憧れと夢
「──もう、マルシェラは。またそうやって卑屈になってる」
「だって……」
洗濯物を干すのを手伝いながら、わたしはニナ姉の言葉に肩を落とした。
天気は清々しい晴れ模様だが、わたしの心は曇天だ。
今日も盛大に失敗してしまった。
ちょっと子どもたちの喧嘩を収めるつもりが、ついつい怒りに任せた説教のようになってしまい──、収めるどころか、二人とも泣かせてしまったのだ。
そんなつもりはなかった。
もっと優しく諭して仲裁し、今頃は仲良く遊んであげているはずだったのに……。
結局、あの場にいるのが気まずくなってしまい、今はこうして逃げるようにニナ姉の手伝いをしている。
みんなはいつもわたしを頼りになるとか働き者だと褒めてくれるが、そんなことはない。
わたしの前向きな行動は、いつも後ろ向きな気持ちの裏返しでしかないのだ。
今日もこうして、彼らから逃げる口実としてニナ姉の手伝いをしているだけ。
結局のところ、ただの自分本位な人間なのである。
「はぁ……」
わたしはため息をつくと、隣でシーツを物干し竿に広げているニナ姉に目を向けた。
彼女の横顔は、今日も朗らかに笑っている。
たいして、わたしはいつもどおりのしかめっ面だ。
これでは子どもたちが泣き出すのも無理はない。
わたしだって怖い顔をした年長者が難しい顔をして迫ってきたら、萎縮して恐ろしく感じてしまうだろう。
わたしは再び地面へと視線を落とした。
木漏れ日の中、ニナ姉の影を目で追う。
「……やっぱり。わたしはニナ姉みたいに、うまくできないよ……」
独り言のように、そう呟いた。
ニナ姉はわたしの目標だ。
彼女はいつも誰かに優しくて、いつも朗らかに笑っている。
仕事もできるし、みんなに頼りにされている。
要領が悪く、思った通りにできないわたしとは大違いだ。
彼女のようになりたいと思うものの、わたしはいつも空回りばかりしている気がする。
消沈した心持ちのまま、再び彼女の方へと視線を戻すと──。
ニナ姉は、なぜだか目を丸くしてこちらを見ていた。
「わたしみたいに……?」
こちらの言葉を繰り返し、彼女は一瞬固まったように口を開ける。
そして次に、わたしの顔を見て──、ぷっ、と小さく吹き出した。
「──あははっ、そんなふうに思ってたんだ」
ニナ姉の盛大な笑い声が教会の庭に響く。
こらえきれないといった様子の彼女。
そんな姉の姿に、わたしは思わず、むっとして彼女を睨んだ。
「なんで笑うのよ!わたしは真剣に悩んでるのに……」
「ごめんごめん。でも、マルシェラは難しく考えすぎなだけだと思うけどねー」
彼女の広げた白いシーツが風になびく。
春を感じさせる朗らかな陽の光の下。
ニナ姉はわたしに向き直ると、今度は、ふふっ、と穏やかに笑みを浮かべた。
「苦手なことなんて誰にでもあるし。それに、マルシェラはうまくやれてるよ。それは、みんなにもちゃんと伝わってると思う」
彼女は青空を背後に、わたしに大きく頷いた。
「だから、そんな顔しないで。──たぶん上手にできるかどうかって、わたしたちにはそんなに関係のないことだから」
そう言って、わたしの頭を撫でてくれた。
その手のひらの柔らかさに、わたしは返す言葉もなくしてしまう。
本当に、そうなのだろうか。
うまくできないわたしの行動に、意味などあるのだろうか。
再びもやもやと思考の渦に囚われてしまったわたしを見て、ニナ姉は優しげに口を開いた。
「自信持ってよ、マルシェラ。だってわたしたちは──」
──そう。
あのとき。
たしか彼女は、わたしを慰めるために何かを言ったのだ。
ニナ姉は、なんと言ってたんだっけ……。
思い出せない。
これははるか過去の記憶の風景。
彼女との思い出の中の1ページだ。
もう、彼女にあのときのことを尋ね返すこともできない。
なぜなら、彼女は今はもう──、わたしの隣にはいないのだから。
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「──うぅん……」
寝返りとともに目が覚めた。
見知った天井だ。
ここは……、わたしの部屋か。
というか、わたしはいったいなんで寝てたんだっけ。
何か懐かしい夢を見ていた気がするけど……。
一度寝起きの頭を整理し直すために、ゆっくりとシーツの中で深呼吸する。
