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 ある日、千鳥足であっちへふらふらこっちへふらふらする酔っ払いに、シルバーが大仰に怖がるそぶりをみせたことがあった。

 そのとき、洋輔はもしかして、と考えた。


 シルバーは酔っ払いが発する匂いが嫌いだと言っていた。そして、ブラウンはシルバーの前の飼い主が同じような匂いをさせることが多かったと思うと言っていた。さらには働き出して忙しくなり、シルバーの世話をしなくなったとも。

 果たしてそれだけでシルバーが飼い主を嫌うだろうか?


 もちろん、ろくにトイレ掃除や餌をもらえなければ嫌だろう。けれど、シルバーは酔っ払いを怖がるのだ。怖がる理由があるはずだ。

 シルバーの元飼い主は酔ってシルバーに暴力を加えていたのではという不穏な考えが頭をもたげる。


「なあ、ブラウン、シルバーの元飼い主のことを知っているか?」

 ブラウンはしゃがみ込んでなるべく目線を合そうとする洋輔を見定めようとするかのようにじっと見つめた。そしてきゅっと引き締められていたへの字口がゆるゆると動く。

『シルバーは捨てられたんだ。俺は飼い主を病気で失ったけれど、最後までずっと好きでいてくれた。でも、シルバーは違う』


 飼い主の少女はずっと病弱で家から出られなく、だから常にいっしょにいるブラウンのことをとてもとても可愛がってくれたのだという。

『いつもとてもつらそうだった。でも、俺を乱暴に扱うことはなかったよ』

 そして、まだ若いうちに亡くなったのだという。両親は嘆き悲しんで抜け殻となり、とてもではないが猫の世話などできる様子ではなかったのだそうだ。


 猫調査員になるには、飼い主にとても愛されていたこと、その飼い主と別れてしまったことが条件だという。

 でも、その「別れ」はいろいろある。


 ブラウンとて、愛した飼い主との離別は辛かっただろう。シルバーは愛されていたことから一変した。

 ブラウンはシルバーと自分のことを話し、だから、シルバーは洋輔が嫌いなのではないのだと一所懸命に伝えようとした。

「うん、分かったよ。ブラウンも、悲しかったな」

 そう言ってそっと撫でる。喉がゴロゴロ鳴る。

 ブラウンはブラウンで辛かった。その点に関して、シルバーに遠慮しなくていいという洋輔に、ブラウンはきゅっとしがみついた。


 ブラウンは抱かれるのは嫌いだ。今はもういない飼い主がそうしたとき、薬と病の匂いがした。それを思い出さずにはいられないからだ。

 でも、洋輔はなんとなく違う。温かい腕の中はとてもとても安心することができた。


『俺、俺は、飼い主になにもしてあげられなかった』

「それは違う」

 洋輔はブラウンの言葉が終わったかどうかのタイミングで否定した。

「絶対にブラウンが傍にいてくれて、励みになったし、癒しになった」


 ひとりじゃないということは、やわらかく温かい動物が寄り添ってくれるということは、とても安心する。

 洋輔がそう言うと、ブラウンはすりすりと顔をこすりつけてきた。

『うん、それは分かる』

 こうして温かい身体に身を寄せれば、幸せな気持ちになる。たぶん、きっと、飼い主も同じような感じだったのだと思う。そう考えたとたん、心がじんわりとほの甘く温まる。思わず、ふくふくと身体が丸まる気がした。

