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引っ越しの準備を進めつつも頻繁に実家に顔を出しているという遠藤は、猫と上手くやっているようだ。ほかのエリアネットワークの調査員からも喜ばれ、洋輔は大いに評価されているとクロが自慢げに顎を上げて教えてくれた。
その遠藤は洋輔があれこれ話を聞いたことを感謝し、猫のことをよく話すようになっていた。
「うちの子、見て下さい」
「え、なんでこんなにカメラ目線で撮れるの?」
遠藤に突き付けられたスマホに、洋輔は思わず釘付けになる。ブレることもなく、猫がまっすぐにこちらを向いている。
「ふっふっふ、それはですねえ、レジ袋をがさがささせているんですよ」
ビニール袋で音をたて、それで注意をひくのだという。
「へえ、そんなウラワザがあるのか!」
洋輔はスマホを返しながら心底感心する。同時に、派遣された猫の毛艶がよく、表情も活き活きしていることに安堵していた。
「柏木さんって、なんか、いいですよねえ」
遠藤がしみじみつぶやくのに、田所がぴくりと身じろぎし、四谷がにやにやする。
そんなことを言われているとは知らない洋輔は営業という職務に対し、少し自信を持ち始めていた。
カドヤ株式会社に訪問した際、応接室に向かうエレベーターの中で、猫五匹に頭突きをされたと話したら、いっしょに乗っていた大柄な初老の男性に嫉妬された。
「けしからん!」
一体何のことかと目を白黒させる洋輔にカドヤ株式会社の担当者は苦笑しつつ謝罪する。そして、その大柄な男性を営業部長の日下部だと紹介する。
「部長、羨ましいからって大人げないですよ」
「そうそう。共栄さんの営業マンが五匹もの猫に好かれるってことじゃないですか」
日下部の後ろからひょこりと顔を出したカドヤ株式会社の社員も同意する。彼は課長だと紹介された。
「あれ、好かれているんですか? なにか不満があったわけじゃなかったんですね」
「そうですよ」
「部長はね、猫好きなんですけれど猫からは嫌われちゃうから、柏木さんに嫉妬したんですよ」
そんな風に口々に洋輔にフォローしてみせる。
担当者しかり、日下部と連れ立っていた社員しかり、営業部長が慕われていることが見て取れる。
「お、君が共栄の柏木君か! 丸徳の山本君から聞いているよ。犬派から猫派に転向させられそうだって」
太い眉を弓なりにさせて、声も大きければ身振りも大きい。
「あ、柏木さんだったんですね。僕はホクトの西園寺さんから伺っています。面白い方だって」
課長もそんな風に言う。
いまだかつて、面白いなんて言われたことはない。一体、どんな伝わり方をしているのか。
「へえ、そうなのか? 柏木君、これから商談するの? 俺も同席していいか?」
「あ、じゃあ、僕も」
急遽、部長と課長までが加わった。洋輔も緊張したが、カドヤ株式会社の担当者はもっとガチガチになっていた。
その日はそれまで話を進めていた案件がまとまり契約する日で、つつがなく手続きが済んだ後、押出しの強い部長が洋輔に頭突きをする猫のことを尋ねた。
「どんな猫なんだ?」
「黒猫や縞模様の猫、ほかに黒白ツートンカラーの猫はおばあちゃんで僕を移動手段にしています」
「ちゃっかりしているなあ」
呆れる部長に部下ふたりが笑い声を上げる。
「丸徳の山本君はな、仕事の伝手も多いが、猫飼いネットワークも広く網羅しているぞ」
「そうなんですね!」
日下部部長の言葉に、洋輔は閃いた。
ブラウンが言っていた通り、人間のネットワークから取り組んでみるのはどうだろう。猫のネットワークに引っかからない事象が分かるかもしれない。クロたちにサザエを食べさせようとした中学生を特定し家族から釘を刺して置くと言ってくれたご近所さんのように、人が形成するネットワークも素晴らしい効力を発揮すると思い知らされていた。
さっそく株式会社丸徳の山本に連絡を取ると、「カドヤの日下部部長から柏木君への繋ぎをしたって聞いたよ」と笑われ、恐縮する。良いアイデアだ、と飛びついたのを見透かされていたらしい。
山本は快く面談の時間を取ってくれた。
出向いた洋輔は営業を掛けつつ、その空気に乗って猫の情報を引き出す。
「どこそこの人間は猫好きだって言っておきながらろくな世話をしない」
「それは要注意ですね」
猫は水入れに髭が当たると水を飲まなくなるくらいデリケートな生きものだ。トイレも使用したらすぐに掃除してやらなければ、次に使おうとしないこともある。
「トイレができなくなったり、水を飲まなくなったら大変だ」
思わずつぶやくと、山本もうんうんと二度三度頷く。
「猫をたくさん集めすぎて手が回らなくなったという話も聞きくよ」
「一般家庭ですよね。大きな家か広い敷地をお持ちなんでしょうね」
「それがそうでもないらしくて。そのうち、市の指導が入るんじゃないかなあって言われているんだ」
