ミシュの事情
「どうだった?今日のミシュちゃんとのデート」
孤児院に帰り、いろいろとやることを終えたその夜。
夕食後の落ちついた時間に、わたしはシスターの部屋を訪れていた。
紅茶を啜りながら尋ねてくる彼女。
ニコニコ顔のシスターに、わたしもカップを片手に返事を返す。
「どうかな……。お互い距離は近くなったとは思うけど……」
「あら。思ったより歯切れが悪い返事ねぇ。ミシュちゃん、とっても笑顔だったわよ」
「喜んでくれてたとは思う。ただ──」
言いかけて、口ごもる。
ロマルゥ食堂で、彼女が最後に見せた、あの表情。
他人に言えない何かを隠しているような──、むしろ思い詰めたような、そんな様子だった。
あれからずっと、そのことが気にかかっているのだ。
正直、あまり彼女を詮索をするような真似はしたくない。
けれど、ミシュが抱えている何かが、彼女と家族になるにあたっての障害となる何かなら──。
やはり目を背けずに、ちゃんと向き合うべきなのだろうか。
シスターはそんなわたしの顔を見て「どうしたの?」と小首を傾げた。
わたしはそんな彼女に対して首を横に振る。
「……なんでもない。それより、シスターって意外と顔が広いよね」
「そうよー。街でも教会でも、わたしってわりと顔がきくのよ?じつは教会の人の中でもけっこう偉い方なんだから!」
えっへん、と胸を張るシスター。
わたしは胡散臭げに彼女を見つめる。
「そうなの……?朝も一人で起きられないのに?」
「それは関係ないでしょ!ちなみにわりとゴロゴロしがちで生活にだらしないところがあるのも関係ありません」
「自覚してるなら治しなよ……」
呆れ顔で指摘してやると、彼女はペロリと舌を出して笑っていた。
いつもほんわかと呑気に微笑んでいる彼女。
せっかちなわたしは、どうにもそれがもどかしくなってしまうのである。
シスターはそんなわたしに、可愛らしく小首を傾げてみせる。
「ニナちゃんもマルシェラちゃんも頼りになるから、ついつい甘えちゃうのよねぇ」
「ちゃんと更生しなよ。わたしだって──、……いつまで隣にいるか、わからないんだから」
わたしの言葉に──、彼女が、一瞬息を呑む音が聞こえた気がした。
少し意地悪な言い方だっただろうか。
やっぱり、わたしはニナ姉のようにはうまくいかないな。
シスターはわたしの言葉に、「善処しますよぅ」とおどけた口調で返す。
そして──。
少しだけ、寂しそうに笑った。
彼女は長命のエルフだ。
きっと今までの人生で、何度も出会いと別れを経験してきたのだろう。
ニナ姉との別れも、じきに来るであろうわたしとの別れも──、彼女にとってはその中の一つ。
多くの別れの中の、ありふれた一つにすぎないのだ。
だが、もし叶うのならば。
たとえ離ればなれになったとしても。
わたしたち家族との出会いと別れが、彼女の中で一番大切な思い出であって欲しい。
そう思ってしまうのが我儘なのだとしても──、わたしたち家族の絆は、かけがえのない唯一無二のものだと信じたいのだ。
「……ねぇ、シスター」
わたしは紅茶を一口すすり、彼女に向き直る。
やはり、目を背けるべきではない。
ここが、みんなが笑顔になれる場所であること。
それが、わたしたち子どもにとっても、シスターにとっても、きっと一番大事なことなのだ。
「──シスターなら知ってるんでしょ?ミシュが、前の孤児院で馴染めなかった理由」
そのセリフに、シスターは少し目を丸くする。
そして──。
しばらくののち、「そうね」と素直に頷いた。
ミシュの笑顔の裏。
そこに隠されている思い詰めた感情のわけを知りたい。
それはきっと、わたしにとっても避けては通れないもののはずだから。
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しばらくシスターは、揺れる紅茶の水面を見つめていた。
