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理想



「あの、すみません。ここに赤毛の女性が来ませんでしたか?無血の英雄と呼ばれてる人らしいんですけど……」

「英雄……、まさかアイリス様か?うちの店に?いつ頃の話?」

「たぶん、十数年ほど前かと……」

「いや、さすがにそんなに前となるとね……。来ていないとは思うけど、よくわからんね」

「ですよねー……。失礼しました……」


 勇んで飛び出したは良かったものの。

 いくつもの店舗を巡り、そんなやりとりを幾度となく繰り返した。


 やはり、いろいろと曖昧なこの状況では、最初のとっかかりさえ掴めない。

 まあ、残念ではあるが当然だ。

 こんな的を得ない訪ね方では、相手も当惑するしかないだろう。



 とりあえず、日が傾くまで料理店やお土産屋を何件か回ってみたものの──、まるで手がかりと呼べるものには出会えず、わたしはすごすごと宿へと引き返した。

 初日の成果は散々といったところ。

 これでは明日の収穫にも期待は薄そうだ。



 肩を落としてタステルブリッジの玄関前に辿り着くと、宿の入り口で二人が燃え尽きたように立っていた。


「疲れた……。寝る……」

「わたしお風呂入ってきます。体べとべとのままなので……」


 メレルもなんだかんだで頑張ってくれたらしい。

 リーシャも時間を惜しんで動いてくれた。

 手がかりもない状況にも関わらず、ここまでやってくれた彼女たちには感謝しかない。


「二人ともありがとね。あとで甘いものでも奢ってあげるから……」

「ひっ──!わ、わたし、ケーキはもう結構ですのでっ!」


 黒猫少女はびくりと背すじを丸める。

 そして、あわわ、と両手を振ると、宿の奥へ一目散に逃げていった。


 なんてことだ……。

 うちの母からのプレゼントは、いたいけな少女の心にトラウマを植え付けてしまったらしい。

 大好きだった甘味を食べられなくなるのは、あまりに気の毒である。

 

「とりあえずお礼は塩っけのあるお菓子にしてあげよう……」


 わたしはため息をつくと、宿の自室へと向かうのだった。




*************************



 それから数日。

 わたしたちがこの街を訪れてから、七日ほどが経った。


 あれから街中の店舗に足を運んでみたものの、手がかりと呼べる手がかりは見つからなかった。


 理由は主に二つ。

 まず、店が多すぎるということ。


 美味しい料理を作れる、という条件だけで絞るのは不可能だ。

 おそらく十数年前にアイリスが想定したよりも──、はるかにタステルの街は素早く広がり、予想以上に多くの店が立ち並んでしまったのだろう。

 英雄様とて未来を見誤ることもあるのだ。

 偉人とされる彼女も、やはり人間であるということか。



 次に二つ目の理由として、年月が経ち過ぎていると言うこと。

 

 十数年という年月は、さすがに人という種族には長い。

 店を切り盛りしている顔ぶれも変わっているだろう。

 当時のことを覚えている人間がいるかはわからないし、まして無数の客の中から一人を思い出せというのも酷な話だ。


 いくらアイリスが有名な無血の英雄とはいえ、おそらく当時はまだ無名の一般人。

 記憶に留めている人がどれだけ残っているかも怪しい。


 


「はぁ……、これ、ちゃんと見つかるのかな……」


 当初の勢いのあったテンションはすっかり身を潜めてしまった。

 今のわたしの心中は、数日前と異なり、なかなかにナイーブで後ろ向きである。



 タステルブリッジの宿には、猫の額ほどの小さな裏庭がある。

 隣の建物と建物の間に偶然生まれたかのような手狭な敷地ではあるが、それなりに手入れもされた立派な裏庭だ。

 一応客がくつろげる用に、小さなテーブルと椅子も設置されており──、夜になると周囲の窓から明かりが集まり、これがなかなか風情のある空間になるのだ。

 

