銀色の髪
「メレル、まだ寝てなくていいの?また倒れたりしない?」
「大丈夫。今日はけっこう調子いい。ちょっと頭がぐらぐらして視界がふらふらして指先がぷるぷるするくらい」
「いやけっこうギリギリでしょそれ……。大丈夫のハードル下がりすぎだよ!」
「大丈夫。元気元気」
青白い顔をしながら、ぐっと親指をたてるメレルである。
今日は、最後の花を植えに霊樹に向かっている最中だ。
さすがに昨日の今日で無茶をするのはいかがなものかと思ったが、メレルには譲れない理由があるらしい。
まあ、今回は危険もなさそうだし、いざとなればわたしたちもついている。
最後くらい、彼女の我儘につきあってあげてもいいだろう。
森の小道を、草をかき分けながら進む。
リーシャはいつものむすっとした顔で、背中の銀髪少女へぼそりとつぶやいた。
「ていうか、大丈夫なら自分で歩いたらどうですかね。重いんですけど」
「わたしは病み上がりでけっこうギリギリなので」
「いや、さっき元気って……。言ってること違くないですか……」
「それに、またわたしが倒れたら、ニナが悲しむ……」
「はいはい、わかりましたよもうっ」
馬扱いでも人力車扱いでも、好きなようにしてください、とリーシャは諦め顔で肩を落とした。
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三十分ほど歩き続け、ようやく霊樹についた。
今回はこれで二度目。
ゆっくり歩いてきたわりに、道のりも随分スムーズだった。
巨大な幹の裾に広がる花畑。
メレルは地面に飛び降りると、リュックの中から一輪の花を取り出す。
最後の一つ。
これを植え終えれば、浄化の魔術は完成する。
わたしにとっては二つ目だが、メレルにとってはいくつ目なのだろう。
この広い花畑を見ていると、その執念に感心する。
着々と作業を進め、花を地面へと植えた。
これも二度目の作業なので、前回よりは格段にスムーズな流れで作業できたと思う。
メレルはあたりを見回し、うん、と小さく頷いた。
「よし。あとは最後の仕上げ。ここの花全体を媒介に、魔術を発動させる」
「そんな大規模なことして大丈夫?魔力とか……」
「問題ない。今回は花に蓄えた魔力を使うだけだから」
なるほど、あの花は魔術のパーツであり、タンクでもあったということか。
たしかに効率的だ。
メレルは一度大きく息を吸い、深く吐き出した。
そして、そっと右手をあげ、杖を掲げる。
──その瞬間、あたりの空気が変わった。
彼女の操る魔力の流れが、肌を通して感じられる。
「──連結。安定化。構築。『ピュリフィケイション』」
彼女かその言葉を口にした瞬間。
ふわりと全ての花の花弁が揺れ動いた。
それぞれが青白く光り、あたりに清浄な香りが流れ出る。
その幻想的な光景に、わたしは思わず言葉を失った。
たとえるなら、光の花の海だ。
魔力の色が実体化し、無数の花びらの表面できらきらと輝いている。
そして、彼女が再び杖を振ると、今度は小さなつむじ風が生まれる。
それは大きな旋風となり、あたりの花びらを一斉に巻き上げた。
まるで空に向かって降る雪のように──、それらは大きく旋回し、霊樹のまわりを取り囲む。
「すごい……」
思わず声が漏れた。
これがメレルの魔術。
おそらく十年以上に渡る、彼女の執念の結晶。
彼女が師とともに作り上げた、森を救う浄化の魔法。
なんて、儚くて美しいのだろう。
陽の光を反射し、きらきらと舞い荒ぶ花びら。
それは列をなし、霊樹へと飛んでいく。
「……ありがとう。ニナ、リーシャ。ようやく、師匠との約束を果たせた」
花びらに包まれた霊樹が一際輝く。
温かく清浄な、再生の光だ。
枯れかけていた霊樹の枝が、命を育みなおしていく。
葉の一枚一枚が、光とともに再生していく。
あまりのまばゆさに、わたしは思わず目を細めた。
隣を見ると、メレルも同じように目を細め、霊樹を見あげていた。
積年の思いを成し遂げたその顔は──、
意外にも、少しだけ寂しそうだった。
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霊樹の枝が青々と葉をつけている。
枝の先端にも新芽が芽吹き、さながら春の訪れを感じさせる光景だ。
心なしか、森全体が生命力に溢れている気がする。
おそらく、もう大丈夫だろう。
霊樹は再びこの森に魔力をもたらし、マナを正常化させる。
マナの濁りがなくなれば、魔獣も自然といなくなるはずだ。
「なんだかこの辺、ずいぶんすっきりしちゃいましたね」
「そうだね。もともと魔術のためのパーツだったみたいだからね」
花びらは全て霊樹に溶けるように消えた。
そして、見事な花畑も、最初から存在しなかったかのように消えてしまった。
おそらく浄化の魔術と引き換えに、花の魔力が全て失われたせいだろう。
なんだか少し寂しさも感じる。
だが、きっとこれで良かったのだろう。
彼女の命をかけた頑張りは、ちゃんとこうして実ったのだから。
わたしは、ふとメレルの方に視線を向ける。
「………メレル?」
彼女の名前を呼ぶが、返事はない。
彼女は霊樹の下で、どこか遠くを眺めていた。
まるで待ち人を探しているかのような視線。
誰かと会う約束でもしていたのだろうか。
わたしは少し首を傾げる。
「どうしたの?誰か探してる?」
彼女はわたしの言葉に、メレルは、はっとこちらに顔を向けた。
そして、一瞬口ごもったあと、少しだけ寂しそうな表情で首を横に振る。
「ううん。べつに。……全部、わたしが勝手に思いこんでたことだから。それが、やっぱりただの妄想だったというだけ」
メレルは振り返り、そっと霊樹の幹に触れる。
そして、小さく息をつき、青空に届きそうなほどに高い枝を見上げた。
線の細い後ろ姿。
彼女の銀色の髪が揺れ、木漏れ日を反射して輝く。
わたしはその光景を見て、なんとなしに呟いた。
「──綺麗な銀色の髪だね」
メレルは──。
わたしの言葉を聞いて、突然はっとしたように振り返った。
目を丸くしてこちらを見たあと、何かをいいかけ口を閉じる。
その勢いに少し驚く。
なんだろう。何かまずい事でも言っただろうか?
「ああ、ほら、わたし赤毛だし。ちょっと癖毛だからさ。メレルのすらっとした銀髪が羨ましいよ……。………って、どうしたの?」
「ううん。ちょっと──、懐かしくなっただけ」
彼女は少し俯いたあと、顔を上げる。
いつも感情を乗せないその顔に、今日は優しげな笑顔が浮かんでいた。