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母と娘


「よーし、ここならいいでしょ」


 とりあえず、先ほど人工精霊とともに見つけた本を持って、わたしとカトレアは裏庭へと移動した。


 この間のように、アイリスお得意の悪戯が発動してはたまらない。

 仮にケーキか何かが降ってきたとしても、庭ならある程度は掃除も楽ちんだ。

 うちの母上様はほんと手間をかけさせるよ、まったく。



 ランプに明かりをともし、庭先にあるテーブルに置く。

 ふわりと広がるオレンジ色の光。

 庭の草木がじんわりと照らされ、周囲の風景がほのかに浮かび上がった。


 春も終わりとはいえ、さすがに深夜は少し肌寒い。

 わたしは少し身を震わせつつ、投影魔術がかかっているであろう、例の本の表紙を手の平で挟んだ。


「じゃあ、この本、開いてみよっか……」

「は、はい……!いつでもどうぞ!」


 元気の良い返事が背後から返ってくる。

 カトレアと精霊ちゃんは、いつの間にかちゃっかり椅子の後ろに避難済みだ。

 影から応援してますね、という眼差しである。


「素早いね、カトレアさん……」

「えへへ……」


 いいんだ……。

 犠牲になるのはわたしだけでいい。

 二人は生き延びて、わたしの骨を拾ってくれ……!

 

「よしっ………」


 さて、鬼が出るか蛇が出るか。

 あの悪戯好きの英雄のことだ。

 今度はケーキの代わりに鉄鍋でも落としてくるかもしれない。

 まあ、どうあってもろくなもんではないだろう。

 だが、こちらもプライドにかけて、ここで怖気付くわけにはいかないのだ。



 ふう、と小さく息を吸い──、


「おりゃっ──!!」


 わたしはへっぴり腰のまま、本をいっきに左右に開いた。


 指先から魔力を吸われる感覚。

 例のごとく溢れるまばゆい光に、思わず目をぎゅっと細めた。




 次の瞬間──、

 ぶわりと怪鳥の羽ばたきのような突風が生まれ、あたりの草木をざわざわと激しく揺らす。


 わたしは腰を落として踏ん張る体勢を作り、次に来るであろう新たな衝撃に備える。


「カトレアさん!大丈夫!?」

「は、はい……、きゃあっ!?」

「カトレアさん──っ!!」


 吹っ飛ばされそうになる彼女の手を掴む。

 まるで小さな台風だ。

 身を低くし、なんとか転がりそうになる身体を抑える。

 繋いだ手の関節がギリギリと嫌な音をたてる。

 

 いかん、そろそろ限界かも……。

 わたしだってそんなに肉体派ってわけじゃないんだぞ!




「うわぁああぁあぁっ…………!!?………。……あ?」


 ──あれ?



 まさに悲鳴の最中のことだった。

 とたんに、ぱたりと風が止んだのだ。




 光はすぐに収まり、夜の庭は静寂を取り戻す。

 まるでそこに何も起きなかったかのように、あたりはシンと静まり返った。


 思いがけず訪れた空白の時間──。

 わたしは、ぺたんと力なく地面に座り込む。


 ……え?……これで終わり?

 たしかに突風は凄まじかったが、いつもの英雄様らしい皮肉めいたギミックが見当たらない。

 それとも油断してるところにガツンと来るつもりか?



 疑心暗鬼になりながらも、そんなことをつらつら考えていると──。



 ふと、開いた本の先。

 普段ならアイリスが投影されるべき場所に、いつもと異なる気配を感じた。





『……アイリスさん、やっぱりわたしはいいですから……。

 ──って、え?もう録画が始まってる?』


 戸惑いの混じった声が聞こえる。

 アイリスの能天気な声よりは、幾分落ち着いた声だ。

 聞いたことのない声のはずだが、誰かに似ているような……。

 



 ふと、背後のカトレアの吐息が、止まった。


 それと同時に、謎の声の主はこちらにゆっくりと振り返り──、どぎまぎとした緊張の面持ちで、自らの名前を名乗る。




『え、えーと……こ、こんにちは。マリア・ハーティスといいます。その……、カトレアの母なんですけど……』


「母さん……っ!?」




 カトレアの驚きと戸惑いの混じった叫び声が、夜の闇を切り裂く。


 現れたのは、一人の見知らぬ女性の姿。

 いつもの傍若無人な無血の英雄の姿ではない。


 それは、カトレアの母であり、今は故人でもある──、マリア・ハーティスの、恥ずかしそうな優しい笑顔だった。

 


**********************



「なんで……、母さんが……」


 夜の庭の静寂に、一陣の風が吹き抜ける。

 前髪をさらりと揺らし、カトレアは呆然とした様子で彼女を見ていた。

 目を丸く見開き、形の良い唇が震える。

 動揺しているのか、その視線はゆらゆらと宙を揺れていた。


「ニナさん、……えっと、わたし……」

「待った、カトレアさん。落ち着いて。せっかくだし、ちゃんと話を聞こう」


 混乱しているカトレアをなだめる。

 とりあえずまずは深呼吸だ。

 