 夕飯を終えた夜。

 ここでぼんやり感傷に浸るのが、最近のわたしのお気に入りになっている。



「うぅ……、しかし、どうしたもんかなぁ」


 小さな白いテーブルに頬杖をつき、建物の隙間から覗く星空を見上げる。

 夏前とはいえ、夜の屋外は少し肌寒い。

 まあ、頭を冷やすには良い環境ではある。

 


 旅は、最初の数歩から想定外の事態ばかりだ。

 運が悪い、ということもあるだろう。

 でも、わたしが未熟者だということも、厳然たる理由の一つだ。


 諦めるつもりは毛頭ない。

 だが、こうも立て続けに障害が立ちはだかると、愚痴の一つでも言いたくなるのである。




 

「──どうかなされましたか?」

「カトレアさん……」


 そんなわたしの様子に気を使ったのだろう。

 テーブルの上にコーヒーが置かれ、カトレアの控えめな笑顔がわたしに向けられた。

 こちらも彼女にぼんやりと視線を返す。


 ここ数日、あたふたと宿を空けることも多かった。

 心配させるといけないので、彼女にはだいたいの事情は話してある。

 というか、ほぼ全ての状況説明は済んでいる。


 

 わたしの旅の目的。

 無血の英雄アイリスが、わたしの母親であること。

 リーシャとメレルとの馴れ初めの話。

 ついでに、孤児院での昔話。



 カトレアは聞き上手だ。

 生来の控えめな性格の上に積み上げられた、たしかな人生経験もあるのだろう。

 促されているわけでもないのに、ついどうでもいいことまで話してしまう。


 彼女はわたしよりも遥かに大人だし、真摯で、魅力的な女性だと思う。

 だからこそ、こちらも口が軽くなってしまうのだ。



 ふぅ、と一つ息をつき、隣の彼女に苦笑を向ける。


「……無力感、ていうのかな。ちょっと今の自分にうんざりしてるというか……。人生うまくいかないもんだなぁと」

「無力感ですか……」

「それに………」


 はぁぁ、と深い溜め息を一つ。

 肺の中の悪い空気を思い切り吐き出す。



「───だぁああっ!あのクソばばぁ!何が無血の英雄じゃ!ただの悪戯好きの性悪じゃんか!!」



 怒りに任せて握られる拳。

 ついに腹の底でぐつぐつ煮えたぎっていた思いをぶちまける。

 カトレアは、「英雄様にそんなこと言えるの、ニナさんだけですよ」とクスクスと笑っていた。


 ふむ、親族特権というやつか。

 まあ悪くはない。

 今後旅を続けていくなら、またイライラさせられることも多いだろう。

 今のうちに罵倒の言葉を準備しておくか。


 むふふ、と嫌な笑いとともに、どす黒い精神がうずまくわたしの心中である。



 カトレアはそんなわたしに視線を向けると、少しだけ羨ましそうな表情を浮かべた。


「……ニナさんは、凄い方ですね」

「……?何が?」

「あなたは無力感に苛まれても、それをバネにして前に進んでいける人です。だから、きっと大丈夫」



 彼女から紡がれる優しげな言葉。

 だが、その裏側には、どこか寂しげな気配が見え隠れする。

 いつもよりも少しだけ、悲しげな色が映り込んでいる。


「──わたしは、……わたしは、駄目でした。無力感に苛まれたら、そこで諦めてしまう人間なんです。わかってはいるけれど、自分を変えることができなかった」

「カトレアさん……?」


 彼女はわたしの目の前の椅子に腰掛ける。

 そして、そっと昔を思い出すように夜空を見上げた。


「数年前に故人になってしまいましたが──、わたしの母は、わたしにとって偉大な人でした」


 ニナさんのお母様ほどではないかもしれませんが、と彼女は少しだけ笑う。


「わたしは母のようになりたくて、彼女の後を継ぎ、この宿を受け継ぎました。

 けれど……、あの人は、わたしなんかよりもずっと料理もうまくて、頭も良くて、社交的で、前向きで、素晴らしい人間でした。結局わたしは何一つ彼女にはおよばないし、彼女に追いつけなかった」


