

『大変なの! クロが怪我をしたの』

 洋輔の言葉を遮ってシルバーが言う。この頃は洋輔も猫の表情の変化を読み取れるようになっていて、彼女が血相を変えているのに気づく。


『ほかのエリアの調査員に連絡するのを、ひとつだけじゃなくて、あちこちに伝えようって言って、向かっている最中に、割れた瓶の欠片に、』

「そ、それでクロは? 今、どこにいるんだ?」

『知らない人間がクロを見て病院に連れて行くって、』

 病院に連れて行くということは、怪我をしたということではないのだろうか。


「どの辺りのことだ?」

『こっち!』

 駆けだしたシルバーの後を、洋輔は懸命に追った。今日はすでに猫を探し回った後だが、クロのことで頭がいっぱいで、疲労を感じる間もなかった。途中、とうとう降りだした雨にも、しばらく気づかなかった。


『ここ!』

 見れば、道のわきに瓶の破片が飛び散っている。そして、少量だが血の跡があり、降りだした雨に流されようとしていた。わずかとはいえ、人間とは違う小さな身体の中を巡る血液だ。


「この付近の動物病院を検索する。ちょっと待って」

 洋輔はコンビニの庇の下に入り、スマホを操作する。慌てるがあまり、違う場所を押しては戻るを繰り返す。もどかしくて仕方がない。ようやく周辺の動物病院がマップ上に表示される。最も近いものを選び、検索する。


 いつの間にか、隣駅の近くまで来ていた。クロはこんなところにまでやって来ていたのだ。より多くの猫調査員に情報を渡すために、こんな遠くにまで来て、怪我をしてしまった。


 幸い、営業に出るようになって、見知らぬ場所を地図を見ながら歩くことに慣れていた。

「こっちだ!」

 今度は洋輔がシルバーを先導する。途中で毛並みが雨で濡れているのに気づいて抱きかかえて走った。


『にゃあすけ』

 猫たち独特の物言いで、うきうきと、いたずらっぽく、楽しそうに、ちょっと面倒くさそうに、呼ばれる。その根底には全幅の信頼が横たわっている。

 それが分かっているから、なにがあっても踏みとどまろうとした。ちょっとしたことで嫌になって逃げたいなどとは思わない。手間を面倒だとは感じなかった。

 降りかかる出来事に、踏みとどまって身をかがめ、あるいは上半身をひねって避ける。そうしてやり過ごす。じゃないと、足元でいっしょに踏ん張っている猫たちが吹き飛ばされる。そうならないように、洋輔が何がなんでもとどまらないといけないのだ。




 クロは洋輔がもたらした情報を少しでも多くの猫調査員に伝えるべく、奔走していた。その際、ヘマをしてしまい、怪我をした。

 通りかかった猫好きの人間に動物病院に連れて行かれた。幸い、いっしょにいたシルバーが一部始終を見ていた。洋輔やおはぎたちには事情を話してくれるだろうから、心配させることはないだろう。


 さて、動物病院では痛いことをされるが、身体が弱るのを防ぐには仕方がないことだと、賢いクロは知っている。さらに幸いなことに、クロを病院に連れてきた人間はシンサツダイを払うと言ってくれた。にゃあすけから聞いているから、人間はなにをするにもお金というものが必要だと知っている。


 だが、連れてきた人間は自分の猫ではないというので、病院側はクロの後頭部のマイクロチップの番号を調べた。その登録情報をデータベースで検索する。そして、クロの元飼い主に連絡をした。

「もうすぐ飼い主さんが来るからな」

 そう病院の人間が言ったから、クロは安心した。洋輔が迎えに来てくれるものとばかり思っていたのである。


 だから、受付のカウンター下、病院のキャリーバッグの中でうとうとまどろむことができた。迷い猫の情報をあちこちに伝達した後、怪我の治療をされたこともあってすっかり疲れ果てていたのだ。


「クロ!」

 はっと目が覚める。

 いつの間にか、キャリーバッグの扉が開かれ、女性が覗き込んでいる。


 クロはビー玉のような瞳が零れ落ちんばかりに目を見開き、身体を硬直させる。

 駆け付けてきたのは洋輔ではなく、元飼い主の女性だった。


 そして、間の悪いことに、ちょうどそのとき、洋輔も動物病院にたどり着いていた。シルバーを抱えていても、場所柄咎められることはなかった。

 見知らぬ女性がクロの名を呼ぶのに、視線が引き寄せられる。


 受付のカウンターの上に置かれたキャリーバッグから、クロがするりと出てきた。後ろ足に包帯が巻かれているが、歩くことはできるようで安堵する。

 クロに呼びかける女性はおそらく、元飼い主なのだろう。彼女には見知った者が寄り添っていた。


「クロ、親父が酷いことをしてごめんな。生れて来る子供に危険があると思い込んでいたんだよ。だから、クロを遠ざけようとしたんだ。もう絶対にこんなことがないようにするから」


 クロは元飼い主のところにいた際、知らない人間に連れ去られて放りだされた。それがどういうことだったか、今、ようやくわかった。

 元飼い主に子供ができて、生れて来たらクロが怪我をさせると思っていたのだ。それで元飼い主のつがいの父親がクロを遠くへやったのだ。

 元飼い主に嫌われて捨てられたのではなかった。クロは嬉しくなった。


 近くで聞いていた洋輔も、それを理解した。少しばかり寂しさを覚えた。そして同時に、腹を立てた。

 洋輔がクロにいっしょに住まないかと聞いたとき、すぐには答えをもらえられなかった。そして、自分ではなくおはぎといっしょに暮らしてほしいと言った。それがクロの優しさだと分かっている。その優しさを越えるほどには、洋輔と暮らしたいとは思わなかったということだ。


 もしかしたら、まだ元飼い主と暮らしたいと思っているのかもしれない。引っ越すに当たって置いて行かれたタビーのこと、病によって死に別れたブラウンのこと、老衰によって元飼い主を看取ったおはぎのことが一気に思い出される。

 そして、腕の中のシルバーのこと。


「どういうことですか? 久保谷さん、あなた、シルバーを捨てただけじゃなく、クロも捨てたのか?」

『にゃあすけ?』

 クロは驚いて振り仰ぐ。いまだかつてないほど、洋輔が怒っているのが分かる。

 その腕の中のシルバーは信じられないものを見るかのように身を固くしていた。




~みんなで応援しよう10~


「さあ、作業の続きだ」

『にゃあすけ、タイヘン!』

「どうしたんだ?」

『クッションがおかしくなった! 俺の匂いがしないんだよ』

「ああ、洗濯したからな」

 があん。

 そんな効果音が聞こえてきそうなほどクロの目がまん丸く見開かれる。

 耳の先はぴんと尖って上を向いている。

「ちょ、クロ、目が落っこちそうだよ」

 その後、ぐいぐいクッションを押し付け、にゃあすけの匂いを移すことでクロは満足してその上に丸まった。

 そんなこんなで作業は進まないまま時間は過ぎていくのである。




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