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 そんなこんなで、たどり着いた日下部家で、クロは物珍しそうに鼻先をあちこちにむけ、しきりに匂いを嗅いだ。


「おお、本当に真っ黒だな!」

「———にゃあ」

 クロが目を細めて不満の鳴き声を上げる。

『このニンゲン、声が大きくて嫌』

 あっという間に日下部はクロに嫌われてしまい、洋輔は慌てる。だが、日下部には当然のことながらクロの言わんとすることは伝わらない。

 黒猫に触りたくて仕方がないが、洋輔の手前、我慢しているという風情である。


『にゃあすけ!』

「なんだ?」

『なんだってなに?』

「俺を呼んだんじゃないのか?」

『仔猫を呼んだんだよ』


 クロいわく、「にゃあすけ」と「にゃあすけ」は違うという。洋輔には正直なところ、どちらが洋輔を指し、どちらが仔猫の名前なのかがわからない。しかし、クロの真剣な瞳に、「そうなのか」と言うほかなかった。「そんなのわからねーよ」と馬鹿にしたように言い捨てるなど、発想もない。


 さて、日下部は洋輔がまるで黒猫と会話でもしているかのような様子を見て感心していた。そして、黒猫の鳴き声に呼ばれたかのように、にゃあすけがやって来るのに、「おおっ」と声を上げる。とたんに、にゃあすけはぴゅっと身を翻して逃げて行く。


「にゃあ」

 黒猫は洋輔を見上げて不満げに鳴く。それにひとつ頷いた洋輔が、居間に飾ってある花瓶を指さした。

「部長、あのですね、実は百合は猫にとって良くないんです」

「そうなのか?」

「はい。活けてあった水ですら、飲むと猫にとって毒になります」


 いたずらして倒して水が漏れないとは限らない。それを舐めてしまっては大変だ。

 日下部は慌てて花瓶自体を二階へ持って上がる。

「にゃあすけはまだ階段を登れないからな」


 さて、日下部が百合の花瓶を持って行った隙に、洋輔はクロの通訳により、仔猫から事情を聞いた。

『ええとね、「こわい」「声が」「威嚇してくる」「いつ攻撃されるか」「ひやひやする」んだって』

 クロも同じ意見だという。猫にとっては高い声の方が良いらしい。


 戻って来た日下部はクロの陰に隠れて自分の方を覗う仔猫に感動する。あからさまに隠れていても、同じ部屋にいることができているのだ。

 そこで、洋輔は日下部に猫は大きな声、そして低い声を怖がるのだと話した。

「そ、そうなのか? しかし、声質を変えることはできない」

「静かに穏やかに話してみてはどうでしょう?」

 意外なことに日下部はそんなことできないと突っぱねなかった。


 もちろん、仔猫はすぐに懐くことはないが、クロといっしょに遊ぶのを横目に、洋輔と日下部は動画で猫のおもちゃの動かし方を勉強する。


 大あくびをして眠そうにする仔猫に、日下部は小さな音量で子守唄を歌った。低音だが、おだやかな旋律がゆったりと漂う。

 仔猫は安心してふわふわのクッションの上で眠った。


 洋輔は日下部とともにキッチンに移動しつつ、「子守歌、良いと思います。仔猫も安心して眠っていましたし」「そうだよな、結構気を許している感じだったよな」などと小声で盛り上がった。

「歌がお上手なんですね」と言ったら、「接待カラオケで鍛えられたんだ」と日下部は胸を張った。


 その後、食事をご馳走になる。日下部の妻が用意しておいてくれたのだという料理はとても美味しかった。

 クロには持参した猫缶を与える。


 片づけを済ませ、茶を飲んでいると仔猫が目を覚まし、クロと遊び始める。クロがおもちゃを咥えて日下部の前にぽとりと落とす。それを動画で学んだのを活かして動かすと、仔猫がじゃれつく。日下部は感激に目を潤ませながらせっせとおもちゃを操った。

 日下部は辞去する洋輔に感謝しきりであった。


 のちに、「柏木マジックの根拠となるエピソード」として語りつがれることになる。

 なお、音量を落としてゆっくりしゃべるようにしたら、夫婦関係も改善したという。

「柏木マジックは本物だ」

 日下部は感動に打ち震えた。


 洋輔は駅に着いたらキャリーバッグに入れることにしてクロを歩かせた。

 猫同士の縄張りというのはどうなんだろうか、見知らぬ猫が通行しても大丈夫だろうかと考えていたからか、猫がするりと路地から出てきた。

「にゃあ」

 とろりとした鳴き声に意味のある言葉が重なる。

『ほかのエリアの調査員なの?』

『そうだよ。こっちのにゃあすけも仲間だ!』


 この周辺の猫調査員と会った洋輔とクロは念のため、日下部家で仔猫を預かっているという話をする。ついでに、クロは洋輔の人間としての調査成果を話す。

『ニンゲンが調査の手伝いをしているのは聞いたことがあるわ』

『手伝いじゃないよ。仲間だよ』

 クロはへの字口にきゅっと力を入れて抗議する。


 洋輔は改めて、人間の食べ物や飾る花が毒になるものがあることをなるべく詳細に話す。

『分かった。広めておく』

 こうして、猫調査員たちの中に、にゃあすけという人間調査員の有用性が浸透していく。猫と人間の橋渡しに役に立つ。ネットワークでその意識が共有される。


 洋輔とクロはふたたび電車に乗り、帰って来た。

「クロ、ありがとうな。キャリーバッグに入って電車に乗るなんて、怖かっただろう」

『ううん、面白かった!』

 電車にあんなにびくびくしていたのに、終わってしまえばそんな風に言えるのだ。洋輔がおかしみをかみ殺して好ましさを募らせていたら、クロが続けて言う。

『にゃあすけがいっしょだったから、怖くなかったよ』

 虚をつかれる。

 そんな風に全幅の信頼を預けられることがあるだろうか。


 小さいのに元気いっぱいであちこち跳ねまわり、柔軟に歩き、そして、実は人間社会で生きていくには適さない部分が多い。ストレスに感じやすいのだ。

 そんなクロやほかの猫たちが安心して生きていけると良い。洋輔はそう願わずにはいられなかった。



~みんなで応援しよう9~


「よし、メール認証っと」

『終わったー?』

「うん、送信したからこれで受信したメールの———ってなにやってるの?」

 段ボール箱に無理やり全員で入ったものだから、クロの顔が変形している。

 シルバーもだ。だというのに、上から目線な表情となっている。

 そして、出てこない。誰ひとりとして。

「そこがいいのか?」

『狭いところ、好き』

『みんなでふわふわにゃごにゃごしてたのー』

 ブラウンとタビーがひょこりと顔を出す。

 おはぎは丸まってすやすやと眠っている。


 和やかな光景にうっかり手を止めてしまうにゃあすけは、猫たちがひと所でおとなしくしている今こそが作業を進める絶好の機会だと気が付かないのであった。



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