 投影魔術の向こうに見える彼女の母親も同じく、あたふたと慌てたように小声で誰かと話している。



『──えっと、アイリスさん、わたしは何を話したら……。──えぇっ?未来の娘にメッセージ……!?聞いてないんですけど……!』


 姿は見えないが、相手はアイリスらしい。

 会話の内容からなんとなく状況は想像がつく。


 あのヤロウ、ぶっつけ本番でマリアさんに全てを丸投げしたのか。

 英雄様のニヤニヤとした顔が目に浮かぶ。

 ほんと調子いいというか、

 ……お節介というか。


 

 しばらくの間、マリアはアイリスらしき相手とモゾモゾと話をしているようだった。



 だが──、やがて、観念したように息をつく。

 そして、ゆっくりとこちらに視線を向けた。


 控えめさの中に、芯の強さが見える瞳だ。

 やはり親子。誰かさんによく似ている。

 


 彼女は、背すじを真っ直ぐにし、姿勢を正す。

 そして、再度息をついたあと──、思い切ったように口を開いた。



『えっと……、カトレア。あなたがこれを見ていると思って、伝えたいことを伝えます。わたしの本当の気持ちも一緒に』


 投影魔術の先から、マリアの声が流れてくる。

 この際、面と向かって言えないことを話したい──。

 きっと、そういうことなのだろう。


 背後からカトレアの緊張した気配を察し、わたしはそっと彼女の手を握った。

 夜の空気で冷えた肌の向こうに、じわりとこもる熱を感じる。



 マリアは少し息を整えた後、腰の前で手のひらをぎゅっと結んだ。


『カトレア。あなたは少し控えめなところはあるけれど、とても賢くて優秀な子よ。だから、正直なことを言うとね──、あえて言葉にして残すようなセリフが、なかなか思いつかないの』


 マリアは息をつき、一度目を閉じる。

 長い睫毛が伏せられ、彼女の瞳を覆い隠す。


『つまづくことがあっても、あなたはいつだって自分の力で成長してきた。わたしの手助けなんて、ほとんど必要なかったから。……本音を言うとね、もう少し甘えてくれた方が嬉しかったかな』


 マリアはくすりと声を漏らした。

 そして、少しだけ冗談めかしたように首を振る。


『──なんて、あなたにこんなことを言っても困ってしまうわよね。ごめんなさい。

 ……うん。たぶんわたしは──、

 ……頼りがいのない、ダメな母親なんだと思う。』


 少しだけ寂しそうな笑顔を浮かべ、彼女は長く息を吐いた。

 

 似ているな、と思う。

 カトレアがときおり見せる自己評価の低い言動。

 その片鱗が、彼女からも見え隠れする。


 カトレアの話を聞いていれば、それがまったく的を得ていないことはわかる。

 けれど、どんなに近い場所にいても、本意は届かず遠く離れてしまうこともあるのだ。

 

 唐突に──、わたしと繋がっているカトレアの右手に、ぎゅっと力が込められた。




「──そんなこと……ない……っ」



 喉の奥から絞り出すようなカトレアの叫び声が、あたりに響き渡った。


 彼女はわたしの手から離れ、テーブルの上の本の元へと駆け寄り──、否定の気持ちを込めて、必死に首を横に振る。


 だが、その声は母には届かない。

 彼女は既に過去の人であり、その偶像はただの記録だ。

 その言葉が正しくても間違っていたとしても、もう届くことはない。


 それでも──、彼女は必死に幻の母の姿に追い縋らずにはいられないのだ。


 

「そんなことないの……!母さんは知らなかったかもしれないけれど、わたしはいつだって母さんを尊敬してた!母さんの背中を必死に追いかけて……!」


 握りしめた手の平。

 カトレアの震える指先が、ほのかに光を放つ本を固く掴む。


 当然のように、マリアからの返事は返ってこない。

 ただ、そこに映像として佇むだけだ。

 届いているのは──、……そばにいるわたしだけ。


「えっと、カトレア……」

「……すみません」


 彼女は少し俯いた後、夜空を見上げた。

 ぽつぽつと見える星がかすかに瞬き、彼女のガラス玉のような瞳を揺り動かす。



「──突然、逝ってしまったんです。遺言も、最後の言葉もなく、本当に突然に。」


 彼女はそう言って、息をつく。

 

「ニナさん。わたしは間違っていたんでしょうか。もっと母に頼って……、もっと寄り添っていれば……。母は寂しがらずに済んだんでしょうか。──母に、あんなことを思わせずに済んだんでしょうか……」

 

 それは違う、と言おうとした言葉を、わたしは直前で飲み込む。


 彼女が成長してこれたのはマリアがいたからだ。

 そして、カトレアが頑張ってこれたのは、彼女に認めて欲しかったからだ。

 ともに過ごした時間は短いが、二人の関係が簡単に察せないほどのものだというくらい、わたしにだってわかる。

 

