黒髪少女と食事と会話
ミシュの着せ替えと買い物を存分に楽しんだ後のこと。
わたしたちは昼食をとるために、ロザリアの街の飲食店へとやってきた。
ロマルゥ食堂というこのお店は、このあたりでは安くて美味しいと評判の店らしい。
いつもは買い物帰りに遠巻きに眺めるだけの店。
ある意味憧れでもあったその店に、今日は客として訪れている。
毎回近くを通るたびに、漂ってくる良い匂いを振り切るのに苦労したものである。
しかし、今日はシスターから預かった軍資金もたんまりある。
おかげでお腹いっぱいに、美味しいご飯を堪能出来そうだ。
入店し、事前にシスターに言われたとおり──、まずはマスターと奥さんに顔を見せ、自己紹介を済ませた。
すると、「ニナちゃんの知り合いかい!」と奥さんに手放しで喜ばれた。
その隣で、無言でうんうんと頷く旦那さん。
そんな様子に、ニナ姉が街の食堂で一時期働いていたということを思い出す。
二人の反応から推測するに、どうやらその勤め先がこのお店だったようである。
少しの間やり取りしたのち、彼女に「お代は半額にしとくから」と陽気な声で言われた。
おそらくシスターは最初からこれが目当てだったのだろう。
飄々としながら実に抜け目のないエルフである。
今度立ち寄ることがあれば、夫妻にはちゃんとお礼をしないといけない。
そんなこんなで一番奥の席につき──、ようやく一息ついた。
時刻はもうすぐ正午。
良いあんばいにお腹も減ってくる頃合いだ。
わたしはメニューから適当に料理を頼むと、対面の席で縮こまっているミシュへ視線を向ける。
「ミシュも好きなもの頼んでいいからね。もし他にも何か望みがあれば、遠慮なく言って。今日は特別、お姉ちゃんが何でも願いを叶えてあげよう」
得意げな笑みを浮かべてやると、ようやくミシュも安心したようだった。
遠慮気味だった表情が薄れ、少し柔らかくなる。
おそらくだが──、服も買ってもらい、食事も奢ってもらうという事実に、彼女なりに少し恐縮しているのだと思う。
いつも控えめなミシュだ。
今日ぐらいハメをはずしてもらいたいところである。
財布の中身も潤沢。
彼女の望みがよほどの無理難題でない限り、撃てる弾はいくらでもあるのだ。
ミシュは、今しがたのわたしの言葉に対して、「望みですか……」と視線を宙に沿わせる。
「望みというか──、もしマルシェラお姉ちゃんがいいのなら、一つお願いがあります」
「いいよ。なんでも言って。わたしにできることなら力になるから」
こちらが促したとはいえ、彼女の方から進んでお願いを頼んでくることは珍しい。
わたしの躊躇のない返事に、彼女はいつものように少し逡巡する。
ミシュはしばらくこちらを見て瞳を揺らしていた。
だが、やがて大きく息を吸い──、思い切ったように口を開いた。
「──わたし……、マルシェラお姉ちゃんのこと、もっと知りたいです!」
「………え?」
意外な彼女の勢いの良さに、少し怯んでしまう。
……わたしのこと、か。
なんだろう。誕生日とかだろうか?