行政はなかなか腰が重いものだ。誰かが気づいて陳情が上がれば少しは早く動くかもしれない。洋輔はさり気なく場所を聞いておいた。大まかなエリアが分かれば、後は猫調査員たちのネットワークに頼ろう。特定したら該当の市へ陳情すればいい。
「猫を欲しがっていて、保護猫譲渡会に参加したけれど、条件が厳しくて断念した人がいてね」
「え、独身は不可なんですか? 今は自動給水機や自動給餌機もあるから、急な出張が入ってもなんとかなりそうなものですけれどね」
「そうなんだよ。そのくらいの設備投資はする気はあるって言っているんだけれどねえ」
洋輔はさり気なくどの辺りの出来事か、誰のことなのかなどという情報を集めた。
そうして集めた情報をクロたちに話し、猫調査員たちは情報をバケツリレーのように次々と渡していき、担当エリアの調査員が動き出す。
猫調査員が該当する猫と話し、アドバイスし、あるいはその猫の意志をこちらへフィードバックする。
場合によっては、洋輔が株式会社丸徳の山本にそれとなく話すことで人間の方へ働きかけることもあった。
山本が構築する猫好きの人間や彼らのエピソードを聞き出すことも継続して行う。猫調査員がフィードバックした情報をさりげなく話し、先方に伝えてもらおうとすると、すんなり引き受けてくれる。
「柏木ジンクスさ。君に話したら猫関連の良いことが起きるジンクスがあるんだ」
猫との関係が改善したとか、望んでいた通りの猫を飼う契機があったとか。
「こういう良い波が来ているときは素直に乗って置くことにしているんだ」
それは猫調査員たちのお陰である。調査とマッチング、そして派遣だ。その後のアフターケアもしっかり行う。
そして、顔の広い山本が生み出したフレーズは意外なところからも耳にすることになる。
「聞きましたよ、「柏木マジック」」
株式会社ホクトの西園寺課長が面白そうな顔つきになる。
「え、それは初めて聞きました。「柏木ジンクス」は知っていますけれど」
株式会社丸徳の山本から直接言われた。
「あら、そうなんですか? わたしは猫の難問が魔法のようにすいすい解決するって伺いました」
後に、洋輔はそんな魔法があれば教えてほしいと思うことになる。
「それでですね、わたしも「柏木マジック」にあやかりたくて」
いつも歯切れの良い西園寺が少々気後れした様子で言う。
「なにかあったんですか?」
「うちで飼っている猫なんですけれど、わたしよりも夫に懐いているんです。仕事が忙しくてどうしても夫が世話をしたり遊んであげたりするから、当然と言えばそうなのかもしれないけれど」
そう言って、スマートフォンを操作して猫の画像を見せてくれる。
「良く撮れていますね」
先日、見せてもらった遠藤の猫の画像を思い出す。同じような裏技を使ったのだろうか。
「これ、夫が撮ったんですよ。わたしじゃあ、こんな風に撮れないわ」
西園寺はやや悔しそうに唇をゆがめる。そうしながらも、最近、猫の体調が悪いのだという。
「下痢気味で。吐き戻しもいつもより多いみたいなんです」
猫はよく吐く生き物だ。とはいえ、ふだんより回数が多いとなると、なんらかの疾患が考えられる。
話しながら、一体どれほど西園寺の夫は写真を撮っているのかというくらい、大量の画像を次々と見せられる。
「あれ? ちょっと戻ってもらっていいですか?」
他人のスマホを触るのは気が引けた洋輔は、西園寺がすいすい、と送る画像を見ていた。そのうちのひとつに引っかかるものがあった。
「これですか?」
「はい。ここ、拡大してもらえますか?」
つう、と画像が広がり、一部分が大きく映し出される。スマートフォンの画素数は優秀で、細部まで鮮明に捉えていた。
そこに映ったものを見て、洋輔の気持ちは沈んだ。ゴールデンウィークの出来事を思い出さずにはいられない。
「柏木さん?」
不思議そうに西園寺に呼ばれ、はっと顔を上げる。
どう話すべきか。
洋輔は必死に頭を巡らせる。ことはデリケートな問題だ。しかし、洋輔には捨て置くことはできなかった。
洋輔がつっかえつっかえ話す言葉に、西園寺は真摯に耳を傾け、最終的には確認すると頷いた。
それ以上踏み込むことはできない。けれど、この女性にとっても、猫にとっても、そして彼にとっても、より良い結果がもたらされることを祈った。
※人物紹介
・柏木洋輔:総務人事部から営業部へ異動し、慣れない営業活動をする傍ら、猫たちの不思議な活動に参加することに。猫たちからは「にゃあすけ」と呼ばれる。
・田所由加里:経理部。二十八歳。犬も猫も好き。実家暮らしで猫を飼っている。
・四谷樹:営業部で五年勤務。三十三歳。洋輔の教育係。爽やかなイケメン。
・遠藤さくら:経理部の新人。二十三歳。猫大好き。
・株式会社丸徳・山本:猫好き。顔が広く、広い猫飼いネットワークを持つ。
・株式会社ホクト・西園寺真理:やり手の課長。広い伝手を持つ。
・カドヤ株式会社・日下部:部長。猫好きだが、猫からは避けられる。声が大きい。




