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取り引き


 寝室の時計の針が時を刻む。


 今朝まで元気に部屋の掃除をしてくれた彼女は、今はベッドの上で静かに目を閉じている。

 

 急ぎ戻ったわたしたちが出会ったのは、魔獣の牙に倒れ伏したレニアの姿だった。

 はぐれ魔獣が村内を襲ったときに、魔族の子供を助けるために傷を負ったらしい。


 応急処置を済ませ、ベッドへと運んだのはいいものの──。

 ここは魔族の村だ。

 人がかかれる医療施設などもちろんない。

 ディレットが用意していた人間用の常備薬など焼石に水だった。


 今はこうしてひたすらに彼女の回復を祈ることしかできないのが現状だ。


 わたしはそっとレニアの手を握る。

 冷たく、肌の色が青白い。

 その痛ましい姿に、思わず目を逸らしてしまう。


「メレル、回復魔術でなんとかできないかな……」

「……ごめん。わたしはあまり回復魔術は得意じゃない。それに、使ったとしてもこの症状は治せない」


 彼女の感情の薄い表情が悔しさを滲ませて歪んでいる。


「たぶん、魔獣の毒気にやられてる。濁ったマナ由来の魔力は、人間の体に入るとそれだけで毒だから」

「──そんな……」


 思わず唇の端を噛み締める。

 せっかく魔獣を撃退し、みんなで勝利を祝えると思っていたのに。

 なぜ彼女がこんな目に合わなくてはいけないのか。

 

 隣を見ると、思い詰めたようなディレットの顔が目に入った。


 おそらく、別行動を指示した自分を咎めているのだろう。

 だが、彼は間違ったわけではない。

 むしろその判断は正しかったはずだ。

 こんなことを予想できた者は誰もいないのだから。

 

 ディレットの大きな手のひらが、そっとレニアの額に触れる。



「……本当に、人間は脆いな……」



 ぼそりと、彼はそう呟いた。

 彼の無骨な指が、レニアの白い肌を撫でる。


「……そのくせ、身を挺して他者を守ろうとするなど……。もはや手に負えん。魔獣よりもずっと厄介だ……」


 噛み締めるように漏らすその声。

 絞り出される感情が、そっと彼の瞼を下ろしていく。


 彼の視線が、わたしへと向けられた。


 悲しい色を湛えた瞳だ。

 彼が人を遠ざけていたのは、彼なりの思いやりだったのかもしれない。



「……アイリスも、亡くなったのだろう?」


「……はい。そう聞いてます」

「そうか。……本当に、儚い命だ」


 ディレットの指がレニアの頬に触れた。

 血の気が引き、青白い肌。

 それを優しくそっと撫でる。


「できるだけ大事に、壊れないように……。大切に守ってきたつもりだった。──それなのに……っ」


 震える指先。

 彼は胸の内に潜めていた絶望を解き放つように拳を振り下ろした。



「──それなのに、なぜこうなる……!」



 彼の慟哭に、空気が震える。


 その嘆きに、何も答えられない。

 誰が悪いわけでもない。

 だからこそ、余計にやるせないのだ。


「彼女が何か悪いことをしたか……?人間の神は慈悲の心一つすら持ち合わせていないのか……!