 抱かれるのが嫌いなブラウンは、洋輔としばらくそのまま身を寄せ合っていた。




「聞きましたよ、カドヤの日下部部長の話」

 いつぞやと同じように株式会社ホクトの西園寺課長が言う。違うのは表情だ。「柏木マジック」のことを持ち出したときは面白そうな顔つきだったが、今は真剣な表情だ。


「仔猫を懐かせることができるなんてすごいですね」

 その功績はクロのお手柄で、洋輔は彼を運んだだけだ。

 洋輔としては、猫に害になる花を遠ざけられたのだから、なすべきことをしたと満足している。


 同じく、西園寺家もまた、猫がいるにもかかわらず、アロマテラピーの器具があった。先日、見せてくれた画像に映りこんでいたのだ。

 人間には害はなくとも、猫にとってはそうでないものはたくさんある。ネギやアワビやサザエ、百合のように。

 西園寺課長もまた、その件について洋輔に話すつもりだったようだ。


「柏木さんからご忠告を受けた後、すぐにさりげなく夫に言ったんです。猫にはアロマオイルはよくないと聞いたと」

 そうしたところ、挙動不審となったのだという。

 そこで話を聞き出したが、もらったものの、猫には良くないと後から知って、それからは使っていないと答えたのだという。

 ならば、猫の不調はなぜなのか。

 西園寺は管理職になるだけあって、根気強く探った。


「どうも、イカを食べさせていたみたいで」

「え?!」

 イカやタコの内臓に含まれるチアミナーゼは猫の体内のビタミンB1を破壊して神経障害を生じさせる。

「大量に食べさせてはいけないんです。ただ、」

 西園寺の夫も「少量食べる分には問題ない」ということを知っていたらしい。その上で、与え、結果、不調が起きてしまった。


「少しくらいなら大丈夫だと思っていたからと言っていました。わたしはそれを信じようと思います」

 なぜなら、「猫が不調に陥れば、君が仕事をセーブすると思ったから」と夫は言ったのだという。


 もっと自分を見て欲しい。自分と過ごす時間を作ってほしい。西園寺の夫はそう話したのだという。

 ペットを弱らせることで、パートナーから振り向いてもらおうというのは実は結構あることなのだ。ひどいときはペットではなく、子供を痛めつけることもある。

「わたしにも責任はありますから」


 確かに、少量ならば大丈夫なのだろう。けれど、実際に猫は体調不良になっている。

 西園寺は言っていた。猫の画像は夫が撮ったらうまくいくのだと。いつも傍にいない西園寺よりも、遊んでくれ、世話をしてくれる彼女の配偶者の方に懐いていると言っていた。ならば、猫は西園寺の配偶者を信頼していたのではないか。

 そんな猫の気持ちを裏切り、妻を振り向かせたくて犠牲にしたのだ。


 西園寺は責任感のある人間だ。猫が不調だったら気に掛けるに違いない。そこをつかれた、という考えをどうしてもしてしまうのは、洋輔が猫調査員の仲間となったからだろうか。


 だが、言ってみれば、西園寺家の家庭の問題だ。洋輔には踏み込めない領域である。

 多様性を重要視し、他者の事情に踏み込まないことがマナーとされている。そうすると、ほかの要素を取り入れにくくなる。異なる価値観に触れることがなくなる。閉鎖感は偏った考えになりがちになり、ともすれば独善的になりかねない。

 だから、ネットで顔を合わせずに話そうとするのかもしれない。現実社会ではその後のことを考慮して言えないことが多々あるが、ネット上の顔も名前も知らない間柄でならば吐き出せることはある。


「わたしももっと猫の世話をしようと思います」

 夫とももっとよく向き合ってみるとも言った。猫のこともふたりで学んでいくと。

 西園寺を信じようと思った。きっと、猫の扱いに対しても改善されることだろうと。


「柏木さんのお陰です。柏木さんと話していて、ああ、わたし、猫から愛されたいと思うばかりで、愛されるようなことをしていなかったな、って気づいたんです」

 いっしょに猫の世話をすることで、夫との時間も取れるようになるといいと洋輔は願った。


「そうそう、アクセスの久保谷さんがカドヤの日下部部長の懐に飛び込むことができたのも、猫の話のお陰だそうですよ。なんでも彼も猫を飼っていたらしいんですが、脱走して結局見つからずじまいだそうです。日下部部長は大いに同情されたらしいですよ」

 なんでも、久保谷陽司は彼の父親が動物嫌いだったから、大学入学と同時に家を出て、しばらくしてから猫を飼ったのだという。

「猫のために家を出た」くらいは言っただろう。それを、日下部は快く受け止めた。


 西園寺はだから、なにかと猫に縁がある洋輔もきっと日下部の、ひいてはカドヤ株式会社の取引きを大幅に伸ばすことができるのではないかと言った。

 それは西園寺なりの洋輔に恩を感じての発言だったのかもしれない。





※人物紹介

・柏木洋輔:総務人事部から営業部へ異動し、慣れない営業活動をする傍ら、猫たちの不思議な活動に参加することに。猫たちからは「にゃあすけ」と呼ばれる。

・株式会社ホクト・西園寺真理:やり手の課長。広い伝手を持つ。

・カドヤ株式会社・日下部:部長。猫好きだが、猫からは避けられる。声が大きい。

・株式会社アクセス・久保谷陽司:苗字は「くぼや」と読む。洋輔の会社のライバル会社社員。



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