追憶
夢を見ている。
そう。
これはわたし──、カトレア・ハーティスの過去の記憶だ。
長い長い年月の果てに。
遠く、深く、今ではすっかり砂に埋もれて忘れていた──。
ずっとずっと昔の、幼少期のわたしの記憶だ。
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「──ほんと美味しいね、ここの食事。ルチアが占いで宿を決めるーとかいいだしたから、どうなるかと思ったけど。ちゃんと当たりでよかったよ」
「でしょ。部屋も雰囲気いいし、海も綺麗。メレルちゃんにも見せてあげたかったわぁ。──そうだ、アイリス。後でちょっと泳ぎに行ってみない?」
「いいねぇ。ロディオもどう?そこで突っ立ってるだけじゃ暇でしょ」
赤い髪と金色の髪の女性が話している。
片方はラフな服装をした、存在感の強い女性。
そしてもう片方は、ツバの広い帽子を被り長い杖を持った、魔法使いのような格好の女性だ。
わたしは柱の影から、そっと様子を伺っていた。
この宿に来る他のお客様とは、なんだか少し雰囲気が違ったからだ。
赤毛の女が声をかけた先にいるのは、こちらも少し異質な気配を持った黒髪の男。
背も高く、目つきも鋭い。
眉間に寄せられる皺から、彼が少し苛立ちを感じているのがわかる。
わたしは大きい男の人は、ちょっと苦手だ。
なので、柱の影にさらに少し身を寄せて警戒する。
よくよく見ると顔はなかなか整っているので、少しだけ顔を出して観察してみる。
その男は赤毛の女性の言葉に、はぁ、と深く息をつく。
そして、額に指をあてて首を横に振った。
「言うほど暇じゃない。それにアイリス、この旅の目的はわかっているだろう?僕は今、呑気にしていられる気分じゃないんだ」
「相変わらずお固いなぁ。こういう旅だからこそ、呑気な時間が必要なんだよ」
黒髪の男の言葉に、赤毛の女性は朗らかに笑った。
男の人とは対照的に、この女の人はいつも明るく自信満々に笑っている。
わたしとは正反対の性格だ。
わたしがその様子をじっと見つめていると──、ふと、笑顔の彼女と目が合ってしまった。
彼女はこちらに向かって、ふりふりと手を振る。
「キミ、この宿の子かな?ケーキ食べる?」
「………うん」
反射的に頷いてしまった。
その後すぐに、しまった、と思いなおし、首を横に振る。
母さんの作るケーキは最高に美味しい。
でも、お客様のものを貰うのはいけないことなのだ。
前にも似たようなことで叱られたことがある。
「──こら、カトレア!お客様にご迷惑かけちゃ駄目でしょ!」
案の定、背後から母さんの叱り声がとんできた。
わたしはびくりと縮こまり、そっと彼女の顔を見上げる。
母の作るスイーツは最高に美味しい。
けれど、母の怒った顔は最高に怖いのだ。
そんなわたしの姿を見ていた赤い髪の女性は、慌てて母さんに声をかける。
「ああ、大丈夫大丈夫!こっちから声をかけただけだし。わたし子ども大好きなんで。──えっと……」
「マリアです。この子はカトレアといいます。すみません、うちの子がお邪魔してしまったみたいで。ほら、カトレア。ご挨拶して」
わたしは小さな声で「こんにちは……」と挨拶の言葉を発した。
知らない人に話しかけるのは、少し怖い。
親戚のおじさんにだって、わたしは大きな声を出せないのだ。
だいたいの人は、わたしが内向的な性格だと知ると、苦笑いを浮かべ遠慮がちになる。
悪意はないとわかっている。
でもその反応は、自信のないわたしをさらに萎縮させてしまうのだ。
だが──。
今日の相手の反応は、いつもと少しだけ違った。
「わあーっ、ほんとに可愛いね!カトレアちゃんっていうんだ。よろしくねぇ!」
ぎゅっと、頭から抱きしめられた。
ついでに頬擦りまでされた。
底抜けに明るい彼女の行動と仕草に、わたしは思わず毒気を抜かれる。