 ……それとも魔族のわたしがそばにいるから、彼女に慈愛を与えないつもりだとでもいうのか……!」


 左手に固められた握り拳が震えている。

 その震えが全身に伝わり、彼は突っ伏すようにレニアの手を握りしめた。

 祈る神もいないこの部屋で、彼の両手が白く細い手を包む。


「誰でもいい…。助けてやってくれ……。神がダメなら悪魔でもいい……!誰か、彼女を──」




「──ええよ?神でも悪魔でもないが──、鬼でよければなぁ」




 静かな部屋に、よく通る声が響いた。

 見知った顔に、思わず目を見開く。


 大きな笠を頭に乗せた鬼が一人──。

 部屋の入り口にたち、ニヤリと笑顔を浮かべていた。




**********************



「昨日ぶりやな。元気にしてたか、ニナ」

「ヨザクラさん……?どうしてここに?」

「呼び捨てでええよ。あたしとあんたの仲やしね?」


 ヨザクラはにっこりと笑顔を浮かべる。


「聞けば、村長の箱入りの使用人が魔獣から受けた怪我で重体だと。そんで、あたしは商売人やからな。商機には敏感なんよ。

 ……だからニナ。あんたに商売の話を持ちかけにきた」


 彼女は腰から下げていた道具袋を開く。

 そして、中から何かを取り出すと、それをわたしたちへと大仰に見せびらかし──、ふりふりとそれを揺らして、小さく目を細めた。



「──ここに、魔獣の毒気を取り除ける丸薬がある」



 突然に告げられた彼女の言葉。

 隣に伏せるディレットの、息を呑む音が聞こえた気がした。

 ヨザクラはそれをしってか知らずか、不敵な笑みをたたえる。


「だが、高価なもんやからね。さすがにタダではやれん」


 彼女の手の中で、黒く光る丸薬。

 その言葉に被せるように、ディレットが身を乗り出す。


「わ、わかった、今すぐは無理だが、金ならわたしがいくらでも──」

「済まんが、おまえとは話しとらん。取り引きするなら、そこの人間──、ニナとだけや。鬼の取り引きは人を選んで行うもんやからな。

 ……さて、ニナ。いくら出す?値段によっては譲ってやってもいい」


 ニヤリと胡散臭い笑顔を浮かべる鬼の娘。

 彼女はつまんだ丸薬をふりふりと見せびらかす。

 こんなときに金の話か、と少々鼻につかなくもない。


 だが──。

 そんな飄々とした態度の彼女。

 それを見つめる黒猫少女が、背後でざわりと気を逆立てるのを感じた。


 リーシャが、はぁ、と大きく深く息を吐いた。

 不満や不快を通り越した吐息。


 今までに見たことがないほどの怒りをたたえた彼女の瞳が、鬼娘を睨みつけていた。



「……見損ないましたよ、クソ鬼」



 ぼそりと、小さく漏れる声。


 一度、彼女はその大きな瞳を細く伏せた。

 そして次の瞬間には両手を広げ──、怒りにまかせた声が、静寂を湛えていた寝室の空気を裂いた。


「あなたには、目の前で苦しんでいる人間が見えないんですか!……死にかけてるんですよ!彼女は!」


 リーシャの嘆きに満ちた声。

 彼女がここまで感情を露わにするところを見るのは初めてだった。


 それを耳にした鬼娘は、心底うざったそうに彼女を睨みつけた。



「……おまえには話しとらん。あたしはニナと話をしてると何度言ったらわかるんや。──脳味噌入っとらんのか、おのれは」


「───っ!?」

 


 ブチリと、何かがキレる音がした気がした。


 鬼気迫る顔とは、まさにこういうのを言うのだろうか。

 リーシャを取り囲む空気が一変する。

 心なしか部屋の温度が数度下がった気がした。


 彼女は目の前の鬼の娘を睨みつけ、右手をごきりと鳴らす。


「……そこの腐れ鬼。いますぐその薬をこちらに寄越せ。でなければ、力づくで奪い取る」

「おーこわ。……これだから野蛮な獣人種は」


 ヨザクラはやれやれと両手を上げ、



「──やれるもんならやってみぃや。クソ生意気な小娘が」



 ざわりと、その場の空気が入れ替わったような気がした。

 押しつぶされそうな威圧感。

 今まで感じたことのないほどの、殺意の応酬。


 ……ダメだ。

 この二人のマジの喧嘩は、洒落にならないやつだ。



 わたしは大きく息を吸い、そして吐いた。

 そして、二人のブチ切れ魔族を見つめ──。


 二人の間に、ゆっくりと割って入った。

 