ランプの光が床に落ちた影を揺らす。
橙色の炎が、ちらちらと夜の天井を照らしていた。
彼女は、小さな吐息とともにわたしへと視線を動かす。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……べつにね、誰が悪いというわけじゃないのよ。あの子が前の孤児院に馴染めなかったのも……、そこでいじめられてたとか、酷い扱いをされていたとか、そういうことではないの」
「じゃあどんな……」
そう言いかけて気づく。
「──ああ、そっか。わたしに言いにくいような内容なのね」
「……マルシェラちゃんて、ほんと良くできた子よねぇ」
苦笑いを浮かべるシスター。
そんな彼女を見つめ、わたしは一つため息をついた。
普段の彼女ならそんなことで隠し事はしない。
シスターはふわふわとした性格だが、やるべきことはちゃんとやる人だ。
あえてわたしにそれを伝えなかったということは、それはきっと、わたしとミシュの関係を思ってくれてのことだろう。
わたしが続きを促すように見つめると、シスターはカップを両手で包み、ふぅ、と息をついた。
「マルシェラちゃんになら最初から話しても良かったわね。
ミシュ・ロウリィ──。あの子はね……」
彼女の唇が、ゆっくりとその言葉を紡ぐ。
「──魔族と人間との間に生まれた子なの」
ごくりと息を呑む。
食事のときの違和感から、薄々予想はしていた。
わたしとの会話をしたあとから、彼女は明らかにその様子がおかしかったから。
「前の孤児院には、人魔戦争で被災した家の戦争孤児も多くてね。あの子はとても優しい子だから、自分の中にも魔族の血が流れている事実に耐えられなかったみたい。実際前の孤児院の子たちの中にも、少し気まずく思っている子もいたみたいだしね」
シスターは、ほう、と小さく息をついた。
紅茶から立ち上る薄い湯気が、小さく揺れる。
「うちにも似た境遇の子は多いけど……、人も少ない方だし、みんなそんなことを気にするような子たちじゃないわ。それに、わたしもエルフで、魔族の端くれ。だからあの子もうちなら過ごしやすいかと思ったの。
──本当は、あの子がここに馴染んだら、いずれちゃんとみんなにも話すつもりではいたのよ」
ゆっくりと紡がれる彼女の言葉。
それを聞きながら、わたしはロマルゥ食堂での会話を反芻する。
わたしは、彼女にどんな話をした?
彼女の態度が変わったのはどこからだ?
──キーワードは、「魔族」。
わたしは過去に魔族に土地を追われた。
トルタやサリーも魔族との戦争で親類を失った。
わたしは迂闊にも、彼女にそんな話をしてしまったのだ。
ミシュは賢い子だ。
きっと子どもたちの過去にも、薄々気づいてはいたのだろう。
だが、想像のままであることと、事実として目の前で伝えられることとは違う。
優しいミシュのことだ。
前の孤児院でもそうだったように──、きっと必要以上に心を痛めたに違いない。
魔族の血が流れているということ。
それとわたしたちが魔族によって危害を加えられたということは、なんの関係もないはずなのに。
それを思い詰めてしまうくらいに優しい子が、ミシュという子なのだ。
寝室の時計が、0時の音を告げる。
ゆらゆらと揺れる振り子。
行っては戻るその姿が、今は随分もどかしく見えた。
「……明日、もう一度ミシュと話してみる。たぶん、わたしは、余計なことを言っちゃったから」
揺れる水面に視線を落とす。
シスターの穏やかな声が、そっとわたしの耳に届いた。
「そうね。それがいいわ。──でも、あなたにも悪意があったわけじゃない。それはミシュちゃんも良くわかってるはずよ。そのことは、ちゃんと心に留めておいてね」
シスターは、いつものようにふわりとした笑顔をくれた。
わたしは小さく頷くと、窓の外に目を向ける。
月明かりの薄い暗い夜の庭で、ざわりと木々の葉が揺れていた。