なんだか、ゆるゆると緊張の糸がほどけていくようで──。
わたしは初めて他人の前で、ぎくしゃくしながらも頬を緩めることができた。
そんなわたしの様子を察してくれたのだろう。
彼女は再度にこりと笑い、わたしの頭を撫でる。
「よし、カトレアちゃん!あとでわたしが一緒に遊んであげよう!お姉ちゃんに街を案内してくれないかな?」
彼女の誘いに、素直にこくりと頷いた。
わたしはこの街が大好きだから、店や道にも詳しいのだ。
彼女は「ありがとう!」と嬉しそうに笑っていた。
母さんもわたしたちを見て、にこにこと嬉しそうにしていた。
そんなわたしたちの様子に、黒髪男も毒気を抜かれたように息をつく。
彼には先ほどまでのこわばった緊張はなく──、その表情には、多少の呆れと、少しの優しさが滲んでいた。
彼もわたしと同じく、彼女の笑顔の前では、ついつい気を緩めてしまうのかもしれない。
先程からずっとしかめつらだった彼の表情も、少しだけ柔らかく緩んでいた。
そして、やれやれといった様子で口を滑らせる。
「…‥はぁ、まったく。キミという人は……。もうお姉ちゃんという歳でもないだろうに……」
ぴきり、と空気が固まった。
わたしの頭を撫でる手に力が入る。
……ちょっと痛い。
「……ねぇ、ロディオくん……?今なんか言ったかな……??」
「──あっ、い、いやっ……なにも……」
ひんやりとした笑顔を向けられた黒髪男は、ぎくりと肩をすくめる。
次いで、借りてきた猫のように、隅っこでしゅんとしてしまった。
わたしは、そんな彼女たちの気の抜けたやりとりに、思わずクスリと笑みを漏らしてしまう。
知らないお客様の前でこんなに表情を緩めたのは初めての経験だった。
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それからしばらく、彼女たちはうちの宿に滞在していた。
母さんとお客様一向は、ずいぶんと仲良くなった。
単に客と店主の枠をこえ、プライベートでも語り合うことが増えていった。
わたしはそのたびに、柱の影から様子を伺っていた。
わたしもあんなふうに人と気さくに接したい。
母を見ていると、そんなふうに思うことがよくある。
あのお客様たちとは少しだけ仲良くなれた気はする。
けれど……、やっぱりわたしは人前に出ると、いつだって物陰に隠れてしまうのだ。
わたしの視線の先には、今日も楽しげに話す母の姿が映っている。
「凄いですね。この子──、人工精霊でしたっけ。ほんとにお掃除もお洗濯も手伝ってくれるんですね」
魔法使いの女の人と話をしている母。
難しいことはわからなかったが、どうやら家事を手伝ってくれる妖精を呼び出す魔法らしい。
まるで物語にでてくる小人だ。
絵本から飛び出てきたようなその姿に、わたしも思わず柱の影で微笑んでしまう。
魔法使いの女の人も同様に、人工精霊をつんつんしながら、にまにまと頬を緩めている。
「ええ。簡単な命令なら理解して実行してくれるの。それに、容姿もとっても愛らしいでしょ?この子は、わたしの可愛い一番弟子をモデルにして作ってて──」
彼女が話をすると、高頻度で弟子の話が混ざってくる。
やれうちの子は優秀だの、可愛いだの、真面目な良い子だの。
忌憚ない意見を言わせてもらうと、まあけっこうウザい。
あれは……、たしか、そう──。
何かの本で読んだことがある。
ああいうのを、オヤバカ、というらしい。
そんなに気に入っているのなら、一緒に連れてくればよかったのに、とわたしはいつも思ってしまう。
対して、母は聞き上手だ。
相手の語ることを遮らず、それでいて会話を促すような返しをする。
だからこそ、相手はどうでもいいことまでしゃべってしまうし、しゃべりたくなってしまうのだ。
わたしであれば聞き飽きてうんざりするような話であっても、彼女はいつでも、ニコニコと相手の話に聞き入っている。