思いがけないミシュの失踪。
わたしは彼女を探すためにロザリアの街へ向かった。
そして、ミシュを見つけて、追いかけて、そして──。
「……そうだ、ミシュは……!?」
慌てて自分の右手を見る。
彼女の腕を掴んでいたはずの右手には、いまは何も握られていない。
それに気づいた瞬間、わたしはがばりと跳ね起きた。
少しだけ腹の辺りが痛み、思わず顔をしかめる。
どうやらここは、孤児院のわたしの部屋のようである。
それなら、シスターがいるはずだ。
今すぐに彼女を呼んで、話を──。
「──あら、マルシェラちゃん。起きたのね」
「……シスター?」
ちょうど開け放たれた部屋の扉の先。
聞き慣れた声がわたしの名前を呼んだ。
シスターは何やら大きな皿を両手に持って、こちらにふわりとした笑顔を見せた。
「見て見て。初めてアップルパイ作ってみたのよ。食べる?」
「ううん、いらない。シスターお菓子作り下手だし」
「ひ、酷いっ、せっかく作ったのにぃ」
とたんに涙目になるシスター。
……しまった。
ついつい口調が厳し目になってしまった。
いかんいかん、こういうとこだぞ、わたし。
ごほんと咳払いし、彼女に向き直る。
「あー、やっぱり一口だけ……」
自分の言葉に反省し、再度彼女に言葉をかけようとしたそのとき──。
シスターの指先が皿からアップルパイを一つ取り、もそりとそれを自分の口へと運んだ。
笑顔でもぐもぐと咀嚼を始めた瞬間。
「──うぇっ!?しょっぱい!?」
飛び上がって目を白黒させているところを見ると、どうやらわたしは食べないで正解だったらしい。
というか、いまどき塩と砂糖を間違える人なんているんだな。
基本的に彼女はなんでもこなせる人なのだが、料理だけは彼女の苦手とするところだ。
たぶんそれはこういうところなんだと思う。
しばらく彼女の醜態を眺めていたわたしだったが──、すぐに、はっとして彼女に向き直る。
そもそも、こんな呑気なやりとりをしてる場合ではないのだ。
「──それよりもシスター、ミシュは!?わたし、ロザリアの街であの子を見つけたの……!あの子は今──」
食らいつかんばかりのわたしの行動に驚いたのか、シスターは少し面食らったようにのけ反る。
そして、不思議そうに首を傾げると、わたしの背後の部屋の隅を指差した。
「ミシュちゃんなら、さっきからそこにいるじゃない」
「……え?」
シスターの指の先に視線を向ける。
すると、申し訳なさそうに部屋の隅の椅子で身を縮こませている、黒髪少女の姿が目に入った。
なんだかそこだけどんより空気が澱んでいるように見えるのは気のせいだろうか。
まあ、あれだけ盛大に家出した手前だ。
バツが悪い気持ちなのは察してしまうのだが。
シスターはわたしとミシュを見比べながら口を開く。
「ミシュちゃんが、マルシェラちゃんを運んできてくれたのよ。『お姉ちゃんが死んじゃう!』って。──いやまあ、べつに命にかかわるような怪我じゃなかったけどね?早めに治癒魔術をかけれたのはよかったわ。跡も残らないだろうし」
「そっか……」
部屋の隅で肩身が狭そうにしている彼女を見る。
彼女の今の気持ちを考えるなら、逃げ出した気まずさと、必要以上に騒いでしまった恥ずかしさというところか。
まあ、あのまま道端で転んで死んでいたら、わたしだって恥ずかしくて安らかに逝けなかった。
ミシュの優しさには感謝だ。
状況はどうあれ、彼女はわたしを必死に助けようとしてくれた。
それが、今はただひたすらに嬉しい。
だからこそ、ちゃんと、伝えるべきことを彼女に伝えなくてはいけない。
もう二度と、彼女が自身を責めることのないように。
「──ねぇ、シスター。わたし喉渇いちゃった。温かい紅茶、お願いしてもいいかな」
わたしの言葉に、シスターは一瞬きょとんとした顔をした。
だが、すぐに何かを察したように頷き、部屋の出口へと向かう。
「しかたないわねぇ。えーっと、茶葉はどこに置いたかしらぁ?ちょっとだけ時間かかるかもー」
彼女は白々しく指をくるくると回してみせる。
紅茶、毎日飲んでるじゃん。
わたしは心の中でツッコミをいれると、すたこらと部屋を出ていくシスターの後ろ姿を見送る。
あとに部屋に残されたのは、わたしとミシュだけ。
薄暗い室内にともるランプの灯りが、ほのかに暖かく揺れていた。