 びりびりと肌に感じる重圧。

 正直、恐ろしくてちびりそうだ。

 今にも腰が砕けて漏らしてしまいそうである。



 リーシャの威殺すような視線がわたしを貫く。


「ニナさん……、そこどいてください」

「落ちついて、リーシャ。よけいこじれるから、喧嘩はダメ」


 猛る黒猫をなだめ、鬼の商人へと向き直る。



「──いいよ。取引きしよう。それなら文句ないよね、ヨザクラ。」



 彼女はわたしの言葉に、怒り顔から一転、急に胡散臭い笑みを浮かべる。


「もちろん。そのために来たんやからな。で、ニナはいくら払う?この出会って間もない、他人でしかない人間のために」

「………。」


 無言で大きく息をつき、わたしは懐から金貨の入った麻袋を彼女に勢いよく差し出した。


 ずしりとした重み。

 二度目に手に入った分の遺産の金は、ほぼまったく手付かずだ。

 額はそうとうなものになっている。


「……これ。わたしの、有り金全部」

「──ほほう!全財産とはまた。そんなにそこの人間を助けたいんか。しかし随分思い切ったなぁ。いったいいくらなんやろなぁ……」


 彼女は少し面食らったような顔を浮かべた。

 正当な対価以上のものは示せたはずだ。


 だが、彼女はすぐに商人としての顔を取り繕いなおすと、再びわたしににやけ面で向き直った。



 ──その態度に、さすがに少しむかついた。



 彼女はこの後に及んでもなお、まだ飄々とした顔を浮かべている。

 人を食った態度を崩さない。

 足元を見ながら命を天秤にかけ、丸薬をちらつかせているのだ。


 こちらには、もう時間がない。

 今すぐに、彼女に心変わりをさせなければならない。

 あの薬を手に入れるには──、もう迷っている暇なんてない。


「……わかった。もういいよ」


 ふう、と大きく息を吐く。

 もともと降ってわいたあぶく銭だ。

 彼女を助けるためになら──、後悔なんて、ない。





「──約1000万ドリーのアイリスの遺産。……それも、全部あなたにあげる。どう?これなら文句ないでしょ……!」





「…………は?」




「……だから、今すぐにそれを渡して!もううだうだ言わせない。これ以上待ってられる時間もないんだから」


 ふぅ、と小さく息を吐く。

 そして、わたしは真正面から彼女をにらみつける。



「それでもまだ渋るっていうなら……。わたしも、あなたを絶対に許さない」



 わたしの言葉に、ヨザクラはしばらくぽかんと口をあけていた。

 一瞬その口元が──、なぜか、少しだけ苦しそうに歪んだ気がした。


 何かを思い出すように瞳を伏せ、彼女はそっと息を漏らし、まぶたを閉じた。


「……ああ。やっぱり、血は争えんな。」


「……何か言った?」

「なんでもない。──ほら、薬や。早く飲ませてやるといい。効き目はたしかやからな。その人間の娘さんもすぐに良くなる」

 

 ひょい、と唐突に放り投げられる丸薬の袋。

 わたしはそれを慌てて両手でキャッチする。


 正直、これ以上ごねられたらどうしようかと思っていた。

 あまりにあっけない結末に、わたしは拍子抜けして彼女を見つめる。


「えっと……、ヨザクラ。その……、ありがとう。それと今後手に入る予定の代金のことだけど……」



「──ああ、金はいらんよ。ちょっと試しにからかってみただけやし」



「…………へ?」



 あまりにもそっけなく宣うヨザクラに、わたしは間抜けな声をあげてしまった。

 彼女はくすりと悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「なんや、あたしを血も涙もない商売の鬼とでも思ってたん?傷つくわぁ」


 まあ、そこのクソ猫相手なら遠慮なくぼったくってやったがな、と鬼の商人は今度は声をあげてくすくすと笑った。


「ま、そういうことやから。気にせずもらっといてやって」

「でも、高価なものなんじゃ……」

「なら、次に会ったときに飯でも奢ってくれればそれでええよ。──それじゃ、用も済んだし、あたしはこのへんで」


 そう言って、くるりと踵を返す鬼娘。

 ディレットが慌てて礼を述べるが、それにもそっけなく返すだけだった。

 

 急に来たと思ったらいきなり去っていく。

 まるで嵐みたいな人だ。


 ふりふりと後ろ手を振りながら去ろうとする彼女の背中。


 その後ろ姿に、リーシャの声が追いかけるように放たれる。



「──あの……、ヨザクラさん!」


 黒猫少女は少しだけ言葉を詰まらせたが──、やがてすぐに顔を上げ、口を開く。


「……いろいろとすみませんでした!あなたのおかげで助かりました!本当に、ありがとうございました!」


 潔く頭を下げる黒猫少女。

 鬼娘は意外そうに振り返り──、ぺこりと垂れる猫耳に、再び面食らっていたようだった。


 そして、ふっとその口元が優しげに緩む。


「……なんやこの黒猫。よく見たらめっちゃ可愛いな」

「でしょ?わたしの自慢の友達」


 ヨザクラと二人でにやける。

 その姿をみて、リーシャは顔を真っ赤にして俯いたのだった。







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