 けれど逆に言えば、わたしには所詮それくらいしかわからないのだ。

 二人が掛け違えた数十年に、軽々しく口を挟むことができない。



 誰も一言も発しないまま、ゆっくりと時間が過ぎていく。



 本から発せられる光が少しだけ明滅し、記録の終わりが近いことが察せられる。



 マリアは、『最後に一つだけ……』と視線を正面へと向けた。

 その先には、たしかにカトレアがいる。

 おそらくそれは──、長年カトレアが聞けなかった、彼女に向けた最後の言葉でもある。


 マリアは一度大きく息を吸い込んで、そして吐き出した。

 それはきっと、彼女にとっても、伝えるのに思い切りが必要な言葉。

 娘に向けた、一番大事な言葉のはすだ。


『……あなたは一人で何でもできてしまうから。だから、わたしから改めてあなたに伝えたいことなんて、本当に一つだけしか思いつかないの』


『ありきたりかもしれないけれど……、わたしが心から言葉にしたいことなんて、これくらいだから』


 マリアが本の向こうで小さく微笑む。


 カトレアの手の平が、本の両端を強く握りしめた。


 その手に宿る感情は、きっと恐怖に近いものだ。

 非難の言葉も、応援の言葉も。

 今の彼女にとっては、母との距離を離す言葉に他ならない。


 聞いても聞かなくても、どちらも後悔に繋がるのなら──。


 いっそここで、この記録を見なかったことにして、本を閉じてしまっても……。

 







『──あなたを愛してるわ、カトレア』



「──え……」




 本を閉じかけていたカトレアの手が止まる。


 目の前に映る優しい母の姿。

 彼女は思わずそれに指を伸ばす。

 まるで、近くに娘がいることをわかっているかのように、彼女の母親は穏やかに微笑んだ。


『それだけは、何があっても絶対に変わらない。たとえあなたがわたしを嫌いになったとしても、そしていつかわたしがいなくなったとしても──。

それだけは、絶対に変わらないから』

 

 だから、と彼女は優しく微笑む。



『あなたは自分の思った通りに生きなさい。わたしの望みは、本当にそれだけだから』



 ──思いの丈は全て言えた。

 そんな、満足そうな満面の微笑みだった。


 わたしもようやく息をつく。

 それは、結局、彼女が終わりの時まで言えなかった、彼女の最後の言葉だ。

 カトレアに届いただろうか。

 過去から現在へと、しっかり届けられただろうか。


 認め合うでもなく、支え合うでもない。

 友人との関係とも違う。競い合うライバルの関係とも異なる。

 けれど、複雑そうに見えて、とても単純な思いの塊。




 そうか、これが──、親子というものなんだな。

 



 

 ──もしかしたら、わたしが気づいていないだけで。

 アイリスとわたしの間にも……、そう呼べる思いがあるのだろうか。



********************



 ──それじゃあ、またね。カトレア。


 恥ずかしげな微笑みで手を振りながら──、マリアの姿は本のページの向こうへ、うっすらと消えていった。



 あたりにはすっかり静寂が戻り、あとに残るのは夜の風に吹かれる木々の音だけ。


 カトレアの両手が、すでに魔力の気配のしなくなった本を閉じる。

 そして──。

 彼女は、夜の空に向けて、はぁ、と深く息を吐いた。

 


「……ニナさん。わたしはずっと昔から、母さんのような人になりたかったんです」

「……うん。知ってる」


 もう、伝え聞いただけではない。

 わたしはもう、ちゃんとわかっている。

 だからこそ、自信を持って頷けるのだ。


「素敵なお母さんだもんね」

「……はい」


 ふわりとスカートの裾が揺れ、そしてゆっくりと元の形へ戻っていく。

 今までと何も変わらない。

 でもきっと──、何かが変わったのだ。



「ニナさん。わたし、やっぱりこの宿を続けてみようと思います」



 そう言って、彼女の足先が、くるりと軽やかにこちらを向いた。



「だって、これから先もずっと──。あの人は、わたしの目標ですから」


 

 振り返った彼女の顔。


 それは、彼女の母親が最後に見せたものと同じで──、

 少しはにかんだような、優しい微笑みだった。


 


 いつかわたしも彼女のように、アイリスと向き合うことができたなら──。

 そのときは、変わらない何かが変わるのだろうか。


 ……ほんの少しだけ、楽しみだ。

 




「………あれ?」


 

 そういえば、何か忘れてるような……。

 アイリス……。そうだ、食堂でアイリスはなんと言ってたっけ?


「……………あ。」

 

 はっと顔を上げ、わたしはキョロキョロとあたりを見回す。

 ない。

 宝探しゲームはわたしの勝ちだ。

 なのに、報酬がない。

 わたしの手に渡るべき、あるはずのものがない!


「わたしの……、わたしのお金はどこなんだよー!??」


 わたしの悲痛な叫びは母には届かず、綺麗な星空に溶けていったのだった。




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