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人工精霊


 わたしの名前はメレル。魔術師だ。


 下の名前は、いつ頃からか忘れてしまった。

 覚えていたとしても使う気はもうない。

 わたしの名前を呼ぶ人は、十年以上のあいだ、師匠くらいのものだった。


 だが、ここ最近──。

 この名を呼ぶ人が急に増え始めたのだ。

 

 一人目は、ニナという赤毛の少女。

 二人目は、リーシャという黒猫少女。

 

 そして三人目は──、昨日会ったばかりの宿の主人、カトレアである。

 


「メレルさん、お身体の具合は大丈夫ですか?」

「……うん、まあ。海水飲んだのは平気。でも筋肉痛が酷い」


 わたしは、宿の自室のベッドの上で腰を抑えながら、うつぶせ状態のまま答えた。

 なぜ床に伏せっているかというと、昨日の海水浴で身体を痛めた結果である。

 年甲斐もなく、たかが遊びに本気になってしまった。

 ちょっと反省だ。


 魔術で治せるものなら治したいのだが──。

 自分に対しての回復魔術は、じつはちょっと苦手だ。


 まだ魔術を覚えたての頃、突き指を治すつもりで回復魔術を使用したことがある。

 突いたのなら伸ばせばいい。

 そう考えた幼いわたしは、なぜか逆に指の関節を外すこととなってしまい、師匠に指を治して貰うまで悶絶することになった。

 それ以来、自分への回復魔法は地味にトラウマなのだ。


 カトレアはベッド横で苦笑いを浮かべつつ、わたしの腰の湿布をかえていく。


「今日はニナさんたちについていけなくて残念でしたね、メレルさん」

「いや、むしろよかった。わたし、歩くの嫌いだから」


 リーシャのリュックの上なら構わないが、今日の彼女は手ぶらだった。

 これではわたしが乗り込むスペースがない。



 さて、そのニナとリーシャの方はというと──。

 朝のうちから意気揚々と、この街唯一の銀行へと向かった。

 カトレアの話では、この街で貸金庫を営業しているのはそこくらいらしい。


 ニナの母が遺産として残したスクロール。

 彼女の話によると、この街の金庫にそれが眠っているということである。

 おそらくかなりの大金が手に入る、とニナはうきうき顔だった。

 

 そうして、半分寝ているリーシャを引きずり、タステルの街へと繰り出していったのだった。


 


「──あ痛たた……」

「大丈夫ですか?軽い回復魔術のスクロールなら常備してますが……」

「平気平気。寝てれば治る」


 というわけで、当のわたしはというと、先日の無理がたたって留守番だ。

 今は借りた宿の自室で、こうして療養中というわけである。

 部屋の窓から見える空は今日も快晴だ。

 吹き込んでくる潮風は気持ちがいいし、それはそれで悪くはないのだが──。


 ──腰と脚と腕が痛い。


 完全に運動不足からくる筋肉痛である。

 毎日、家と霊樹の往復くらいはしていたが、それ以外は魔術の開発か寝てるかみたいな生活をしていたから……。


 やはり普段から少しは運動するべきだ。

 でも、動くのは嫌い。

 魔術師とはそういう生き物なのだ。


 ──という旨のことを、昔師匠に言ったことがあるが、呆れ顔でお説教を食らった。


 まあ、どちらが魔術師の真の生態に近いかは置いておいて、今日一日ベッドでごろごろできるのは怪我の功名というやつだ。



 むしろ、さきほどから甲斐甲斐しく世話をやいてくれているカトレアの方が気にかかる。


「カトレアはわたしの面倒みてて大丈夫?仕事、忙しくない?」

「大丈夫ですよ。今のシーズンはお客様も少ないですし、人工精霊のスクロールを使えば簡単な仕事は任せられるので」

「……人工精霊?」


 彼女の言葉に、わたしは首を傾げる。


 はて、そんな魔術が存在しただろうか。

 わたしはこれでも師匠の元で長年修業した身だ。

 世の中に存在するたいていの魔術は、書物の記述や師匠からの伝聞で学んでいる。


 ──わたしもまだ知らない魔術。


 そんなものを、こんな庶民の宿の娘が持っていることに、少し驚く。


 ……だがまあ、そんな些細なことはどうでもいい。

 わたしの新しい魔術を求める心が、先ほどからうずうずしている。

 まずは実物を見なければ。


「カトレア。その魔術のスクロール、見せてもらえる?」

「はい。かまいませんよ。ちょっととってきますね」


 彼女はぱたぱたと扉の外の階段を降りていく。


 しばらくすると、再び部屋に戻ってきて、持ってきたスクロールを机の上に広げた。

 年季の入った小机の上に、複雑そうな魔術式の巻物が広げられる。


「昔、母が知り合いから譲り受けたものらしいです。仕事を手伝ってくれる精霊さんの魔術だそうですよ。わたしは魔術とかあまり詳しくないんですけど……。珍しい魔術なんですか?」