「わたしは……、母にはなれなかったんです。」


 カトレアの絞り出すような声が、夜の空気にとけていく。


 おそらく、彼女は幻影を追いかけている。

 わたしからすれば、カトレアは充分頑張っているし、実力も経験も備わっているように見える。

 だが、彼女の追いかける理想が、今の彼女自身を拒んでいるのだ。


 それはとても痛々しくて、つらいことだ。

 わたしが慰めの言葉をかければかけるほど、その呪いは彼女を追い込んでいくのだろう。

 それがわかるからこそ、わたしには何も言えない。

 そんな自分が、もどかしい。



 カトレアは、ふぅ、と小さく息をつく。


「じつは、今年いっぱいで──、この宿を閉めようかと思っているんです」

「え……」

「この気持ちを抱えたまま続けていくのは、やっぱりわたしにはつらくて」


 だから、あなたが少し眩しくて、羨ましいです。


 カトレアは、そう言って、小さく笑った。



 星空の下、月明かりの影が庭を照らす。

 夜風がさわさわと草木を揺らし、服の中を通り抜けていく。



 そして、しばらく無言の時間が続き──。



 やがて、はっとしたように、彼女は慌てて目を見開いて言った。


「──ああっ、でも安心してください!ニナさんたちには精一杯お世話させていただきますから!母には及びませんが、わたしの作れる最高の料理でおもてなしさせていただきますね!」


 やはり、根が真面目だなぁと思う。

 普通なら既にやる気をなくしていても仕方ない場面だ。

 そんな彼女にあそこまで言わせる彼女の母親とは、いったいどんな人だったのだろう。


「……うん。そうだね。よろしくお願いします」

「はい、任されました!」


 カトレアは笑顔で答えた。

 

 おそらく、その悩みは彼女自身にしか解決できない問題だ。

 他に彼女を縛りから解き放てる存在がいるとすれば、それは彼女の母からの言葉くらいだろう。

 だが今となっては、それはもう不可能だ。

 時間というものは、やはり残酷なものだな、と思う。


 わたしにも、アイリスさんともっと触れ合える時間があったなら。

 いったい、どんな関係になれていたのだろう。



**********************



「それにしても……、カトレアさんの料理だって凄く美味しいと思うのに。少なくともわたしの中では、今までで一番だよ」

「いえいえ!母の料理はこんなものじゃありませんでしたから!」


 テーブルから身を乗り出して力説する彼女。

 普段の落ち着いた物腰からのギャップに、思わず苦笑する。

 

「わ、笑われるかもしれませんが……、わたしは今でも、タステルで一番料理が上手いのは母だと思っていますから!特にお菓子とか作らせたら、もう絶品で……!」

「わかったわかった。あー、わたしも食べてみたかったな。カトレアの母さんの、街一番の絶品スイーツ……………」


 ……………ん?

 

 ………あれ?


 今、わたし、なんて言った?




「えーっと、つまり……」


 額に指を当てて考える。


 アイリスはたしかに、この街で一番の料理を作れる人と言った。

 でもよくよく思い返して見れば──。

 彼女はその人物について一言も、レストランや土産屋の料理人だとは明言していない。


 そして、メレルの師匠は、わたしの母親と行動を共にしている。

 さらに、彼女の師匠は、カトレアの母にわざわざ自身の人工精霊を譲渡している。



 おそらくだが、アイリス一向はこの宿に泊まったことがあるはずだ。

 そして、彼女たち一向とカトレア母の間には、それこそプレゼントを交わすくらいには、浅からぬ交流があったと推察できる。


 つまり、彼女がわざわざ後世に遺してまで、その存在を語りたい人間がいるとすれば──。

 それは、一期一会の他人よりも、己の友人と呼べるような存在ではないだろうか?

 


「──くそっ、やられた!あの女狐め……!」

「………?」



 わたしは思わず舌打ちするとともに、口の端をニヤリと歪める。


 カトレアはきょとんとした顔で、頭に疑問符を浮かべるのだった。


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