あらかた自己紹介は済ませたと思っていたのだが。
ミシュはわたしの様子に、「えっと……」と歯切れの悪い吐息を漏らす。
だが──、すぐにまた意を決したように前を向いた。
「お姉ちゃんのことや孤児院のみんなのこと──、いろいろなことを、もっと知りたいんです。みなさんと、今よりもっと……!……その、仲良くなりたいから……」
そう、尻下がりに言葉を告げるミシュ。
彼女の顔が、恥ずかしそうに伏せられる。
わたしは息を呑み、彼女を見た。
ミシュが告げたその言葉の意味。
それは、彼女がわたしたちを深く受け入れようとしてくれているということだ。
彼女自身の帰る場所を、わたしたちと同じ場所だと認めてくれた証。
それはきっと、わたしたちを家族と認めてくれたということだろう。
その事実に──。
わたしは言いようもなく嬉しくなってしまう。
「いいよ。家族になるんだもの。わたしもミシュに、わたしのことを知ってほしい」
できるだけ優しい言葉を探し、できるだけの笑顔を浮かべる。
彼女はこちらを見てほっとしたように微笑んでいた。
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運ばれてきた食事に手をつけつつ、ミシュと話をした。
わたしが一応は貴族の家系の出だということ。
クソ親父と喧嘩して家出したこと。
その最中にニナ姉に出会ったときのこと。
そして、彼女の誘いで、あの孤児院の一員になったこと。
それから──、孤児院のみんなと暮らし始めてからの、様々な出来事のこと。
ミシュは真剣に聞いてくれた。
彼女はいわゆる聞き上手でもあるのだろう。
加えて、この店の料理もとてもおいしかった。
箸が進むと、同じくらい話も弾む。
ついつい喋りすぎてしまったなと思った頃には、すっかり正午を回っている頃だった。
「──ごめん、ミシュ。わたしばっかり話しちゃって。退屈じゃなかった?」
「いえ、とても興味深かったです!」
ミシュはそう言って、心底楽しそうに笑った。
わたしもほっとして彼女に微笑を返す。
「孤児院の子たちはね……、みんなそれぞれいろんな事情を抱えて孤児になった子たちだけど、本当に優しくて良い子たちだから」
トルタは生意気でサリーはおませさんだ。
他の子たちだってそれぞれ個性の強い子どもたちである。
けれどみんな、心根はとても真っ直ぐで、他人を思いやれる良い子たちなのだ。
「大丈夫。ミシュにもつらい過去や言いづらい事情があるかもしれないけど、きっとみんな受け入れてくれるよ。だから安心して仲良くしてあげて」
そんなふうに──、
わたしが告げた時のことだった。
ミシュの小さな口が、細く開かれる。
「──わたしの、事情……」
ふと、ミシュの表情に陰りが差す。
ほんの一瞬。
じっと見ていなければ気付かないくらいの瞬間、彼女の表情を思い詰めたような暗い色がよぎったのだ。
彼女はしばらく戸惑うように言葉を選んでいたが、やがてゆっくりとわたしに尋ねる。
「……みなさんは、どうして孤児になったんですか」
彼女の呟きにも似た声が漏れる。
わたしは少しだけその言動に違和感を感じつつも──、彼女の伏し目がちな顔を見ながら、素直に返事を返す。
「……理由はいろいろだけど、だいたいは数十年前の魔族との戦争が原因かな。トルタやサリーみたいに親類をなくしたり、わたしの前の家みたいに土地を荒らされたり──」
パンをちぎりながら、そんなセリフを述べた時。
ぴたりと、──ミシュが動きを止めたのがわかった。
先程まで食事を口に運んでいたフォークの動きが固まり、わたしに向けられた瞳が小さく広がる。
どうしたんだろう。
わたし、何か不味いことでもいったかな?
思い返してみるも、彼女の機嫌を損ねるような内容を述べた覚えはない。
少し不安になり、彼女を見つめる。
「──ミシュ?どうかした?」
率直にたずねたわたしの言葉に、ミシュはびくりと肩を跳ねさせた。
皿の上でかたかたと震えるフォークの先。
彼女の漏らす吐息の間隔が狭まる。
先程とは明らかに異なる様子に、さすがに少し心配になる。
「どうしたの?お腹でも痛いとか……」
「い、いえ……。あの、わたし……」
歯切れの悪い返事。
いつも控えめだが聡明な彼女らしからぬ、動揺の混じった声だった。
ミシュはそれを覆い隠すように、慌ててわたしに言葉を返す。
「……ごめんなさい。わたし、ちょっとお腹いっぱいになっちゃって。残りはお姉ちゃんが食べてもらってもいいですか……?」
「え……?う、うん、それはいいけど……」
「……すみません」
そう言って、申し訳なさそうに微笑むミシュ。
少しだけ伏せられた彼女の瞳は、なんだか悲しそうな色を湛えていた。
──結局、彼女はそれ以降、食事に手をつけることはなかった。
ミシュはわたしの目の前で、変わらず穏やかに微笑えんでいた。
わたしも彼女の様子に疑問を感じながらも──、それを追求するまでのことはしなかった。
彼女にも、きっと何か他人に言いづらい何かがあるのだろう。
そう、思わざるを得なかった。
そう思うことで──、わたしは自らの疑問に蓋をしたのだ。