「珍しいというか、聞いたことがない」


 わたしが聞いたことがないということは、それすなわち──。

 誰かのオリジナルの魔術だということ。

 人工的に精霊を作るとなると、どれだけ化け物じみた魔術式を構築しているのか非常に気になる。


「それでは起動しますね」


 カトレアがスクロールに魔力を流し込む。

 巻物の紙面に描かれた魔術文字と魔法陣がぼんやりと光り、その後に一際強く青白く輝いた。



 そして──。



 ぽん、という軽い音とともに、机の上に精霊……と呼んでいいのかわからない存在があらわれる。


 それは手のひらサイズで、まるで小人かぬいぐるみのような──、

 デフォルメの聞いた、可愛らしい二頭身の人型精霊だった。

 彼?彼女?は、紙面の上にちょこんと座り、こちらの命令を待っている様子である。


「………ん?」


 わたしは、ふと違和感に首を傾げる。

 この精霊の容姿──。

 かなり簡略化されているものの、どこかで見たような──。



 腰まで届く銀髪。

 病的な程に白い肌。

 そして、常にけだるそうにしている、眠たげな瞳。


 毎日鏡の前で見てきた自分だからこそ、一番よく、その姿を知っている。


「……これ、………わたし?」


 召喚されたわたしそっくりの人工精霊は、わたしを見てコトリと首を傾げたのだった。




*************************




「たしかに、言われてみればメレルさんにそっくりですね」

「うん。それに、この魔術式。悔しいけど、わたしより数枚うわ手」


 スクロールの魔法陣と人工精霊?を見比べながら、魔力の流れる道線を追う。

 とても緻密で繊細な仕事だ。

 たしかにこれなら多少複雑な行動パターンを実働させることも可能だろう。

 中核の構築の仕組みはブラックボックスだが、これがとんでもない実力を持った魔術師の仕業ということは明白で──。


「……ん?」


 ふと、気づいた。

 その魔力と構築式の癖。

 素人や並の魔術師ではわからないが、わたしにはわかる。


 その些細な癖は、わたしがよく知る人が使うものと、非常によく似ている。

 

「──ちょっと、味も見る」

「味……?……って、メレルさん?!」


 わたしは人工精霊の頭を、はむっ、とくわえ込んだ。

 うん、上質で絹のようになめらかな魔力。

 甘い中にほのかな酸味を感じさせ、全体の味の調和を見事に保っている。

 誰が品評しても最高級の品質だ。

 背後のカトレアが「た、食べないでくださいー!」と慌てているのを無視して、その魔力の味をじっくりと確かめる。


「間違いない……。これ、もしかして……」


 よだれまみれになった人工精霊ちゃんを口から解放し、しばし考えこむ。


 そして、わたしがとある気づきを得た、ちょうどそのときだった──。





 すぱーん!と気持ちよく部屋のドアが開かれ、突然の来訪者が訪れる。


「たっだいまー!ニナとリーシャ、ただいま戻りましたー!………あれ?どうかしたの?」

 

 いつもよりやたら上機嫌な赤毛少女。

 どうやら銀行のほうの用事は、つつがなく完了したらしい。


 彼女はすたすたと室内に入ってくる。

 そして、ぐるりと部屋を見まわした後──。

 彼女の視線はテーブルの上の、わたしそっくりの人工精霊へと向けられた。



 彼女はぽかんとした顔で、しばらくじっとそれを見つめ──。


「えええっ!?メレルが小さくなってる!?」

「なってない」


 なぜならわたしは彼女の目の前にいるからである。


 ……しばしの沈黙。

 すると今度は、彼女の瞳がテーブルとわたしを交互に見つめ、


「うわあ、メレルがもう一人いる!?」

「いない」


 わたしは彼女の言葉をぴしゃりと否定する。

 なぜならどう見てもわたしが本物だからである。


 相変わらず、ニナのノリはよくわからない。

 それに、なんだかいつもより五割り増しでテンションが高い。


 ……まあ、無事に母の遺産のスクロールをゲットできたようだし。

 きっと大金が手に入るという事実に、気持ちが昂っているのだろう。

 だが、これの相手は……、正直ちょっと疲れそうだ。


 隣でうんざりした顔をしているリーシャを見て、わたしはつくづく一緒に行かなくて良かったと胸を撫で下ろしたのだった。





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