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 猫に連れられて、壁と壁に挟まれた、洋輔が横向きになってようやく通れるくらいの狭い隙間に入る。奥にはいろんな物が積み上げられている。そのブルーシートの隙間の前で洋輔を誘導して来た猫がお座りしている。


「ここか?」

「にゃあ」

「ゃぁ」

 猫の声に呼応するようにか細い鳴き声が聞こえる。

 洋輔がそっとめくると、小柄な猫がふるふると震えている。以前会ったにゃあすけだ。念のため、送ってもらった画像を確認してもそっくりだ。

 洋輔のポケットには液状スティックタイプのウェットフード「なう~ん」がある。でも、それは最終手段だ。勝手に他人の飼い猫に食べ物をやってはいけない。


 洋輔はなんとかしゃがんで目線を近くして猫に静かに話しかける。

「触っていいか聞いてみてくれないか? 迎えに来たって。飼い主さんのところへ帰ろうって」

 洋輔をじっと見上げていた猫が鳴き声を上げる。

「にゃうん」

 労わるような鳴き声に、小柄な猫も今度ははっきりと応える。

「みゃあ」


 洋輔の言葉をしっかり伝えてくれたのか、小柄な猫は自ら洋輔の方へ近寄って来た。

 洋輔はそっと抱き上げ、またじりじりと横歩きで戻る。

 入り口の方では由加里と日下部が顔だけを覗かせていた。


「すごい、あんなところにいたなんて、よく分かりましたね」

「にゃあすけだ! にゃあすけが見つかった!」

 由加里が感心し、日下部は洋輔の腕の中の猫を見て喜々として電話を掛ける。繋がった先は飼い主である娘のようで、無事に仔猫を保護した旨を伝えている。その間、洋輔と由加里は小柄な猫が怪我をしていないかを確認する。


「すぐに来るって。いやあ、柏木君、お手柄だね」

「お役に立てて良かったです。猫もどこも怪我をしていない様子です」

「柏木君って、<ねこねこネットワーク>のエージェント?」

 日下部も知っていたとは。


 洋輔はとっさに取り繕うことも出来ずに口ごもる。

 いくらネットで噂になっているとはいえ、現実世界では通用しないことは多い。仮に、妙なことをやっていると受け取られ、会社で懲罰をくらったら。稼がないと猫たちに餌をやれない。同居なんて夢のまた夢だ。


「い、いや、冗談、冗談だよ」

 慌てて言う日下部は、洋輔以上に蒼ざめている。その視線は自身の足元に向けられていた。いつのまにか、たくさんの猫に取り囲まれていた。真っすぐに日下部を見上げている。無言の圧力に恐ろしくなったのだと分かる。

 他エリアの猫調査員たちが洋輔を擁護してくれたお陰で、洋輔が下っ端調査員だということはそれ以上触れられることなく済んだ。


 集まって来ていた猫たちの前で洋輔はしゃがみ込む。

「教えてくれてありがとうな。ほかの(エリアの)猫たちにも見つかったって言っておいてくれる?」

「にゃあ」

 呼応するように鳴き声が上がる。お礼に「なう~ん」を進呈しておいた。これは調査員たちへの正当な謝礼である。


 すぐにやって来た日下部の娘とその夫は涙ぐみながら何度も頭を下げて礼を言った。

「お礼をさせてくれ。焼肉とか寿司とか」

 洋輔も由加里も遠慮したが、インターネットには載っていない知る人ぞ知る店があるんだよ、と言われたのに気をそそられた。さすがは営業部長で、人の心を掴むのが上手い。


 いわゆる「回らない寿司」をご馳走になりながら、由加里は飼い猫のマリの話をしてすぐに日下部と打ち解けた。

 日下部は洋輔が怖がるにゃあすけを見事に懐かせてくれたのだと持ち上げる。


「日下部部長の子守歌がまた聞きたくなって脱走しちゃったのかもしれませんね」

 と洋輔が言ったら、日下部は大いに照れた。


「猫が懐くかどうかは、もう相性のひと言に尽きるそうですよ」

 おそらく、洋輔がクロたちの言葉を聞くことができるのも、相性が大きく左右しているのだろう。

 人間側がどんなに好かれようと努力しても、どんなに金をつぎ込んでも、ダメなときは駄目なのだ。それが猫の性質であり、嫌がる人もいれば、そこがたまらない魅力に感じる人もいる。

 猫が幸せに暮らしているのならそれでいい。

 より良い環境を探して派遣するだけではなく、派遣する必要がなくなるのも重要で、そのためのアフターフォローだ。


「実はな、柏木君に電話をしたすぐ後に、アクセスの久保谷君にも連絡したんだ」

 由加里がトイレへ行った際、日下部がそんな風に漏らした。

 猫の捜索は迅速に行わなければならない。探す人手は多い方が良い。

 しかも、日下部は以前、久保谷から飼っていた猫が脱走したと聞いていた。当然、どうすればいいか聞いた。


「でも、実のあることを言わなかった。柏木君は即座に駆け付けて探してくれたというのにな」

 日下部は手酌で日本酒を煽った。洋輔も勧められたが、あまり得意ではないので断っていた。


「久保谷君は以前猫を飼っていて猫好きだと言っていた。だが、話を聞くうち、どうもそうではないような気がしていたんだ。通り一遍のことしか話さない」

 以前、急ににゃあすけとふたりになるときに久保谷にも声をかけたが、なんだかんだと理由をつけて断られたのだという。

「なんとなく、そのときから気づいていたんだろうな。それに引き換え、柏木君は丸徳の山本さんのお墨付きの猫ジンクスを持っている」


 そして、今回の仔猫の脱走の件だ。

「久保谷君はさっき、猫の捜索などしたことがないから分からないと言ったんだ。彼は飼っていた猫が脱走して探し回ったなんてのはまったくのでたらめだったんだな」

 しかも、ついていた嘘が白日の下にさらされたことに、気づいていない様子だという。自分でなんと言ったのか、覚えていないのだ。それが真実ではないからだ。


 そのとき、どうしてか、洋輔は閃いた。唐突にとある考えが降ってわく。久保谷の下の名前がなんだったのか。猫はなんと言っていたのか。もしかすると、繋がっているのかもしれない。


「でも、久保谷さんは確かに猫を飼っていたのでは?」

「まあ、そうだろうな。でも、あの様子じゃあ、あまり詳しく調べていないだろうな」

 猫や犬はしゃべることができない。だから、体の不調を訴えることはできない。そして、彼らは痛みを隠そうとする。本能的なもので、弱っている固体は敵に狙われやすいからだと言われている。


 久保谷は猫を飼っていたのだろう。そして、その猫が脱走しても探そうとはしなかった。いや、もしかすると脱走したということも真実ではないかもしれない。

 由加里が戻って来て、日下部が支払いに立ったことから、久保谷の話はそれきりとなった。



・柏木洋輔:総務人事部から営業部へ異動し、慣れない営業活動をする傍ら、猫たちの不思議な活動に参加することに。猫たちからは「にゃあすけ」と呼ばれる。

・田所由加里:経理部。二十八歳。犬も猫も好き。実家暮らしで猫を飼っている。

・カドヤ株式会社・日下部:部長。猫好きだが、猫からは避けられる。声が大きい。

・株式会社アクセス・久保谷陽司:苗字は「くぼや」と読む。洋輔の会社のライバル会社社員。




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