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 折り入って頼みがある。

 よくある前置きの言葉だが、それを言われたのが得意先の営業部長であれば、深刻かつ重要な事柄を予想させずにはいられない。さらに言えば、面倒ごとを予感させる。

 ともあれ、洋輔はカドヤ株式会社に急行した。


「いやあ、すまんね、柏木君」

 日下部部長はプライベートのことだからと、退勤後の面談となった。洋輔が連れて行かれたのは洒落た居酒屋である。


「今日日は取引先の営業マンにプライベートの頼みをしたらコンプライアンスに引っかかりそうだ」

 そう言いつつ、日下部は事情を話す。

「実は娘が婚家で仔猫を飼ったのだがな、これがどうにも俺には懐かないんだ」


 遊び好きで、娘とその夫とはおもちゃでいっしょに遊ぶこともあるのに、日下部には怯えるのだという。

 とうとう娘に「お父さん、仔猫がもう少し大きくなるまで家に来ないで」と言われてしまったのだそうだ。


「それがな、娘が入院することになってうちでその仔猫を預かることになったんだ」

 娘の配偶者は忙しくてそうそう会社を休めない。日中不在にしては、猫はまだ小さいので心もとなく、実家に預けることにしたのだ。面倒を見るのは母親である日下部の妻だ。


「ところが、今度の日曜日に妻が出かけることになったんだ」

「仔猫は日下部部長に慣れたんですか?」

「いや、これがまったくだめなんだ」

 狭いところに潜り込んで出てこないのだという。


「「なう~ん」をやろうとしても近寄っても来ないんだ」

 液状スティックタイプのウェットフード「なう~ん」は猫を虜にすると言われている。

「ま、まあ、でも、「なう~ん」を好まない猫もいるでしょう」

「いや、家内がやったら飛んでくる」

 洋輔は沈黙を守った。


「にゃあすけも仔猫とはいえ、一日くらいなんとかなるよな?」

「え?」

 ビールジョッキに口をつけようとしていた洋輔は思わず顔を上げた。ビールを飲んでいる最中ではなくてよかった。そうしていたら、むせていたことだろう。


「なんだ?」

 日下部が不思議そうに太い眉を跳ね上げる。

「仔猫の名前って、」

 ビールジョッキをテーブルに置いて、洋輔は恐る恐る聞いた。

「にゃあすけだ」

 よりにもよって、「にゃあすけ」。

 洋輔はどんな表情をすればいいのか分からなくて、ぐいっとビールジョッキを煽った。


「俺がいたら飯も食わないし、水も飲まない。トイレにだっていかない。だから、別の部屋にいて物音に気を付けていようと思うんだが」

 当然のことながら、危険なものは仕舞ってあるという。

 ふと、株式会社ホクトの西園寺課長のことを思い出す。

「あの、仔猫の画像とか動画とかはないですか?」

「あるぞ。見るかい?」


 大きな手、太い指で器用にスマートフォンを操作する。ペットは大量に撮影してしまうものだが、日下部は怖がられているせいかあまりない。日下部の妻には懐いているそうだが、あまり撮影しないのだろうか。


 これでは危険物があるかないかは分からないな、と考えていると、日下部は違った風に受け取ったようだ。

「やはり、仔猫は目を離すべきではないか。しかし、遊びたい盛りだから、一日中ケージにいれておくのもストレスが溜まるだろうしな。そうだ、君、うちに遊びに来ないかね?」

「え?」

「丸徳の山本君から聞いているよ、「柏木ジンクス」か、いや、「柏木マジック」だったか?」

 洋輔は、両方ですとは自分の口からは言いにくく、すっかり冷めたつまみを食べた。


「この通りだ。そのジンクスにあやからせてくれ」

 パァンと威勢の良い音をたてて手のひらを重ね合わせる。騒がしい店内が一瞬、静まった。

 こうして、押しの強い取引先の部長のお宅訪問と相成ったのである。

「にゃあすけ」に親しみを感じなかったと言えば嘘になるから、洋輔としても強く反発する気は起きなかった。




 洋輔は最近はクロたち以外のほかエリアの猫調査員の声を聞くこともある。けれど、日下部が預かった仔猫の声を聞くことができるかどうかは分からない。できないと思った方が良いだろう。

 洋輔はクロたちに事情を話してアドバイスを求めた。


「どうして部長を怖がると思う?」

『うーん』

『怖いから?』


「どうして怖いと思う?」

『ううーん』

『大きいから?』


「確かに日下部部長は大きいけれど、猫からしたら人間はみんなそうだしなあ」

『うううーん』

『怒るから?』

「怒ることはないと思うけれど」

 けれど、結果的にはそれに近い理由だった。


「おお、いらっしゃい。わざわざ休みの日にすまないな」

「いえ。この子が連絡したクロです」

「クロ君も遠いところを移動させてすまないね。さあ、上がってくれ。早く狭いキャリーから出してやると良い」

 日曜日、スマホの地図を頼りに日下部家にたどり着いた洋輔は、クロを伴っていた。


『俺が通訳してやる!』

 クロは顎を上げ、ぴんと長い尾を上げた。

「え、でも、日下部部長の家は歩いていけないぞ。電車に乗ることになるけれど」

 とたんに、クロの尾はしおしおと下がったが、それでもクロは手伝うと言い張った。

 洋輔は今後、なにかの役に立つだろうと猫搬送用のキャリーバッグを買った。クロは大人しく中に入り、洋輔は揺らさないように慎重に持ち運んだ。

 電車の中でもときおり、小さい声で話しかけ、なるべくクロの気持ちが落ち着くように努めた。



※人物紹介

・柏木洋輔:総務人事部から営業部へ異動し、慣れない営業活動をする傍ら、猫たちの不思議な活動に参加することに。猫たちからは「にゃあすけ」と呼ばれる。

・カドヤ株式会社・日下部:部長。猫好きだが、猫からは避けられる。声が大きい。

・株式会社丸徳・山本:猫好き。顔が広く、広い猫飼いネットワークを持つ。

・株式会社ホクト・西園寺真理:やり手の課長。広い伝手を持つ。





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