いつだったか、その理由を聞いてみたことがある。
どうしたら、そんなに相手の話に楽しげに相づちを打てるのか。
──話している相手の気持ちになって話してみて。そしたら一緒に楽しい気持ちになれるから。
たしか、母はそんなことを言っていたように思う。
引っ込み思案のわたしには難しい対応だ。
というか、おそらくわたしには絶対に不可能なことだと思う。
「……はぁ」と物陰から小さくため息をつく。
やはり、──母さんは凄い。
いつもどん臭く、何事もミスから始まるわたしとは違う。
料理も上手だし、接客もうまい。
何でもそつなくこなすし、他者からの信頼も厚い。
わたしが物陰から憧れる彼女の姿は、わたしの理想の姿にぴったり重なるのだ。
──母のようになりたい。
いつ頃からか、その思いはどんどん大きくなっていった。
わたしもいつか歳を重ね、この宿を継ぐことができるようになったなら──。
そのときわたしは、母さんのような人間になれているのだろうか。
「マリア。ちょっといい?これから投影魔術で記録をとろうと思うんだけど……、少し広めの部屋があったら、貸してもらえないかな」
「ああ、はい。構いませんよ」
赤毛の人が、母さんを伴い二階へと上がっていく。
わたしは、物陰からじっとそれを見送っていた。
それから──。
それから、どうしたのだったか。
そこから先は、あまり覚えていない。
話し足りない様子の魔法使いさんに捕まり、母さんの代わりに延々と弟子の自慢話を聞かされたのを覚えている。
だが、その内容まではまったく覚えていない。
母さんならば、きっと笑顔であいづちを打てていたのだろう。
やはり、わたしはまだまだ母のようにはなれない。
ぺらぺらと語りの勢いが止まらない彼女の腕の中で、うとうとと船を漕ぐわたし。
だんだんと、夢の中へ誘われていく。
ゆっくりと、深く、深く、潜っていく。
思い出は忘却の彼方へ。
年月は無情にも、わたしの記憶に次々と蓋をしていく。
そうして。
わたしの意識は、闇の中へと落ちていった。
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「───う」
目が覚める。
窓から差し込む陽光が眩しい。
なんだか、懐かしい夢を見ていた気がするが、よく思い出せない。
何か、大切な話をしていた気がする。
しかし、思い出そうとするたびに、絵の具に水をかけるように、滲んで曖昧になっていく。
最近は夢を見ることも少なくなっていた。
だから、ちょっと意外だ。
昨日はいつもとは少し違った出来事があったせいだろうか。
ぼんやりと、自室の時計に目を向ける。
その瞬間──。
しゃっきりと頭が冴え、わたしはベッドから慌てて飛び起きた。
「──大変!ちょっと寝坊しちゃった!?」
わたしはあたふたと支度を始める。
急いで朝食の準備をしなければ。
今日はニナさんたちに味わってもらう初めての朝食だ。
朝から彼女たちに失望されたくないし、いつも以上に腕によりをかけて、わたしが作れる最高の食事を提供しなくては……。
そんなことを考えながら、慌てて服を着替えていたら──。
思い切り机のかどに足の小指をぶつけた。
うぐぐ……、と体を丸めて悶絶する。
「はぁ……」
相変わらずの自分の鈍臭さに、朝からため息が出てしまう。
我ながら、もうちょっとスマートに物事を進められないものだろうか。
かっこ悪いにもほどがある。
ふと隣から感じる小さな視線。
ちらりと隣のテーブルの上の小さな精霊に目を向ける。
「──もうっ、そんなにじっくり見ないでよ。恥ずかしいんだから……」
一部始終をじっと眺めていた人工精霊は、わたしの言葉を理解しているのかいないのか──、その小さな首を可愛らしく傾げ、客間の掃除へと向かっていくのだった。




