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 オフィスの窓の外は濡れそぼり、色彩が滲み、輪郭をあいまいにする。

 梅雨に入る前にペット可のマンションを探して引っ越しておけばよかった。そうしたら、猫を引き取れたのに。濡れるのを嫌う猫が外でどんな風に過ごしているのかと気を揉んだのは、遠藤の行動力と自身を比べたためだ。


 そんなことを連想したのは、由香里に遠藤のことをどう思っているのかと聞かれたからだ。それに対する答えとして、洋輔は「猫、元気かなあ?」と首を傾げた。

 由加里が噴き出す。そうしてみれば、なんだかさっきまで由加里は硬い表情をしていたような気がする。それも比べたら分かったのだ。


「それだけ?」

「うん、それだけ」

 それ以外のなにがあるというのか。

 洋輔はいつの間にか由加里に敬語を使わないようになっていた。


「今度いっしょに猫カフェに行きませんか?」

「あの、そういうのって、飼い猫は嫉妬するかなあ?」

 イエスともノーとも言う前に、まずほかのことが気になった。


「猫、飼っているんですか?」

「飼おうと思っているんだ」

「そうなんですね。でも、犬派でもあるんですよね」

「うん」

「じゃあ、犬カフェでもいいのかな」

「へえ、そんなのがあるんだね」

 聞けば、柴犬や仔犬を集めたカフェがあるのだそうだ。


 由加里はてきぱきと猫カフェへ出かける日取りを決めた。洋輔は世間話や社交辞令ではないのだなとぼんやりと思っていたくらいだ。

 しかし、家に帰った後、ようやく現実味を覚えた。女性と出かける私服に悩むこととなったのだ。


 最近、猫たちと外へ出かけるようになって、服を買った。ただ、それは動きやすく汚れても良いものだ。さすがの洋輔も女性と出かけるのであればそれなりに小奇麗な格好をしなくてはならないだろうということは分かる。

 そこで、仕事帰りに寄って恥を忍んで店員に見合う服装を選んでもらい、それをそのまま購入した。表情を変えることなく親身に相談に乗ってくれた店員に心から感謝する。


 そうして迎えた当日、自分の行動は間違っていなかったと実感する。洋輔たちの会社には女性の制服はなく、オフィスカジュアルというやつなのだそうだが、それとはまた違った雰囲気だったのだ。なにがどう異なるのかと問われればはっきり説明することはできないが、違うというのだけは分かる。

 なんというか、可愛かった。ただ、そこで「可愛いですね」とは言えないのが柏木洋輔という人間である。


 さて、その浮気現場、もとい猫カフェへ向かっている最中にスマホの着信音が鳴った。

 カドヤ株式会社の日下部からだ。休日に取引先から電話がかかって来るのは初めてのことで、由加里に断って電話に出る。


「にゃあすけがいなくなったんだ!」

 猫の脱走。

 しかも、まだ仔猫で、当然野良の経験はない。

 猫の捜索は迅速が求められる。大体二十四時間以内に見つけることが望ましい。

 そんな情報が洋輔の脳裏を駆け巡る。


「休日に済まないね。でも、柏木ジンクスにあやかろうと思って」

 今しも雨粒が落ちてきそうな重苦しい曇天を見上げる。

「雨が降って来そうですもんね」

「そうなんだよ。にゃあすけは水が嫌いなんだ」

 それだけでなく、室内飼いの猫がカラスにつつかれたり、側溝にはまり込んだら大変だ。すぐにでも捜しださなければ。


 洋輔はいったん電話を切り、事情を話して由加里に猫カフェは後日改めて行くことを願い出た。

「いいですよ。わたしもいっしょに探します」

「でも、田所さんには関係のないことだし、悪いよ」

「こういうのは人手があった方が良いですよ」

 猫を飼っている由加里もまた、仔猫の脱走が時間との勝負だということは分かっていた。だから、押し切られた。


 洋輔は日下部に猫の画像と住んでいる場所といなくなった所の情報を送ってもらう。

「娘が退院して向こうの家に戻った矢先のことだ」

 日下部は娘の家に向かっている最中なのだという。


 洋輔は探すことを決めたときから猫たちの力を借りようと考えていた。そのためには一旦、最寄り駅まで戻る必要がある。そこで、由加里を拝み倒す姿勢で一度別行動することを申し入れた。

 由加里は不思議そうにしつつも受け入れてくれた。


「このお返しは後日必ず」

「じゃあ、猫カフェをおごってください」

 そんな表現で許容してくれたので、洋輔はもちろんと頷く。

「その後、ご飯もなんでも好きなのを食べて下さい」

「やった! 柏木さんのボーナスを使い倒そう」

 由加里はぱっと笑顔になる。洋輔は自分が女性を食事に誘ってオーケーされたということに気づいていない。そして、由加里は洋輔が思い至っていないことを察していた。

 洋輔と言えば、猫に掛ける分は残しておいてほしいな、くらいに考えていた。


 さて、洋輔も下っ端調査員として聞くべきところを心得るようになっていた。クロたちに事情を話し、詳細を伝え、画像を見せる。猫たちのネットワークによって、情報は迅速に広がって行った。

 室内飼いの猫が脱走した場合、半径10mを探してみるのが定石だ。あまり遠くへは行かない。


 クロたちと別れて駅までとんぼ返りし、合流した由加里と移動して日下部に教わった駅まで電車で向かう。洋輔の家からそう離れてはいなかった。

 駅に降りると、日下部が待ち受けていた。洋輔たちを迎えにきがてら駅周辺の捜索を行っていたという。

 日下部に由加里を同僚だと紹介すると、意味ありげな目つきになったが、ともかく仔猫のことを心配する。


 徐々に駅から離れつつ探していると、塀の上に、路地の隙間に、猫の目が光っていた。

 洋輔と視線が合うと「にゃあ」と鳴き声を上げる。

 その何度目かの「にゃあ」に恣意的なものを感じた。洋輔は迷わずその鳴き声を上げた猫の後ろについていく。

「柏木さん?」

「見つかったのかね?」

「たぶん、こっちです」

「たぶん?」



※人物紹介

・柏木洋輔:総務人事部から営業部へ異動し、慣れない営業活動をする傍ら、猫たちの不思議な活動に参加することに。猫たちからは「にゃあすけ」と呼ばれる。

・田所由加里:経理部。二十八歳。犬も猫も好き。実家暮らしで猫を飼っている。

・カドヤ株式会社・日下部:部長。猫好きだが、猫からは避けられる。声が大きい。




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